23.執行者が無念を紡ぐ
「和泉! もう一回だ!」
霧子がもう一度手を伸ばそうとする。しかし、手を入れる前に霧子は止まった。
ちらりと横眼を見ると、霧子は急ぎ二人の元を離れ、視線の先へと泳ぎだす。
湖畔は驚き、その視線の先を追う。その先では、サザエオニが3体集まって泳いで来ていた。
「また…。! なっ!?」
湖畔は泳ぎ向かう霧子の背を見つつ、サザエオニの方を見て、またも驚いた。
3対並んで泳いでいたサザエオニ達が蓋から大きな舌を出す。そして、伸ばした舌を、3対で絡めだした。
絡まった舌を中心に、さながら風車のように展開する。そして、サザエオニの貝表面にある、側面の突起した部分の先端に穴が開く。すると、そこから水の流れが生まれた。
3体が同時に水圧噴射を起こす。そして、巨大な歯車のように高速回転を起こし始めた。
「無茶苦茶だぜ……!! おおりゃぁっ!!」
霧子は柄杓を横に構える。
「変な曲芸にゃ、真似っ子で潰してやる!」
横向きに柄杓を構え、足は大きく斜め横に開く。
「噴出せ、穴あき柄杓…!」
柄杓の空っぽの穴から、存在しないはずの水が荒々しい勢いで噴き出し始めた。
霧子の上半身は水圧に持ってかれ、大きく捻る。その勢いに合わせ、足も振り始めた。足が前に出る直前、霧子の正面には高速回転をするサザエオニ歯車が向かってきていた。
「即興! 栄螺卸し!!」
一瞬、湖畔は霧子の足を見失った。目で追おうと探した頃には、サザエオニの歯車と、霧子の足が直撃していた。
サザエオニの高速回転は、それで静止する。しかし、それと同時に、海中の中にくぐもりながらも重いものが折れるような音があった。
「ぐあああぁああ!!」
霧子の、堪えようにも抑えられない悲鳴が聞こえた。
「! 霧子!!」
「キリねえ!!」
二人は、その絶叫で、霧子の足が折れたのだと察した。
「あが、ああぁ…!! いってえよ畜生。舟幽霊だっつうのに、骨があるとか。 自分の事なのに想像してなかったわ…だが」
霧子は柄杓を再び握り、柄杓の淵から極度に細めた高水圧の水を噴出させる。そして、さながら工事をする作業員のように、柄杓を動かす。その手の着く先は、目の前で結合している、サザエオニ達の舌の中心部だ。
「変な芸当考えやがって、こんちくしょう!」
勢いよく、上から下へ柄杓を振った。
湖畔は思わず、和泉ちゃんの目を着物の裾で隠した。声になってるかも分からない。ぎーという低い叫び声が海中を揺らした。恐る恐る向けて見れば、霧子の目の前で、黒い瘴気を舌の先から吐きながら、サザエオニ3体が海中に落ちて行っていた。
「っ。霧子…」
湖畔は急ぎ霧子の元へ泳ぐ。
たどり着いてみれば、目を伏せ、今にも泣きそうなほどに刃を食いしばりながら海中に浮かぶ霧子の姿があった。
「キリねえ!」
「うぐっ、お、おまえら。いちいち人の事気にしてんな、そんな余裕ない、だろが…」
湖畔は苦しみながらも、投げ出すように伸びきっている霧子の肩足に目を向ける。青白い肌が、更に青く変色していて、見るだけで痛々しい姿だった。
舟幽霊の再生力というものが、人間のよりもあるかは分からない。だが、今この場でこれ以上荒々しい戦いはできないのは明白だった。
「和泉、もういっちょさっきの攻撃…」
「だめよ! 回復するならまだしも…そんな状態で、させられないわ!」
湖畔は声を強くし反対する。実際、湖畔も霧子も分かっていた。和泉ちゃんから力を付与された時の一撃は、今もあるかも分からない心臓を無理やり脈動させるかのように激しいものだった。
あの激しすぎる付与を、重傷を負ってる状態で行おうものならどうなるか。下手すると、注いだ途端、重傷を負っている足にも力が入り、想像を絶するような痛み、後遺症を患うかもしれなかった。
「だが、あいつらがまだ…」
湖畔は、下唇を噛みつつ周囲を見渡す。周囲には、黒い瘴気を吐血のように流しつつ、ふらついたサザエオニが3体旋回しているが。それ以上に、まだ元気なサザエオニが5体。計、8体も残っていた。
「まだこんなに……」
「…だろう?」
震える声に、湖畔は霧子に視線を戻す。見て見れば、柄杓を強く握りしめ、ゆっくりと湖畔の背中、和泉ちゃんへと手を伸ばす霧子の儚く苦しい姿があった。
「あたしはさ、辛くも撤退なんて許さねぇ。事情通って感じに振舞ってるがよ、こいつら相手に、こんなに削ったの初めてなんだぜ…? ほんと、気持ちの割に、実力が見合ってねえよな……」
震える霧子の手が、和泉ちゃんの入っている泡に触れる。しかし、再び強度が戻っている泡は、霧子の手を通さない。
「……湖畔。早く開けてくれ。あたしは、地上に戻って家族に会いたいし…あんたらと約束したんだ。絶対に送るって……」
「……」
「だから、早く―」
霧子が懇願する中、それを遮るように湖畔は泡に伸びる霧子の手を握り止めた。
「!」
「霧子」
静かに落ち着いた声が木霊する。澄んだ天女のような声に、霧子は一瞬誰がそう言ったのか分からなかった。
「大丈夫。貴女の思いも無念になんかさせない」
霧子は目の前の神様、湖畔と目が合った。
その淡い青色の瞳には、霧子自身の傷つき苦しそうな姿が映っていた。なんでだろうか。霧子は湧き上がってくる感情がどういう意味なのか分からなかった。
まるで、その青色の瞳の中に映ってる自分は、その中に包まれて。優しく守られているような気がした。
「……信じる」
ただ、小さくそう言った。
「ええ。私に任せて」
湖畔もゆっくりと頷き返した。
湖畔は意を決し、怪物達に振り返る。サザエオニ達は、徐々に包囲網を縮めており、旋回する密度も濃くなってきていた。
「和泉ちゃん。力を貸して」
湖畔は自分の右手を、背中の泡の中に回す。
自分の下側に、おんぶの姿勢のように入って来た手を、和泉はそっと握った。
「キリねえの分もぶっ飛ばしちゃおう!」
「ふふ、そうね」
湖畔はにこっと微笑み、残った手を前にかざした。
その瞬間、3人の足元から、空気の渦巻きが吹き荒れた。いや、霧子はそうではないと気が付いた。足許から、微細な泡が溢れんばかりに、竜巻状に噴出し始めたのだ。
「っ!」
湖畔は、そのまま周囲のサザエオニ達を睨む。大量の泡達は、渦巻きから離れるように、サザエオニ達に飛んでいった。
サザエオニ達はそれを振り切ろうと速度を上げるが、それでも泡は追跡し、その胴に直撃する。泡を胴に大量に受けたサザエオニ達は、衝撃の後に弾かれ、海中を転がり飛んでいく。
「次は…!」
湖畔はかざした手に意識を向ける。その手の先に泡を一つ、作り出した。
泡はどんどん大きくなっていって、湖畔以上、3人以上。いや、それ以上に何倍にも膨らみ始めていった。
霧子は、その姿をじっと見つめる。
湖畔は、これじゃ足りないとばかりに更に大きくしていった。大きさは更に膨張していき、5m、10m。周囲の岩山の頂上を通り過ぎ、海底へと泡は更に膨らんでいく。
サザエオニ達も、包囲網が崩されてから行動が変化した。一斉に、湖畔の行動を阻止しようと、やたらめったらに泡と湖畔へと突撃し始めた。
「……」
湖畔は、泡に集中し続ける。
その間に泡に突撃したサザエオニ達は、表面に弾力で押し負け、弾かれる。また、湖畔に突撃した者も、足元から吹き続ける泡の渦に薙ぎ払われ、身体を回転させながら遠くへと跳んでいった。
「…よしっ!」
湖畔が一言そう呟く。見て見れば、泡は直径30mを明らかに超える、巨大な泡となっていた。
その泡の中には、何も無い。本当に、何も無かった。
「…はじけなさい!」
湖畔が、かざしていた手を強く握った。その瞬間、多くのサザエオニが突撃しても弾けなかった巨大な泡は、海中だというのに響き渡る破裂音と共に、弾けた。
そして、泡があった何も無い空間に、一斉に海水が吸い込まれ始めた。
「!! う、うあぁっ!!」
サザエオニも、3人も、周囲を泳ぐ魚群たちも。その場に居たあらゆる生物が中心に向かって吸い込まれだした。サザエオニ達は逃げようとするが、吸引に耐えられない。身体を持ってかれ、そのまま吸い込まれていった。
「重し、軽し。浮かびたまえ」
湖畔は腕を振り払う。それに伴い、3人を包むようにして泡のドームが出来上がった。湖畔は泡の幕に手を付け、泡ごと吸引から離れだす。
そして、3人を包んだ泡の表面から、生まれては分離するように大量の泡が飛び出した。飛び出していく泡は、それぞれが大きさを変え、吸い込まれていく海中の生物たちへと向かって行く。
魚群、貝、亀、カニ。様々な生物を泡で包んでは、3人と同じ様に激流から遠ざけられていった。
「今だ。ってやぁ!」
湖畔がそう叫び、手を横に振り払った。
泡の前方の表面から、最後の一泡が、吸い込みの中心地へと放たれる。
サザエオニ達が密集する中心に向かって飛んでいく泡は、次第にそのサイズを大きくしていく。やがて、体勢を直し逃げようとするサザエオニ8体を、全て泡の中に閉じ込めた。
「……捕獲、完了」
3人の回りを旋回していたサザエオニ達は、一つの泡に閉じ込められてしまった。
湖畔は、淡い青色の瞳を輝かせ、手をかざし念じる。
「…分離せよ」
その言葉を皮切りに、サザエオニ達を包んでいた泡の表面が輝く。そして、中に閉じ込めらえていたサザエオニ達が、悶え暴れだし。次第に、その蓋や胴の穴から、虹色の液体を噴出した。
噴出された液体は泡の上側に溜まっていき。サザエオニ達がからっきしになったところで、泡の外側に噴出された。
海中に広がる、虹色の輝き。その霧散する霧の中には、様々な人間の生きていた頃の営みが走馬灯のように光り輝いていた。
「さようなら……取りこぼしてしまって、ごめんなさい」
サザエオニ達は、その姿をぼかし、一瞬人型になったかと思うと。そのまま透明になって消えて行ってしまった。
「……あんたも、勇敢なとこあるじゃないか。湖畔」
小さく、霧子が笑みを持ってそう呟いた。




