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二つ名の送り主

第一話


二つ名の送り主





パソコンのキーボードにコーラをぶちまけたなんて馬鹿話を聞いたことがある。

厳密には読んだことがある、だろうかな。


だが、マジの吐血を『 H 』と『 G 』の間にドバドバやらかした奴は少ないだろう。

もしいてもエピソードを書いてる場合じゃないわけで。


WEBライティングだけで生計を立てるというのは、楽そうに言われるけれど簡単じゃない。

いや、やってることは難しいことじゃないのかもしれない。


ただ、いつ依頼がなくなるのか、納期を遅らせて評価を落としたら明日が見えない、そんなプレッシャーに削られる精神の状態が普通ではない。

そして強迫観念から限界をとっくに越したタスクを処理するために、時間はいくらあっても足らず、知らぬ間に睡眠の時を失うのだ。


そしていつしか取り返しのつかない致命傷を、体の内部から作ってしまう。

俺の場合は胃潰瘍だった。


丁度、RPGのキャラクタにキャッチコピーを付けてくれないか、という風変わりな依頼の担当者へテストコピーのメッセージを送ったのと同時に、俺の体は限界を迎えた。


病院に行くことも怠って、痛みがヤバそうと感じ始めてからも不摂生は続き、漱石ばりの吐血と急激な血圧低下で意識消失。


誰にも気づかれずに時間が経過し絶命という感じだろうか。


夏、六条一間のアパートで、畳にこたつの布団無し。

時計は15:00を回って南風の入り込む網戸が、栄養剤の瓶に囲まれた俺の体を優しく撫でる。白いノースリーブシャツにパンツ、要は下着だけという貧相な死装束。


最後に送ったメーッセージの相手、『峠の人』というへんちくりんなペンネームを、キーボードに崩れ落ちながらディスプレイの中に見つける。一瞬残った意識が最後に聞いたのは、ノートパソコンが発する不可思議なスパークの、バチバチなる音だった。




自分が死んだ確信を持つというのは、矛盾している言葉だが、他に言いようもない。


目が覚めていく感覚の中で、それはおかしいだろうという悪寒が背中を登っていく。

はっきりと、死後の世界を視覚として捉えることができた。


そこは断崖絶壁の端っこだった。

突き出した足場の先端に自分は立っているのだった。

遠くの方に美しい荘厳な滝が見えている。


見上げるような滝と、それが作り出した地形から、丸く切り取ったような空が広がっていた。厳かな白雲と、滝の直上に光る星のような太陽?

太陽にしては優しい光に見えた。


「いよいよ死んだな」


声を発することができて、体がまだあるというのに気づく。

俺は素っ裸でこんな所に立っていた。


『私の声が聞こえますか?』


突然、どこからともなく、いや、いうなれば滝の真上の星辺りから声が聞こえる。


随分ド派手にエコーのかかった中性的な声だった。

と、同時に、空に白い文字が浮かんで見えた。


『わたしのこえがきこえますか?』


この光景を目にした瞬間、俺はあることを思い出した。


「見たことあるぞ!」


この光景、はっきりと覚えている。

普通こんな体験がひょいひょいあるのはおかしい。

もちろん現実に起こった経験ではないが、日本人のとある世代の男子なら、大抵のやつはこの光景を目にしているのだ!


そう、超メジャータイトルRPGのオープニングで、キャラクタの性格を決める場面と酷似している!


違うのは性格診断を受ける俺が素っ裸だということだけだ!


「ちょっとまってくれ!」


『これから質問をします。


嘘を言ってはいけません。


では始めます』


強引!!


確か、この場面で決まるコンテンツの性格は、主人公キャラクタのステータスに影響するはず。


何個か質問されて場合によっては別ステージに飛ばされ、最後に頑固だのエッチだの勝手なことを言われるやつだ!


準備は良いかとか聞いてくれるはずなんだが、俺に語りかけてる奴は随分冷たい印象だ。


ていうか、死んですぐここなのか?!

閻魔様じゃなくて真理テストマシン?! 全裸で?!


オタオタしていると、胸の前辺りにSFでよく見る空中ディスプレイが突然現れる。

薄い緑色の四角いエリアに『はい  いいえ』と表示されていた。

おそらくタッチパネル形式なのだろうことは見て取れた。


正直、かなり気味が悪いのでディスプレから逃げようと体の向きを変えるが、ラグタイムゼロで追いかけてくる。


そうこうしている間に最初の質問が投げかけられた。


『恥ずかしいですか?』


「うるせえ!!」


このやろう、神様かなんだか知らねぇが半笑いで聞きやがった!

しかも、押してもないのに はい が勝手に選ばれている。

そりゃ恥ずかしいさ全裸だぜ?!


『んふふふふ』


この野郎おお!

普通に笑いやがるとはありかそんなの?

こんな事ができる神様的なやつがそんなノリで良いのか?


俺を担当してる天の声の性格にはかなり問題がありそうだと察せられたが、そんなことに付き合わずにチョット真面目になっていく。


なんたって、死んだことは本当なのだ。


つまりこの後には何かが待ってる。

もし、本当に例のゲームの世界に行かされるんなら、ここでの振る舞いはかなり重要だ。

ゲームなら適当に勧めても最終的には大きな差が無い遊びコンテンツでも、ガチで生活に関わるなら、最強の性格の入手を目指すのは当然だ。


真面目な顔をして次の質問を待つ。


『あ~笑う』


くっそタレが早よ聞けや次を!


『これまでに満足してますか?』


急にまともな事を聞く。

考え出せばそこそこ奥深い疑問だろう。

死んだときの状況だけを照らせば不満だ。

だが人生がどうであったかはイコールではない。

生を受け、自分なりに生き、喜びも悲しみも得た。

小市民ながら満足のいく一生ではなかったのか?


空中ディスプレイで人差し指が左右に2往復するくらい迷い、勝手にいいえが選択される。


「は?! ちょちょちょっ」


空に光る太陽もどきにこっち来い的な手の動きで静止をかけるが、全く相手にされない。


『得意なことはありますか?』


「はい!」


このままでは全ての選択肢が勝手に選ばれてしまう、そんな恐怖にかられて俺は咄嗟にはいをタップする。


『しばらくお待ち下さい』


職業にしていたくらいだ、ライティング能力ならそこそこ……でもファンタジーな場所でその能力が何の役に立つというのか?


呪文の文字起こしくらいはできるかもしれん。

天の声が日本語だから其のへんは大丈夫なはずだ。

だがワープロもカセットテープもなかろうから、まずはツールに慣れねばなるまい。


今更ながら安易な選択に大きな不安がつきまとった。


1,2分経っただろうか? 突然さっきまで白い文字が浮かんでは消えた空に、意味不明の文字列が走り出す。


結局俺の結果は何になったの?

私にはわかります、って勝手に決められるはずなのに、何も言ってこない。


滝の上に光る星を通るように、真横に、世界を上下に分断するように一列表示されたかと思うと、視界の端から縦横無尽に無数の文字列が世界を覆うように伸びていく。


一つ一つの文字は絶えず変化し、俺の意識までも明滅させるようだった。

いつしか視界は完全に文字で埋め尽くされてしまう。


足元の地面も姿を消し、ただ中空に自分が存在している不思議。


それは、全方位に無限に広がった文字の空間。

こんな事になっているのに、不思議と俺の意識は明瞭で、焦りも不安も有りはしなかった。


もう死んだという吹っ切れからだろうか?


もう一つ、自分に起こる変化を感じ取る。

明滅している文字が、瞳に映るたび、自分の中に取り込まれて消えていく。


生物的でなく、無機質な、心臓が動くのと似たように、勝手に、機械的にそれは進んでいく。

最後の一文字まで俺の中にインストールされた時、また意識が途絶えたのだった。




次に目を覚ましたのは、いつもの部屋の中だった。

すぐさまにはそれもはっきりしなかった。

天井の木目が見え、段々とここがどこだったかを意識が確認し始める。


ノートパソコンの上に突っ伏したはずだが、いつの間にか仰向けになっていた。

あれからどれくらい立ったのだろうか?

体は動くのだろうか?


口の中に血の味がしないのは何故だろう?


いろいろな考えが巡るが、とりあえず動いてみる。


「ぐっふう」


少し動くだけで腹部に強い痛みがある。

息を止めて何とか身を起こすと、部屋は意識のとんだ日の状態であった。


この状況はどう考えても腑に落ちない。


ぼやけた目でもはっきりと分かる。

ノートパソコンには血液の一欠片も付着していないのだ。


「腹は確かに痛いのに、どうなってんだ?

夢にしては記憶がはっきりしてるんだが……そういう病気?」


ぼやけていた視界が次第に戻り、狭い部屋を眺めて、言葉に出来ない不安を覚える。


見慣れた白く小さな冷蔵庫、ほとんどつかない32インチの薄型テレビ。

流石にブラウン管は卒業していた。

何が不安を駆り立てるのか?

思い至るまでに時間は要さなかった。


締め切られた窓が目に入った時、一瞬自分が囚われているような感覚を覚える。

それは鳥肌になって首筋を走った。


「お、おいおい」


死んだかと思った時、たしかに網戸から夏の風が入り込んでいたのを覚えている。


「お気付きになられましたね」


背後に聞こえたしわがれた女の声。

咄嗟に振り向こうと体をねじった時、腹部の痛みが体を縛り付ける。

畳の上にくずおれながら、それでも其の女から目を離す分けにいかなかった。


「んっぐぅ何なのお前はぁ」


涙が溜まる目で捉えたのは、コスプレとしか思えない出で立ちの婆さんだった。

よく悪い方の魔法使いが来てるフードのやつだ。

黒ではなく落ち着いたネイビーブルーの生地に、やたら細かい刺繍が縁取ってある。

目元が隠れて暗がりの中から、まん丸の大きな目が覗いている。

おかしなことに愛嬌があると感じた。


両手でしっかり水晶玉を抱えていた。


婆さんは座ってるのかと思ったが、俺の方に近づいてくる様子を見るとどうやら立っているらしい。

服に隠れるほど足が短いのか? ホバリングするように俺の方へやってくる。


「怖い怖い、何だよ本当に」


何だこの異常事態は?

さっきの夢の続きなら、こういうキャラクタがいても良さそうだが、ここは俺の部屋だ!


「あなたに救いを求めて参りました」


むちゃくちゃベタな事を言うが、俺はビビって何も出来ない。


「な、なんだよ、俺はどこへもいかんぞ。

ていうか不法侵入もいいところだからな」


虚勢を張るのが精一杯だが、携帯の位置を確認するくらいは出来た。


「共に来ていただけないのであれば、あなたの命は長くて明後日まででしょう。

持参した回復薬は完全な能力を得られませぬ。


この世界ではね」


いやぁあ聞きたくない! この世界ではっ言わないで!


普通なら頭の中ふっとんだ人が、ふっとんだごっこ遊びしてるんだろうと冷静に警察を呼ぶが、吐いた血が消えたり妙にリアリティある夢だったり、不思議体験だらけで信じそうだ!


しかも死ぬんかいやっぱり!


「かろうじて出血は止まっておりましょうが、湯葉が張り付いたようなもの。

腹の中は穴だらけ、立ち上がるだけで再び血があふれることも有りましょう」


「救急車を呼ばしてもらう!」


振り向いて布団のないコタツの脇に転がっているスマホに手を伸ばそうとするが、バチバチとスパークして画面が弾け煙を上げる。


「なりませぬ!!」


動いたせいで再び盛大な痛みが襲ってきたが、また涙目でこらえて婆さんを見た。


「お、お前ぇ」


婆さんが手をかざした水晶玉が浮かんで、光っている。

こいつがなにかしやがったことは明確であった。


「みなされ。

運命は動き始めておる。

スマホも勝手に弾けましたわい」


スマホ?! 急に異世界の人説を否定するようなワードに思わず突っ込む。


でも水晶浮いて光ってるし!

流石にマジシャンの線はないだろうし!


「よろしいかな。

ワシと一緒に来てくれれば、向こうの世界で回復薬を用いて腹を一辺に治せるんじゃ。


その傷はもはや単なる胃潰瘍ではない」


胃潰瘍とか言うし、ちょいちょい調子が来るう。


「あ、あんた誰なの。

胃潰瘍とかどこで仕入れた話なの」


「ふむ。

ワシの名はジワリー。

ヌシには『峠の人』といった方が通りが良いかな?」


峠の人、と言えば俺が最後にコピーのテストを送った相手じゃねぇか?!

たしかRPGのキャラクタの二つ名を付ける仕事……


シナリオライターがせえよ、と思いながらやったあれだ。

メッセージを送信した瞬間に、俺は吐血して意識が飛んだのだ。


「あ、あんたがパソコンで俺に依頼を出したわけか?!

クラウドソーシングのサイトを使ってか?!


年を考ええよ!」


「そんな小さい事を叫んどる場合ではなかろう?

さっきから動き回るもんじゃから腹の中はもっとやばくなっとる。


そろそろ血がこみ上げてもおかしくないぞ。」


水晶玉を浮かせて俺の前に持ってきながらジワリーは言う。


「ええか。

ワシと一緒に来てちょっとした依頼を片付けてくれぇ。


そうしたら腹をすっかり直してやるから。

一瞬じゃ。

苦いのをチョット飲むだけで前より健康じゃ」


腰をさすりながらまた俺に近づいてくる。


「お前さまの腹はな、ワシがここへ来るが為に時空を歪めた影響と、持ち前の胃潰瘍で壊れたんじゃ。


ワシじゃって予定外にも程があるのじゃ。

護身用の一番いい回復薬をつこうてしもうた。


ここの医療技実は凄まじいが、お前さんの腹は絶対なおせん。

時空のシワを伸ばすなんてできんじゃろ?

ワシの世界に来てくれたら、自然と時空のシワが治ってあとは傷だけじゃ。

他に生きながらえる手は無いのじゃ」


「つまり、全部あんたのせいということだな婆さん。

その上そっちに行って仕事をしろだと?!


むしろ慰謝料をよこせ、慰謝料を!」


暗がりの中の目がうんざりしたように細まった。


「仕方のないやつじゃな。

確かに死に損ないにしてしもうたのはこちらの不手際かもしれん。


では、共に来てくれるなら最も権威ある称号をくれてやる。

こちらで言うところの石油王の証みたいなもんじゃ」


何だ其のネット商材みたいな怪しいやつは?!

そんなもんで死ぬかもしれんというこの事態の代わりにしろというのか?


「何度もいうが、来ねば死ぬんじゃ。

ワシも連れて行くやつを探し直すしか無いわい。


ええかげんに決めぇ」


こ、怖すぎる!

一か八か救急車にかけたいのにスマホがねえ

そして目の前で浮いて光ってる水晶をみると、異世界とやらは本当なのだろう。


一体、俺は何をやらされるんだ?

婆さんは簡単な依頼といったが、そんなはずはないのだ。


簡単だったらその世界のやつがやりゃあいんだから!


だが、確かに、鉄の味が段々と口内に広がりつつあったのだ。


「わ、わかった。

行ってやる。


だが、帰せよ!

すぐだぞ!

絶対だぞ!」


「頼みが解決したならすぐにでも帰れるわい

ワシがここに来ておろう?

道はあるんじゃから」


婆さんはホッとしたのか少し明るい声でそういった。


再び水晶に手をかざして、指でポンポンタップする。


「そ、それタッチパネルなんか」


「覗くんでない、失敬なやつじゃ」


「フィルム貼れフィルム」


「売り切れじゃったんじゃ」


婆さんが最後のタップを終えて、ジジジ、とハードディスク的な音がしたと思うと、一瞬激しく輝いて、中央辺りからディスクが一枚排出される。


「ええ……」


「がっかりすな。

こっちの世界に合わせにゃ何事もできんのじゃ。


全く面倒なことじゃ」


婆さんは俺の体を避けながらノートパソコンに向かい合う。

先程のディスクを挿入するようだ。


「商売道具に何をする気だ?

使えるようにしといてくれよ」


「わかっとるがな。


さて、いよいよじゃ。

水晶で見たら腹が大分まずいようじゃからちと急がんと」


パソコンはディスクを正常に食ったようで、自動展開のインストーラが起動していた。

婆さんはホストと表示されたエリアに『峠の人 ジワリー』と打ち込む。


目的地のエリアに『ネーベン』と。


完璧なブラインドタッチがどうもがっかりする。


続けてゲストのエリアに俺の名前を打つようだ。


「名前がいるのか?」


心はもう諦めて従っていた。

今死ぬよりはマシだろうよ、どうなるにしても。


「お前さんの向こうでの名前は、『ステイ』とでもせい。

適当で良いのじゃから」


「ハンドルネームは『平原』だぞ」


「いいや、違う」


言うと婆さんはキーボードを叩く。


『原書命銘典 ステイ』と。


「秘匿されたる名を所管するもの、それこそが貴公の渾名じゃ」


そして忘れ得ぬ、あのエンターを叩く音は、静かに放たれた。

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