第四章 三十
”効果は数刻しか持たない。その後は指一本動かせなくなるぞ”
黄金〈メルキオ〉と乳香〈バルター〉を使い、治療してもらった時に聞いたロジエの忠告が、こんな瞬間に訪れるなんて。
先程からしびれていた右手は、ブブキの攻撃のせいでは無く、これの前触れだったのだ。
私はハイドラに身を重ねて、せめてこれ以上傷付けられないようにかばうことしかできない。
神宮本殿が連続した軋みをたてて外側へと傾くと、二人の身体は何もない宙空へと引きずられて行く。
もはやこれまでか。
この迷宮に来て何度か死を覚悟したが、今のこの状況は、自分もハイドラも立ち上がる事さえ出来ず、逃げ場もなく助けも来ない。文字通り絶望的としか言いようがなかった。
「残念だけど、そろそろお別れの時間よ。せめてアタシがその苦しみから全員救ってあげるわ。ホホホホ!」
怪人ブブキは、己が一人の勝利を確信し高嗤う。そして岩蝕で変わり果てた身体を投げ出したままのルルディの側に立ち、曲刀に手をかけた。
「アナタももうそんな醜い姿では生きていたくないでしょう?」
憐れみか、侮蔑か。救いの手に見せかけた凶刃を、少女へ振り下ろそうと掲げる。
……
「私……は……」
……
その姿から生死の別が不明だったルルディが、怪人の問いに声を発した。
……
「私は……生きたい……お母さんの分まで……生きて、殺してしまった人達の……何倍もの人を救う……私にできる……せめてもの償い……」
……
ルルディは泣いていた。
残された左眼だけで大粒の涙を流し、ぬぐおうともしない。
手も、足も、顔も、破れた服の間から見える肌の全てが、呪いによって醜く変えられていても、それでも彼女は生きたいと願った。
「それは残念ねえ、アナタはここで死ぬの。そこの二人もすぐに葬送ってあげるから安心して死になさい」
軋みをあげて建物全体がさらに傾く。
重なった私達二人の体も引きずられ、足先はすでに宙に浮いている。
わずかに 残された力で、それを阻止しようと床を掴むが、自然の法則はだれであろうと容赦はしなかった。
「オルヒア……さん」
「ハイドラ!何かをつかめ。このままでは……」
ハイドラは背中の痛みをこらえて、どうにか目の前にあった割れた床板の間に手をかけると、ようやく二人の移動速度は鈍化した。
そしてその時、わずかにほっとした私の目の前を、軽い音をたてて何かが転がっていった。
記憶の底にあったそれは間違いなく……
私はとっさに思いついた髪の毛ほどもない可能性に賭け、声を張り上げる。
「ルルディ!右手を上げろ!爆弾を落とせ‼ 」




