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月兎の十二ヶ月

月光花茶

作者: 矢宵羽鷺

三の月は珊瑚月。

月影(つきかげ)月番(つきばん)をするこの月の光の色は、ほんのり桃色に染まります。

月の原では新芽から顔をのぞかせた月光草(げっこうそう)のツボミも、ほんのりと珊瑚色に色づきます。

そんな綺麗な月明かりの下でのお勤めは、月影にとってはヒゲがぴんとするのでした。

いつもの月影は「泣き虫で怖がり」で、すぐに白兎(はくと)の後ろに隠れてしまいますが、この時期の月影は兎が変わったようだと仲間たちは言います。

月影も珊瑚月だけは、臆病が少し治ったような気がしていました。


先の年の暮れに、一番チビの銀兎(ぎんと)が主様のお使いで、遠く鯨座(くじらざ)まで旅をしました。

おまけに「星蒔き」のお手伝いまで果たしたのです。

「星蒔き」と言えば、月兎には見る事も叶わない年越しの儀式です。

他の月兎たちは、こぞって銀兎に「星蒔き」の話をねだりました。ただ月影だけは、その輪に入れずに遠くから羨ましく眺めるばかりでした。

その時の気持ちを思い出すと、今でも少し涙がぽろりとこぼれます。悲しいわけではないのですが、ぽろんとこぼれるのです。

月影はふるんと首を振って、涙の粒を払いました。

「泣いてる場合じゃないよ、だって自分は月番だもの」

そうつぶやくと、月の原を見渡せる一番眺めの良い丘の上で背筋を伸ばしました。

弓張月(ゆみはりづき)のこの日は、風もなく穏やかで天の川もよく見えます。

でも、油断していると急に風が吹いたり、星が流れたり……、陽気が変わりやすいのも珊瑚月ならではなのです。

そして月影はいち早く、その事を知る事が出来ました。

なぜなら、誰よりも注意深く見て、聞いて、選ぶことが上手でしたから。

天の川から吹く風が月の原を渡ると、月光草の珊瑚色のツボミがぶつかりあって、ポンと音を立てて開花します。

しかし、珊瑚月に咲いた花は実を結ぶことがありません。ですから、ツボミのうちに摘み取り、乾燥させて月光花茶にするのです。

月兎たちは朝と晩に必ず、この花茶を飲みます。朝飲めばすっきり目覚めるし、夜は一日の疲れが取れるからです。そうして元気いっぱいで、それぞれのお勤めに励むのです。

月光花茶になるのは、珊瑚月の月光草のツボミだけ。

一年分の花茶を作るために、この短い間にツボミを摘まなくてはなりません。

だから月影は、風が吹く前にせっせと摘むのでした。

それは月番の仕事のひとつなのですが、月影はかすかに色づいたツボミを摘むたびに悲しい気持ちになります。

「せっかく、咲こうとしたのに…… ごめんね、きっと綺麗だろうに」

籠いっぱいになったツボミを、優しく抱えて言いました。

月影が月の原を見渡すと、一面の緑の草原でした。まだ多くのツボミは新芽の中に隠れていましたので、若葉だけがそよそよと揺れているのです。

「おや?」

丘の上から低い方へ流れる若葉の揺れが、不自然に途切れる場所がありました。どんな些細な変化も見逃さない月影でなければ、このことに気づかなかったでしょう。

月影は月番らしく勇気をだして、正体を確かめにそちらへ向かいました。

すると「くぉう、すぴー、ぷっしー、んごぉ……」と、奇妙な音が聞こえてきました。

「わわっ…!! なに? 変な音!?」

それ以上、近づくのを止めた月影は、怯えながらも耳を澄ませて音に集中しました。

「むにゃ……、もうお腹いっぱぃ…… んぴー……」

聞き覚えのある声です。月影はぴょんとひと跳びしました。

するとそこには、まんまるに丸まった銀兎が居眠りをしていたのです。そうです、あのへんてこな音は、銀兎の寝息だったのです。

珊瑚月の光を浴びて気持ち良さそうに眠る銀兎は、胸元に手足を寄せていました。その姿は、何か大切なものを抱えて守っているようにも見えました。

その様子が、あまりにも無邪気で幸せそうでしたので、月影は戸惑ってしまいました。

でもきっと銀兎は、またお勤めを放ったらかしていることでしょう。

「起こした方が良いよね、でも、楽しい夢ならかわいそうだし……」

こんな時、弦兎(げんと)なら怒って銀兎を叩き起こすだろうなぁ。

弦兎のことですから、自慢の桂の弓で射かけることでしょう。月影は弦兎の怒った姿を想像して、ぶるると震えました。

「銀兎、おきてよ。銀兎ってば!」

耳の間をぽくぽくと叩かれた銀兎は、夢から弾かれてぴょこんと飛び起きました。

「んあ、おはよ。つきかげ……」

まだ夢から覚めきらない銀兎の言葉と一緒に、とっても良い香りがしました。

「……ふわぁ、いいにおい」

月影は素敵な香りをもっと嗅ごうと、真っ黒な鼻を上に向けてふんふんと鳴らしました。

「なに? 何してるのつきかげ?」

やっぱり銀兎の口からもれる吐息は、とても甘く香るのです。月影は不思議に思い、銀兎の顔をジッと見つめました。

「んん、銀兎? ヒゲが桃色だよ」

そう言われた銀兎がヒゲを腕で拭うと、その腕がかすかに桃色に染まりました。

「うわっ、どうしちゃったのボク」

両の手で口元を隠そうとした銀兎の手には、桃色に咲いた月光草が握られていました。開いた花弁からは、銀兎の吐息と同じ香りがしたのです。

「月光草が咲いてる……」

月影はびっくりしました。だってまだ天の川からの風は吹いていないし、自分が珊瑚月の月番を勤めてからは、一度だって蕾を見逃すことは無かったのに。いつも蕾のうちに摘み取ってしまう自分への罰なのでしょうか?

どうして、どうして?

月影は混乱でイッパイになってしまいました。

「そうなの、ボクが見つけたんだよ!」

ふわんと甘い香りを乗せて銀兎が嬉しそうに花を月影に差し出しました。

その時、月影は銀兎の腕を払いました。自分でもそんな乱暴なことするなんて、思いもしなかったのですが、そうしてしまいました。

銀兎も月影がそんなコトするなんて、少しも思わなかったものですから驚いてしまいました。

見つめ合う二兎(にと)の間には、月光草が桃色の花びらを散らして落ちました。

力なく地面に散ってしまった月光草を、そっと拾い上げた月影の瞳から涙がぽろりとこぼれ落ちました。

「月番なのに、ひっく、蕾を、見落としちゃった…… うぐっ」

「つきかげ、つきかげ、なんで泣くの?」

「花が、咲いちゃった」

「ちがう、ちがうよ、これはね、月の原の月光草じゃないの」

「月光草は月の原でしか育たないんだよ! 知ってるでしょっ?」

「そうだけど、そうじゃないんだよ!」

「銀兎のばか!」

月影は丘を駆け降りて行ってしまいました。

置いて行かれた銀兎は、遠くなる月影の背中を見送ることしか出来ず、どんどん小さくなる後ろ姿は、一度高くぴょんと跳ねると消えてしまいました。

月の原に取り残された銀兎は、薄桃色に染まった自分の手を見つめて途方にくれて、しょぼんと耳を垂らしました。

「ボク、ばかなの?」

天を仰ぐと天の川の水面がさやさやと揺れ、風の輪がいくつも連なっていました。

優しく星屑を撫でるそよ風は、満月の頃には大風に育って月の原を走り抜けるのです。


十六夜の塔に戻った月影は、涙を払うと中に入りました。

静まり返った塔の中には、天井にあるいくつかの窓からの光で明るいのです。窓は一つとして同じ形ではなかったので、差し込む光の形もみんな違っていました。

そんな光に照らされた円卓には、たくさんの薬草が並べてありました。すると奥の部屋からすり鉢とすりこぎを持った玉兎(ぎょくと)が出てきました。

「おや、月影、忘れ物でもしたのかい?」

そうだ、今日の留守居番は玉兎だった……

「ん、そう、そうなの」

「ふーん」

興味なさそうに言うと、玉兎は薬草を選り分けては重さを量りはじめました。玉兎は薬草の調合が上手で、こうしてみんなの薬を調合するのです。

玉兎は慣れた手つきで、白い鉢に数種類の薬草を入れると、こりこりと心地よい音を立てます。すりこぎは使い込まれていて、玉兎の手のように器用に動くのでした。

月影は玉兎が薬草を作るところを、泣きはらした瞳で、ぼーっと見ていました。

「月影、忘れ物はどうしたんだい?」

急に名前を呼ばれて、ハッと我に返った月影は急いで屋根裏に向かいました。

息を切らして屋根裏につくと、月影は両手をそっと開きました。

銀兎が持っていた開花した月光草は、痛んでしおれかけていました。月影は水盤に月の雫を満たすと、散ってしまった月光草をそっと浮かべました。痛んでしまった花びらも、月の雫を吸い上げて少し元気になったようでした。


玉兎は月影が元気がないことに気づいていました。

一年中の元気を使うほど元気な珊瑚月の月影が、あんな風にしょぼんとしているなんて。

「ったく、なんとか言えばいいのに!」

階段の下に腕組みをして、ため息まじりに言いました。すると、ふわんと良い香りが立ちのぼりました。

足下をよく見ると、小さな桃色の花びらが落ちていました。玉兎は花びらをつまむと、クンッと匂いを嗅ぎました。

「おや、これは」確か、どこかにあったな……っと、香りの記憶に手繰り寄せられるように、首を傾げながらも薬草倉へ向かいました。


その頃、屋根裏の月影は、水盤を移動して月明かりがあたるようにしました。そうしても、摘まれた花の命は短いものです。今夜一晩が限界でしょう。

でも自分でできる精一杯をしたので、月影の心は少しだけ落ち着きました。

そして月の原に置き去りにした銀兎のことを思い出しました。

「違うって、言ってたのに」

きちんと訳を聞かないで怒ってしまった自分が情けなくなりました。おまけに今日の月番を終えるには、まだまだ時間が早い。

もう一度、月の原に戻らなくては……


十六夜の塔の窓の一つに、月の上ならどこにでも、ひとびで行ける「ひととび窓」があります。急いでいる時にだけ使う特別な窓です。

「銀兎のとこへ、ひとっとび!」そう言うと、月影は窓から跳び出しました。

体を丸くした月影は、弦兎の放つ矢よりも速く跳んで行き、月の原の丘を軽々越えました。月の原に着くと思っていたのに、どうしたことでしょう。

ともかく、「銀兎のトコに」と跳び出したのですから、銀兎の近くに行けるはずです。

そして十六夜の塔から一番遠い月の原の端で、次第に下降を始めました。月影は体を伸ばして着地の準備をし、トンっと地面に両足を揃えて降りました。

すると辺りは白い靄が立ち込め霞んでいて、よく見渡せません。

「ここは、どこ?」

端とは言っても、まだまだ月の原の内だ。

歩くと触れる緑の草は、確かに月光草の若葉です。そしてこの白い靄は、心なしか温かく感じました。

銀兎を探して靄の中を進むと、体中がしっとりと濡れて、ヒゲや毛先に集まった靄は、透明なビーズのようまあるく連なっています。

「おーい、銀兎、やーい!」

だんだん濃くなる靄の向こうに呼びかけると、「やーい、やーい」と応えが返ってきました。

月影は声のした方に急ぐと、白かった靄が薄れてきました。さらに先に進むと、今度はあの香りがしてきました。そうです、月光草の花の香りです。

「ぅわあ!」

靄を抜けると、月光草の珊瑚色の花が一面に咲いていました。

「つきかげー、ここだよー」

手招きする銀兎は、お腹まで池に浸かっていました。

「ぎ、銀兎、落ちちゃったの!? 早くつかまって!」

慌てる月影をよそに、銀兎はのんびりと「大丈夫だよ、この池はあったかいんだ」と、楽しそうに言いました。

確かに池からは白く湯気が立っていました。なるほど、白い靄の正体は、この池の湯気だったようです。

池に手を浸した月影に「ね、あったかいでしょ?」と、銀兎が自慢げに言いました。

「この池の周りは、ほかのトコよりあったかなの。だから、花も咲いたと思う」

二兎は仲良く池に浸かり、温かい水と花の香りを含んだ湯気に、体だけでなく心まで癒されました。


その夜のこと、十六夜の塔ではいつものように月兎たちが、晩の月光花茶を楽しんでいました。

どんなに同じく煎れても、朝と晩ではまったく味が違いました。晩はほんのり甘くて、一口飲むたびに一日の疲れが、ほろほろと取れるようです。

「みんな、変わったことはあったかい?」

白兎が言うと、玉兎はコホンと咳払いをして立ち上がりました。

「懐かしものが見つかったよ」そう言うと、机の上に押し花になった月光草を机の上にだしました。そして屋根裏から月影の水盤を持って来て並べました。

すると水盤の水が揺れ、花は最後の香りを放ちました。

みんなが香りを吸い込むと「久しぶりだね」と、口々に言いました。

その時、月影が「ごめんなさい! 花を咲かせちゃって!」と大声で謝りました。

玉兎は月影の肩を、ぽんぽんと叩いて座らせました。

「花茶にする月光草は、咲いてしまうと良い成分が香りと一緒に逃げてしまうんだ。だからね、蕾のうちに摘んで花茶にする。月影が月に来る前は、半分くらいは花が咲いてしまっていたよ。だけど、今はそんなことは無い。だって蕾は全部収穫されて、月光花茶になるんだからね。だから我らは贅沢にも、毎日、朝晩、そして特別な日にも花茶を飲めるんだ!」

玉兎は花茶の入った杯を、月影に掲げました。

「月影、花を咲かせてはダメ、じゃないんだ。みんな、オマイみたいに全部の蕾を見つけられなかったんだ!」

すると、ほかの月兎も月影に向かって、「ありがとう」と花茶の杯を掲げました。

月影は自分がみんなの役に立てたと、初めてわかりました。

そして、わあんと泣いてしまいました。でも、今宵の涙はうれしい気持ちが溢れたしるしなのでした。


さて、それから、花が咲いた側にあった温かい池は、玉兎が調べると薬のお湯だと分かりました。

「うーん、ずっと前に主様に聞いたことがある『温泉』ってものだと思う」

「ボクも知ってる! ケガが治るんだよね?」と銀兎。

「ケガが無くても大丈夫だよ」と白兎。

そうして時折、月光花茶を持った月兎が連なって月の原を越え、湯治に向かう姿が見られるようになりました。


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