第一章 十二
神代聖薬師 大黒屋ニエベ
僕はとっさに、その言葉を飲み込んだ。
そんなバカな……大薬師神宮にいる神職の頂点、数百の薬師束ねる聖薬師が、神の前で隠し事など……
いや、それよりもこの薬師の里にいて、絶大な力を持つ聖薬師に睨まれば、まともに行きていけるはずがない。
『解呪霊薬を作るということは、ウーヴァ殿の死の真相に近づくという事じゃ。その覚悟がないなら、この事は忘れて二度と口にしないことじゃ』
先ほどまでの高揚感はすっかり影を潜め、今自分が立っている岐路の危うさを思うと、膝の震えが止まらなかった。
薬師に里は比較的平和な場所ではあるが、年に何度か罪人の処分が立て札に記される事がある。そのほとんどが聖薬師の定めた掟を破ったとして死罪を言い渡されている。どんな微罪であろうと聖薬師の逆鱗に触れれば死は免れないのだ。
『小僧、今ここでお前が背を向けたところで、誰も責められん。ワシとて同じよ。ニエベを恐れて、ウーヴァ殿の死に疑問を持ちながら口をつぐんでおったのじゃからの』
もし僕が、何らかの理由をつけられて捕まれば、親方やオババにまで累が及ぶかも知れない。
それに何十何百といる役人や、あの闇蜘蛛ブブキから、ルルディを守りながら迷宮を旅するなんてとてもできそうに無い。
もっと僕が強ければ……あの女剣士みたいに強ければ……
ぐるぐると出口のない逡巡を繰り返していると、ルルディが僕の腕を軽く引いた。
「ハイドラ、ここでお別れしよう」
彼女は潤みのある金色の瞳で僕を見る
「で、でも……ルルディキミ一人では……」
「一人じゃない。ロバロがいる」
鬼装を患う右手で僕の襟を持ち、小さな体を精一杯伸ばして顔を近づける。
「ワタシ、人間がとても怖い。何を考えてるか分からないし、うまく話せない。でもハイドラはこわくない」
風がそよぐとすぐにでも消えてしまいそうな声で、必死に想いを伝えようとしている
顔は紅く、手は震えていても、その瞳は真正面から僕を見つめていた。
「手を差し伸べてくれたこと、すごく嬉しかった。だから……ありがと」
!
ルルディの唇が僕の頬に軽く触れ、その熱が僕に伝わって来る。
「バアちゃん男の子はこうしてあげると喜ぶって言ってたから……私にはあげられるものは何もない。だから……せめて……おれい」
ルルディの突然の行動にどう反応していいか分からず、ぼーっとしている僕を残して、彼女はふわりと身体を離しぎこちない笑顔を作る。
そしてそのまま身をひるがえすと、小屋の隅で座り込むロバロの元へ行ってしまった。
ルルディは、母親の死を聞かされてなお、危険で困難な道を進むことを諦めてはいない。あんな小さな身体の、どこにそんな勇気が秘められているのだろう。