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 店のカウンターの端に電話の子機を戻すと、紬は割烹着の裾をくしゃくしゃとつかんだ。

 紬は結局着替えずに、制服のまま割烹着を羽織っている。瑠璃のリクエストで、割烹着を着せられた。古風なおさげに良く似合う。

 電話は風子からだった。幾島先生がここに来るという。紬は冷蔵庫を開ける。たしか、さわらの西京漬けがあったはず。卵焼きも作ろうか。それと、剥き終えたばかりの豆を少し拝借して……。

「つむ、ごはん作るの?」

「うん、ええと、急なんだけどお店にお客さんがくることになったって。風子さんが」

「そうなんだ」

 カウンターに座る瑠璃が、広げていたスケッチブックから顔をあげる。

 開店前の風子の店には、紬と瑠璃が二人きりだ。瑠璃とふたりで開店準備をして、ひといきついたところだった。小さな店だから、準備もすぐに終わる。

「あーあ、絵を描く時間は終わりにしなきゃ」

 瑠璃はしぶしぶスケッチブックを閉じ、ノートをとり出した。紬は肩の力をぬく。

「そんなあからさまにほっとしないでよー。若女将さん」

「だって、やっぱり描かれるって緊張するよ」

 小学校の先生二人も、瑠璃に面と向かって描かれたら緊張するんじゃないだろうか。

「もっと描きたいけど、部のこともあるしなー」

 瑠璃は演劇部に所属していて、夏休みに行われる公演のアイデアを練っていた。

 瑠璃はせわしげに腕時計を見て、ノートを見て、紬を見る。

「もうすぐ風子さんも来るから。瑠璃ちゃんは演劇部の打ち合わせでしょ?」

 打ち合わせは、商店街の中のファーストフード店。下校途中の高校生でにぎわう店だ。

「そうなんだけど……私、料理できないけど、もうちょっとだけここに居るよ。打ち合わせ、近所だし。副部長としては、なんかいい案出さないとね」

 二人の通う学校は演劇部がそこそこ有名だ。演劇部としては強豪校ではないのだが、夏休み前後に近隣住民に向けての公演が人気だからだ。売り上げを寄付にするこの公演には、毎年学校の講堂に入りきらないほどの客が来る。古い講堂の空調設備は壊れていて、ここ数年は初秋に開催されることが多かったのだが、今年なんと突然空調が修繕されるどころか新調されることになった。さらに驚くことに、どこかの篤志家からの寄付だという。演劇部のおかげだと、もっぱらのうわさだ。そういわれてしまうと、演劇部としても否が応にも力が入るし、自然と公演は夏休みとなる。

 この時期の演目は子どもたちにも見てほしいと、いつも童話と決まっている。決まった演目だと目新しさがない。かといって伝統を壊すことも急には難しそうだ。そんなわけで瑠璃はここ数日、頭を抱えていた。

「何か少し、いつもと違う何かをやりたいんだよね」

 瑠璃はその可愛らしさに加えて度胸もあってか、副部長にして看板女優だ。なので、ことさら頭をひねっている。

「宝塚みたいな……男同士の恋愛とかさあ」

「瑠璃ちゃんそれは、宝塚じゃないよ」

 女子高の演劇部、当然女子が男役をやるから、すでに宝塚のようなものである。

 二人は顔を見合わせて笑う。

「衣装面では、家庭部部長、よろしく頼むね。急な依頼しちゃうかも」

 評判のいい衣装は、家庭部の助力あってこそだ。これも毎年恒例のことである。

「家庭部っていっても、弱小だけど。精一杯応援するから」

 紬は小鍋に湯を沸かしながら、瑠璃を見る。眉にしわを寄せている瑠璃は、忙しい時間を削ってここに居てくれている。

「つむ、このごろ元気そうでよかった」

 唐突に、瑠璃が言った。瑠璃はコーラの入ったグラスのストローをいじっている。

「そうかな……そうかも。瑠璃ちゃんのおかげ」

 「ありがとう」と言うと、瑠璃はにへへと笑った。

「なんでも言ってね、私でよければ」

「うん」

 母親を喪ってから不安定な自分を心配してくれているのだ。気遣いが、とても嬉しい。

「瑠璃ちゃん、あのね。私のお父さんってもしかしたらだけど」

 嬉しいからか、紬の口からびっくりするほどするすると、言葉が出た。

「なんていったらいいか……それなりに有名な人かもしれない」

「え、そうなの?」

 瑠璃が驚きの声を出す。紬はうなずいたが、その先を話すには迷いがあった。だからつい、話を変えてしまう。

「えっと、それとね。さっきの電話、先生が来るって。風子さんから」

 紬は魚を焼きはじめる。瑠璃はちょっと戸惑った顔をして紬を見る。

「瑠璃ちゃん、お父さんの話は、もっとよく分かったら、いつか聞いてね」

「うん分かった、その時はいっぱい聞くよ」

 しばしの沈黙が訪れる。

 紬は手際よく動く。さわらの味噌が焦げるにおい。今度は卵を溶いて、熱したフライパンに少しずつ落とす。

「ここに来る先生ってさあ」

 瑠璃は紬に出してもらったコーラを勢いよく飲んだ。空になったグラスの氷が、涼しげな音をたてる。それから思案顔で形のいいあごをさすった。彼女の少しおどけた仕草で、雰囲気が変わるのが分かる。紬は心の中で瑠璃に礼を言った。言葉に出すと、せっかくの瑠璃の気遣いを無駄にすることになる。

「……高校の、じゃないよね。つむ優等生だし。なんかやらかしたりしないし」

「優等生なんて、そんなことない」

「まあまあ、それは置いといて。今日はいとこ君の家庭訪問。ってことは、もしかして」

 瑠璃は芝居がかった表情で、厨房の若すぎる女将さんを見た。「のっぽ先生ではないかね、ワトソン君?」

 大げさな身振りで、瑠璃は紬を指差した。さすが演劇部看板女優、その仕草は堂に入っている。

「正解ですホームズさん、幾島先生が今から来るって。風邪気味みたいで、なんか用意してあげてって、風子さんが」

 紬は狭い厨房をうろうろと行き来した。どうしよう。今更気づいたが二人きりになってしまう。紬はつい店内のテレビをつけた。刑事ドラマの再放送は、もうすぐ犯人が分かりそうな展開だ。

「いいなあ、私ももう少し居られれば会えたのに。つむ、二人きりじゃん」

 紬の気持ちを察したわけではないだろうが、タイミングよく瑠璃が言う。

「ご飯出すだけだよ」

「男性に手料理食べてもらうなんて、なかなかないよー。……ま、私は料理出来ないけどね」

 たはは、と瑠璃が自嘲気味に笑う。

 そういわれると、急に献立が気になってくる。豆ごはんとみそ汁と卵と魚では、質素すぎるかな。瑠璃はフルーツも出すことにした。

「瑠璃ちゃん、いちご食べる?」

「ううん、いいよ。コーラもいただいたし、この後もあるから」

 女同士の気軽さで、瑠璃が軽く息をつく。それは『けふっ』という音の、ほんの可愛らしいものだったが。もちろん、口に手も添えられていたのだけれど。

 そんな時にかぎって、人が来る。

「こんにちは……もうこんばんはかな」

「わっ」

 瑠璃が慌てて口を抑える。それから乱雑に筆記具をリュックに押し込んだ。

「幾島先生こんばんは、じゃあ私行くね!」

 リュックを背負うと、瑠璃は慌ただしく出て行った。入れ替わりに、隆光がまだ引き戸の内側にかけられている暖簾をくぐる。

「邪魔しちゃったかな? それと開店前にごめんね」

 瑠璃のいわゆる『げっぷ』は、隆光には聞こえていないようだった。

「ああ、ええと、先生こんばんは、どうぞ」

 瑠璃のあまりの素早さにあっけにとられていた紬は、我に返ってカウンター席を隆光にすすめ、おしぼりを渡す。

「なんだか朝ごはんみたいな感じになっちゃったのですが」

 ご飯やみそ汁を隆光の前に並べながら、紬が言い訳する。隆光は「そんなことないよ」と早速箸を持った。

「ちょっと風邪ひいてるんだ。これくらいの感じが有難いな」

 いただきます、と早口で言うと、隆光は大きな口をあけてどんどん頬張る。見ていて気持ちがいいほどの食べっぷりだ。

「先生、やっぱり少し物足りないですか?」

 お茶を出すと、隆光は頷く。

「すごくうまいんでさ。できたらおかわりしていい?」

 目が合うと、紬はつい逸らした。

「もちろんです」

 差し出された空の茶碗に多めにご飯を盛ると、そこで会話が途切れる。

 テレビはいつの間にかドラマが終わって、ニュースが始まっている。今日の大きなニュースは政治関係らしい。ボリュームは落としてあるので内容は分からない。画面の中を厳しい顔をした集団が通り過ぎる。入っていく先はどこだろう、大きな建物の玄関がうつる。

 紬は近頃ニュースに詳しい。テレビはあまり見なくても、毎日新聞を読んでいる。これは今日の新聞に載っていた記事のことだろうか。

 難しい顔でテレビに見入っていると、隆光から声がかかる。

「紬ちゃん、来年受験だっけ?」

「えっ、ああ、そうですね……進路はまだ決めていないんですけど」

 お姉ちゃんが遺したお金があるから、紬ちゃんは心配しないで。風子がそう言っていた。それでも忙しくしている風子をみると、進路を迷ってしまう。やりたいことも見つからない。

「急にどうしてですか」

「女の子が夢中になるようなニュースじゃないから。時事問題の受験対策かなって」

「そういうわけじゃないんですけど」

 短い会話のあいだに、ニュースは違う話題にうつっている。紬はテレビから目を離す。店の端にあるテレビをいつの間にか真剣に見ていた。重い眼鏡を乗せた鼻筋あたりが、どっと疲れる。特定の人物を見ると、どきどきしてしまうのだ。

 隆光は満足そうにご飯をかき込んでいる。紬の感情には気付かないようだ。

(ほんとに美味しそうに食べてくれるんだなあ……)

 味をつけたのはみそ汁と豆ごはんと卵だけだが、やっぱり嬉しい。

 このひとが私に、力になりたいと……そう言った。

 ちょっと呑気そうだが、いいひとだ。本当に、頼っていいだろうか。私の突拍子もない話をきいても、嫌な顔をしないだろうか。

 聞いてもらえるだけで、この気持ちがやわらぐ気がする。

 紬はおさげの片方を、自分でも気づかぬうちに握りしめている。

(そうだ、問題を抱えているのは紬じゃない)

 隆光が心配してくれている相手は『月子』だ。月子の相談をすればいいんだ。

 ああ美味しかったと、隆光が箸を置く。紬はおずおずと、でもはっきりと口をひらく。


「あの」


 そう言ったのは、ふたり同時だった。


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