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コハンの記憶とその重量  作者: 斉木 明天
第三章:未練の沈む海底
25/53

25.水面を境とした双子

「と…ここまでね」


 和泉を抱きかかえた湖畔は、砂底からそのまま上へ。海面近くまで来ていた。そこより先、海面には出ない。なぜなら、今もその上では神様や幽霊、もしかすると和泉さえも。魑魅魍魎に縁近い者達を待ち伏せるように、光の膜が漂っているのだ。

 和泉が好奇心旺盛に、水面に手を伸ばそうとするが、湖畔はそっと裾で包み引き戻した。


「……私と美湖は、村で一番大きいお屋敷の娘たちでね。村の人たちからは、拝まれていたわ」

「拝まれてたの?」

「ええ。村の長の子ってだけじゃなかったわ。…詳しくは、私も分からないままに死んでしまったんだけれど。その地域では、魑魅魍魎を祓う役目にあったそうね」


 そう言って、湖畔は水面の向こうを見透かすように、空を眺める。光の膜に時折見える切れ目の向こうは、もう日がほとんど傾き、夜になろうとしている頃のようだった。


「私は。子供ながらにみんなに尊敬されるお父さんもお母さんも、家も大好きだったわ。そんな家の、血を引いた娘であるという事も」


 そうだ。そうだった。湖畔は自分自身の心の底に、自ら沈ませていた記憶を、引き上げるようにして思い出す。出来る限り、今のこの時だけは、素直であろうとするように。


「…でも、死んじゃったって……引き継がなかったの?」


 湖畔は、和泉が言葉を選びながら口に出すのを見た。湖畔は、そっと和泉の頭を撫でる。


「…ええ。ある日ね、お父さんがお仕事で、死んじゃったのよ……」

「……えっ」

「遠い海洋での事だったかしら……沖の方に現れる、大きな怪物を祓う役目で、何人かの村人と、船で出ていったわ。……何の知らせも無く。何時まで経っても、帰ってこなかったわ」

「それって……まさか、あの大きなうなぎみたいなの…?」

「うなぎ…イクチのこと? どうかしらね……最後がどうだったのかも、私は分からないもの」


 湖畔は、空笑いをして微笑む。そう、当時もどう思えばいいのかもわからなかった。帰って来ない、何があったのかも分からない。本来なら直接心にぶつけられ、時間を掛けて消化するべき喪失。それが、いったい何を心にぶつけられたのかもわからず、ただ、じわじわと親を失ったという事実を、時間を掛けて押し込まれたのだった。


「妹は、とくに悲しんでね…。毎日、寝かしつけようと寄り添っても、悲しそうなあの子は、何時までも晴れなかったわ……」


 そう言った瞬間。湖畔は、自分の心が激しくささくれ立ったのを感じた。


「っ……」

「…? お姉ちゃん……?」


 ああ、そうだ。妹はずっと泣いていた。なのに、私は。私は……美湖の姉として、寄り添い支える役目を、責務を果たせなかった。


「……ああ、そう。そうだ。……それからすぐに、魑魅魍魎が増えだしたのよ」


 湖畔は口に手を当て、吐き気を抑えようと意識を集中する。私は、この先を…今言うべきなのか?


「…お姉ちゃん」


 その時、和泉が湖畔の片手に触れた。


「!」

「……素直になって、良いと思うよ」


 その言葉に、湖畔は動揺した。この子は、和泉は、海上に出た時と同じように。湖畔の過去の事になると、まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、その言葉に答えるように、湖畔は言葉をつづけた。


「……地上の魑魅魍魎たちは、家の人や、分派の人たちが協力して、抑えれたの。……でも、お父さんが居なくなった穴は、大きかった。海からも、魑魅魍魎が湧くことが、分かって……」


 その時、父の代理を務めた者から、ある進言が出た。


「……まだ、魑魅魍魎の退魔のイロハも知らない私に、()()()()が立ったわ」

「! それって……」

「…………ええ。お父さんの血を一番濃く継いだ私を元に、家は、禁断の手を打ったわ。……生贄、っじゃない。 退魔の家は……()()()()()()()()()()。」

「神様を…?」


 ええ。と、湖畔は小さく頷いた。


「神様として必要なのは、聖域や聖物として、神様の象徴となる存在物。そして崇拝による認識。そして最後に、実際にそれを実現たらしめる神力。私には…それらを集める術があった」


 湖畔は下唇を噛みしめる。もう一度、海面を見上げるが、その時頬が濡れたのを感じた。

 それは、海水と混ざることも出来ない、自分の涙だった。神様が流した涙は、海水に霧散する事も出来ず肌を添い、羽衣に染み込んだ。


「家は。母親と代理に別れ、大きく荒れていた。次期に外部から縁を組み、次代へと繋ぐ長女を、生贄めいた事に捧げるのかと。でも、私はそんな中で……()()()()()()()。」

「…えっ?」

「憧れてたお父さんを亡くして、全部失った気になっていた。神様になれるだなんて、お父さんの無念を継げるチャンスだと思っていた。私が死んで神様になれば、今は辛くても、みんな救われると思ってた。それで……お母さんを必死に、説き伏せた」

「……」

「当の贄になる本人がついたことで、流れはそのままついたわ。その後は……祖父が、儀式の取り決めをつづけた。あれよあれよという間に、私は身を投げ、神様になる準備が出来た」


 少し、心が楽になった気がする。でも、まだだ。この次が、大事だ。


「……そのまま。私は、家のみんなと一通りの別れを済ませて、あの結界があった、今の私の神域となっている、あの海上に出たは。……少しでも、神様として箔を付けようと、お父さんが居なくなった、あの海域にね。

 一通りの役目が終わって。綺麗な衣装に、化粧。そして、腹に巻いた石。…準備が整って、船首に出て、それで……」


 湖畔の言葉が加速する。そして、勢いのまま語ろうとして、その直前で言葉は止まった。


「……妹が、美湖が、船から飛び出て、置いてかないでって泣きじゃくってた。懇願する叫び声を聞いたころには、もう、海に身を投げ出していた」


 湖畔は、水面の波の揺らめきを見る。その揺らめきの向こうに、フラッシュバックしたかのように、手を伸ばす妹の姿が見えた。

 その影は、湖畔が最後に見た時のように。湖畔が沈むにつれ、小さく、遠くなっていくようだった。


「私は、お父さんの跡を継ぐことに熱中していて、目の前で悲しんでいた美湖の事を、蔑ろにしていた。こうする事が、お母さんや美湖の為になるって、信じきって。なのに、なのに…」


 湖畔は首を横に振るう。遠心力で涙は頬から分離され、球体の球となって海中に浮かんだ。


「美湖は、神様になろうとなんかする私は求めてなかった。ずっと横に居て、生きて一緒に居てくれることを願ってた。私は、あの子の気持ちを何も分かってなかった…!」


 私は、何をやってるんだろう。昔の事を語ろうとして、抑えが聞かなくなっていた。言い切ったところで、自分の喉が勝手に跳ねている事に気が付いた。いつの間にか、ひっく、ひっくと。嗚咽が止まらなくなっていた事に気が付いた。

 その時、首の回りに暖かいものが抱き着いたことに気が付いた。

 それは、和泉ちゃんだった。和泉ちゃんは何も言わず、そっと自分の首元に顔を添えるようにして、両腕を回して抱き着いていた。


「……和泉ちゃん…」

「……辛かったね。ずっと、誰にも話せなかったから、ずっと忘れたつもりになって、心の底に沈めてたんだよね。……辛かったね…」


 耳元で小さく言葉を紡ぐ和泉ちゃん。回された腕も、言葉も。暖かかった。


「私は、美湖さんじゃないけれど…ずっと引きずらないで。今までの自分を殺してでも、心の底に隠して。苦しまないで。覚え続けた上で、ゆっくりと自分を許してあげて」

「……」

「…あはは…なんて言えばいいのかな…。蔑ろにしてしまった辛い過去を引きずって、湖畔お姉ちゃんが自分自身を全部殺してしまっているのが…私、辛いよ……」


 湖畔は、首元の海水が少し熱くなったのを感じた。泡の外に出た涙が、海水に交じって霧散している。和泉もまた、涙を流していた。


「だから……。覚えている上で、自分を許してあげて。湖畔お姉ちゃんは、今の自分がしたい事を、素直にしていいって思える自分になって」

「…和泉、ちゃん……」


 ああ、なんでだろう。なんでなんだろう。まるで、和泉ちゃんが急に大人になったようだ。その言葉は優しいようで、自分自身がその言葉に甘える事を拒絶するような、許す事の難しさをぶつける、厳しい言葉でもあった。

 でも、それでも…。


「……ふふ」


 湖畔は、和泉をそっと抱き返した。


「…私は、貴女を見つけて助けた時から、どんどん素直になっているわ。神様の仕事を一旦置いて、和泉ちゃんを助けたいって思って、ここまで来て。…こんなに、自分のしたい事で動いたのは、たぶん初めてよ」

「……湖畔お姉ちゃん…」

「大丈夫。私は、今の私がしたい事をしているわ。……絶対に、和泉ちゃんをおうちに帰してあげるからね」


 おうちに帰したら、その後は…。神様としての仕事以外の時も目を覚まして、貴女に会いにいったり、外の世界を楽しむために生きるわ。

 初めて、自分の役目以上に、したい事を誓ったような気がした。

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