第一章 七
豊穣の恵〉亭は、収穫者〈ハーヴェスト〉が収穫して来た野菜や植物を仕入れている。元収穫者の親方の人脈と人望で多くの人に愛されて来た。
僕は、父さんが生きていた頃から親方の所で働かせてもらっている。
今は冬季で多くの地域で野菜が採れないので、一年中狩が可能な永久迷宮では今がまさに農繁期なのだ。
つまり、〈豊穣の恵〉亭の奉公人であるハイドラがこんな時間に荷車に野菜袋乗せて毛長牛に引かせて移動していても、何ら不自然な行動ではないワケだ。
〈豊穣の恵〉亭と所有を表す印章の入った大布の下に女の子を隠している事以外は。
「引いた事はないけど、大丈夫と言ってる」とのルルディの言葉を信じ、僕はロバロに荷車を引かせて、脱出を試みることにした。
店から通りに出て、喧騒を抜けなくてはならない僕の長屋ではなく、反対方向へ行けば逃げ果せる可能性が出てくる。
先ほど見たルルディの右腕。僕は彼女がアレを治療しにここへ来たのではないかと考えていた。であるならば、これから逃げる先にその手助けしてくれるかもしれない人物がいる。
ガロゴロと重苦しい音を立てて、荷車は通りへと現われ出でる。店の右手方向ではほんの15間(27mほど)先で役人が集まって屋内の検分をしているのが見える。
僕らはそれらを背に左方向へ折れ、焦る気持ちを抑えつつ一歩一歩着実に安寧陸塊へと歩みを進めた。
「おっ、ハイドラじゃねえか」
突然に裏路地から声をかけられ、心臓が大きく脈打った。暗がりから現れたそいつは、ニヤニヤと口元を歪め、手にした棍をもてあそぶ。
「トレボル……さん」
嫌な役人に見つかってしまった。
大薬師神宮には、ここを警護する役人が多数いる。
それは掟を守らせ、違反者を取り締まる為だが、三十年前に今の神代聖薬師、黒牛ニエべに代わってからその掟は厳しくなる一方だという。
聖薬師ニエベは今まで不治の病とされていた病気も、その霊薬でたちどころに治療してしまうような高名な薬師だ。
その名は遠く国外のまで届き、ニエべの霊薬を求める人は後を絶たない。
しかし大薬師神宮では、より多くのより良い薬を作るために、という理由で多額の納金を求められている。
その為ここでの掟はすごく細かくて、迷宮に入るための〈奉納料〉とか収穫量に応じた〈税金〉とかもきちんと決まっている。
しかしそれを取り締まる役人にはお金に汚いヤツが多く、賄賂や略奪を行う者や、犯罪をでっち上げる者もいるほどだ。
今、目の前にいるトレボルという男も、その例に漏れず役人として立派な小悪党だ。
顔を会わす度に、難癖をつけて金や物を要求してくる。酒に酔っては暴れて喧嘩をする。まさに街の厄介者、嫌われ者だった。
「こんな時間まで仕事とは感心感心」
「何かあったんですか? 」
「門破りの犯人探し。寒いのにいい迷惑だぜったくよ。そういやオマエ明日、迷宮に入るんだって?たっぷりと稼いで来るんだろうな」
トレボルは僕と話しながら、荷台の野菜袋をチラチラと見ている。
「そんな。僕なんてまだまだですよ」
わざと恐縮して見せるが、僕にあまり余裕はない。
心臓の鼓動の一回一回に大きく頭を揺さぶられるようだ。
門破りの事を疑われてはいないだろうけども、何かの拍子に大布をめくられたら一巻のおしまいだ。
「オマエが犯人だとは思っちゃいないが、万が一って事があるからよ、協力してくれよ。大変なんだぜ? こんな時間にこき使われてよ、腹は減るし金は無えし腹は減るし……」
そう言うとトレボルは荷台の大布に手を伸ばそうとする。
「トレボルさん! 」
咄嗟に叫んだ声にトレボルは一瞬怯んだが、取り繕う様に目を見開き、威圧しようとする。
僕は下を向いたまま、無言で荷台の大布の下から野菜袋を二つ取り出し、トレボルの前に差し出した。
「おっ、二つも悪いな。じゃ気を付けて帰れよ」
小悪党はすいた歯を剥き出しにして、精一杯の作り笑いを掲げ、野菜袋を受け取った。どうやら目くらましに上手く騙されてくれたようだ。
僕は表情を固めながらも背中から緊張が氷解していくのを感じていた。
「お待ち」