第一章 五
もちろん間違っても女の子に怪我をさせる訳にはいかないので、しっかりと抱きしめたまま走るのだが、それにしても軽い! 何だろうこの軽さは! とても人ひとり抱えているとは思えない。僕が勝手に勘違いしているだけで、実は綿とか羽根を抱えているんじゃないかと本気で疑ってしまう。
し、しかも細いのにすごくふにゃふにゃして柔らかいし、なんだかいい匂いが!すごくイイッ匂いがする!
走っているからなのか、恥ずかしいのか、僕はひとり溶岩みたいに顔を赤くして雪道を疾走して行った。
「親方! 親方っ! 」
僕は叫びながら先ほどまで働いていた食堂に飛び込んだが、そこにいつも頼りにしている髭だらけの笑顔は無かった。
「ッそ! 」
後ろを振り向くと、黒い塊はすぐそこまで迫っていた。女の子を降ろしてから引き戸を閉めていては間に合わない!
とっさに足で戸を蹴飛ばすが、黒い塊は引き戸に激突して倉庫全体を揺らし、天井の埃を残らず頭の上に降らせた。
「牛……? 毛長牛だ 」
外れかかった引き戸には巨大な黒い塊、毛長牛の頭が挟まっていた。
「ロバロ、そのまま待つ」
小さく、霞がかかった穏やかな声が流れた。
すると不思議なことに先ほどまで鼻息荒く興奮していた黒い塊は、しぼんでいく風船の如く急におとなしくなった。
いつの間にか腕の中で身を起こした少女は、どんな術を使ったのか、自分の数倍はあろうかという毛長牛をいとも簡単に落ち着かせてみせたのだ。
僕は口をだらしなくあけたまま、女の子と毛長牛を交互に見て、何が起こっているのか理解を超えている事態に呆然としていた。
「あの……もう、降ろしてくれ下さい」
「あ……ごめん」
雲か霞かと思える彼女の小柄な体をゆっくりと床へと降ろす。顔が近くて僕の顔が赤いことを悟られてしまうのではと、ささっと二、三歩離れる。
一方彼女も、外套の頭巾を深くかぶり直し、倉庫の中へ入って来た毛長牛を、なだめる様に撫でて身を寄せる。……何だか気まずい空気が流れた。
「お姫様抱っこ……都会はススんでますね」
「?? は、はい。 そ、その毛長牛は君が飼っているの? 」
「飼ってる?ロバロは友達」
か、変わった子だなあ。
同世代の友達とか知り合いも何人かいるけども、なんだろう? この会話の噛み合わない微妙な感じは。かなり遠くから来たのかな。
「あ、あの……ワタシ、名前は黒駒ルルディです。えと……薬師してます」
「あ、どうも。夜街ハイドラジア、ハイドラって呼んで下さい。明日から収穫者〈ハーヴェスト〉予定です」
その言葉にルルディはピクリと反応し、初めて僕と目を合わせた。
怪我でもしているのだろうか、顔の右側は包帯で覆われ、眼は見えていない様子だった。
「(黄金色……)」
残る左眼は、薄暗い店の中でもそれとはっきり分かる金色。大きく見開かれた瞳は吸い込まれそうな深さで僕を見据えている。
「それじゃ、ハイドラはめいきゅうに入れるのか? 」
「うん。明日から行くつもりだけど」
「お願い、私を一緒に迷宮に連れて行ってくれ、下さい 」