味噌汁
「ひなー。朝ごはん、出来たぞー」
「はーい」
ドタドタと二階から比奈美が降りてくる音がした。十秒と経たずにダイニングにやって来た比奈美は、既に中学の制服に着替えていた。いつもは寝坊する癖に、こういうときだけはしっかりしている。
「今日は入学式だから、ちゃんと食ってけよ。腹鳴ったら恥ずかしいぞ」
「分かってるってば!」
二人がけの小さなテーブルに、二人分の朝食をのせる。
白米と焼き魚、野菜も必要だとほうれん草のお浸しを冷蔵庫から取り出してラップを外す。それから、朝と言えば味噌汁だ。
代わり映えしない食卓に、比奈美は不満そうだった。
「いつもと同じじゃん。せっかくの入学式なんだから、もうちょっとぐらい豪華でも良いのに......」
「こういうときはいつも通りが一番なんだよ。下手に豪華にして腹でも壊したらやだろ?」
「そもそもお腹壊すようなもの出さないでよ」
比奈美は文句を言いながらも食卓に着く。トントンと、人差し指でテーブルを二度叩いて飲み物を催促した。
「心配要らないよ。ちゃんと考えて作ってるから。話題の健康レシピだ」
「検診に引っ掛かったからじゃないの?」
「何故それを!?」
うちの娘は相変わらず手厳しい。
比奈美お気に入りのマグカップに牛乳を注いで手渡した。
俺は向かいに腰かけ、両手を合わせる。律儀に俺を待っていた比奈美もそれに倣った。
食事は一緒に取るというのは、随分前に決めたルールだ。うちは母親がいない分、食事くらいは一緒に取ってやろうと思う。父親にしてやれることはこれくらいしかない。
「「いただきます」」
焼き魚から始まり、お浸し、白米と箸を進める。いつも通りの慣れた味だ。普段の事で、いつしか美味いかどうかについて深く考える事はなくなったが、今日は焼き魚が上手くいったようだ。
「ねえ、この味噌汁......」
「ん? 薄かったか?」
俺は必ず朝食には味噌汁を出すようにしている。俺がまだ子供の頃、お袋がそうしてくれたように。
もし、出席票があったなら味噌汁だけは皆勤賞を取っていることだろう。
少し薄目の大根の味噌汁。具は入れすぎないのがポイントだ。
かつての俺は薄いとか少ないとか文句を言っていたが、今じゃこれがないと俺の一日は始まらない。
その懐かしさを噛み締めながら、現実に意識を引きもどす。
やはりうち秘伝の味噌汁は子供舌には薄いらしく、比奈美にもよく文句を言われたものだ。だから今回もどうせそうだろうとたかを括っていたのだが──
「ううん。美味しくなったなと思って」
「......そうか。よかったな」
いつからだろう。俺がこの味噌汁を美味いと感じるようになったのは。いや、はっきり覚えている。社会に出て直ぐに、困難だらけの日々が嫌になって実家に逃げ帰った時だ。
何も言わずにお袋が出してくれた味噌汁が美味くて、涙が出かけた記憶が脳裏にありありと蘇ってきた。
どうやらうちの娘は、俺が思うよりもずっと早く成長していたらしい。親としてそれを嬉しく思う反面、少し寂しくもある。
糊の効いた新品の制服に身を包む比奈美は、とても大きく大人びて見えた。