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黒の穴

作者: 金魚

 将来に不安を感じる。未来なんてあるのか、それはわからない。皆わからない将来のために努力する。私はそれがバカらしくてしょうがなかった。

 だから、「隕石が地球に激突、地球滅亡か」なんてニュースを聞いたとき、笑ってしまった。

「ハ、ハハ」

 私はテレビの前にどかっと座ってテレビを見上げている。

「こんなことあるのか?」

 ソファーを独り占めし、横になりながら怪訝そうにテレビを見つめる兄。髪はキメキメだ。髪をいじいじつまんでいる。

「亮介どこ行くの?」

 テレビを見たまま疑問を投げかける。

「は? デート」

 亮介は至極ぶっきらぼうに答える。

「あんた彼女いたっけ?」

「できた」

 心なしか亮助の声が嬉しそうだった。だから、私は意地悪をした。

「地球滅亡だってさ。彼女と結婚できないよ」

 私は大層意地悪な顔をしていたに違いない。

「ま、いつものように地球が隕石を神回避するだろうし、結婚いつかはできるんじゃね?」

 ハハハ、と兄が笑う。スマホをいじり出した。この話題は終わり。

「滅亡したら、もう今を生きるしかないじゃん。私はそれだけでいいのに。未来なんていらない」

なんて言ったら、大人は怒るだろう。

 そういえば学校に行かなければいけないのだった。十時半から講習だ。夏休みだというのに。

「学校ダルすぎー」

 思わず呟いてしまった。

「大学くらい行っとけ。今や大学全入時代だぞ、受験生よ」

 兄が聞き飽きたというふうに言う。

 なぜ行かなければいけないのか。それは兄にわかるのだろうか。きいたらまた親から大学に行くことの大事さを説教されるだろうし、きくのはやめよう。

 自室でもそもそと制服に着替え始める。スマホに着信だ。画面を見ると、翔太の文字。私に猛烈アピールをかましてくる男子だった。

“今日講習終わった後、予備校まで時間ある? 教室で自習してくでしょ?”

 だからなんだと言うのだ。お前とは一緒に自習しねえから安心しろ、と言いたいのを我慢して、

“えーまあ、うん。どこの教室とか決めてないけど。”

と返した。我ながら優しい、かつあんたとは勉強しないけどアピールもできる最適な返答。

 さあ、もう出発しないと遅刻する時間だ。

 恋人は欲しい。でも、宮田翔太とは別に付き合いたくない。ただそれだけで嫌だった。

 最寄り駅に着いた。電車に乗る。座席が残念ながら空いてなかったので、ドア横に陣取った。

 地球滅亡をして、もし男女一人ずつ生き残ったのなら、どうなるのだろうと考えた。本能的に子孫を残そうとするのだろうか。盲目的に相手のことを愛するようになるのだろうか。

 景色が流れていく。ビュンビュンとマンションを追い抜いて目的地まで誘われる。もうすぐ学校の最寄りだった。

「千種~千種~」

 電車を降りた。と同時に強い揺れ。私は思わずしゃがんだ。警告音と携帯の災害通知みたいなのがうるさい。

 私はしゃがんだままスマホを取り出した。ニュースを見ようとするがやっぱり回線が死んでいた。溜め息をして、電車から離れた。

「ただいま地震が起きました。詳細は調べている最中です。お客様は電車と壁から離れ、頭を守ってください」

 交通機関会社からのアナウンス。客に動揺が広がった。しかし地震大国日本に住んでいるから、これ以上は騒がない。

 もう一度強い揺れがあった。天井の一部が少しだけ落ちてきた。それを皮切りに、客が我先にとホームから出ようとする。まさに地獄絵図のようだった。女のハイヒールは脱げ、男の足は踏まれ、子どもは転び泣き出す。私はしゃがんだままだった。

「あれ、西野?」

 名前を呼ばれ思わず声がしたほうを見ると、そこには宮田翔太がいた。うげ。

「大丈夫? 立てる?」

 手が差し伸べられた。断るのもなんだったから手を貸されてやった。ここが私の甘いところだ。

「ありがと」

 私がそう言うと宮田はさぞ嬉しそうな顔をした。正直ちょろい。

「学校まで一緒に行こう。危ないから。学校のほうが安全だし」

 断ればいいのに、頷く私もダメなやつだ。

 一緒に階段を上がり、外に出る。外はどうなっているだろうか。少し心配だった。

「うわ……」

 思わずそう言ってしまうほどに悲惨な光景だった。マンションは崩れ、一戸建ての家は一階から崩れている。空だけが綺麗で、カラスが優雅に飛んでいた。

「早く学校に行こう。かなりまずい状況かもね」

 宮田が焦る。さすがに私もこれには同意だ。

 瓦礫で足の踏み場がない中、通学路を歩く。あちらこちらで悲鳴が聞こえる。でも不思議と、助けを呼ぶ声は聞こえなかった。

 駅から学校まで十分。こんなにも道のりを長いと思ったことはなかった。

 学校が見えてきた。もうすぐだ。小走りになった。

 うちの学校は避難所に指定されている。だから人がいっぱいいるはずだ。学校で寝泊まりつらいな、と思っていたが目の当たりにした光景は違った。

 校門の外には人がたくさんいる。でも、中には入れていないのだ。校門の中では校長が「地震なんて起きていません。お帰りください」と叫んでいる。私と宮田はともに眉を潜めた。

「何これ?」

 私は校長を遠くから睨みつけた。どうにもおかしい。

「わからない。地震、起きたもんね」

 宮田も首を傾げている。

 人混みをかき分け校門の目の前に行くと校内が騒然としているのがわかった。全速力で生徒も先生も走っていた。手には分厚い冊子がある。何かを調べているのか。

「どういうことですか……!」

 校門に駆け寄ると校長が困った顔をした。

「二人は裏に回って。そこから中に入れるから」

「地震は起きてないって」

 私が小声で質問しようとしたが、校長に制止されてしまった。

「裏だ。早く行ってくれ」

 校長はあまりこの会話を周りに聞かれたくないようだった。

「西野、行こう」

 宮田に諭され、私は裏口に行った。そこでは担任がさっき皆が持っていた冊子を睨みつけていた。

「先生」

 宮田が話しかけると、担任が顔を上げた。

「宮田君。それに西野さん」

「これはいったい……」

「まずは入って」

 担任に言われるまま私たちは裏口から校内に入った。教員用の駐車場に面している。

「ここで話をするのはまずいからどこかの教室に入ろうか」

 担任もくたびれている様子だった。化粧をしているのに顔色が悪い。

「ここに入ろうか」

 適当に教室に入った。促されるまま空いている席に座る。

「二人とも、揺れがあったのはわかってるよね?」

 私も宮田も頷く。

「あれは地震じゃない。うちの理科教師が趣味で作ったホワイトホールから出た隕石の欠片の衝撃波なの」

「趣味で作ったホワイトホール?」

 宮田がぽかんとして言った。

「隕石の欠片の衝撃波?」

 私もぽかんとした。

「嘘みたいな話だけど、本当だよ。ほら、あの理科の先生頭よすぎるでしょ……」

 担任が頭を抱えた。

「確かに頭いいけど……ホワイトホール作ります?」

「早くノーベル賞出せ…… なんで一介の理科教師やってんだ……」

 私も宮田もともに頭を抱える。

「私は数学専門だから詳しくはわからないけど、別のもの作ろうとしたらホワイトホール作っちゃったんだって…… で、黙ってたら現在接近中の隕石の欠片呼び出したみたいで…… このままだと隕石そのものも吐き出しそうだって言ってたんだよ。そして校長曰く、このことは政府には言えないそうなの。だから今生徒も含め必死に隠蔽工作してるの」

 非常に不穏な響きだ。何かヤバそうな雰囲気がする。

「生徒も含めって、どういうことですか? 普通、こんなこと言わないですよね?」

 私の疑問に担任は首を縦に振った。

「そうだね。でも、皆隕石見ちゃったから。もうどうしようもないんだよ」

 すごくまずい状況なのがわかった。

「で、二人にお願いがあるの。西野さんは格闘技全般強くて、宮田君は物理得意だよね。宮田君には隕石の軌道計算やら対策を考えてもらいたいのと、西野さんはその身辺警護をしてほしいんです」

 話が突飛すぎた。何を言っているのかわからない。

「ある生徒が情報を漏らしたらしいの」

「だから生徒に言っちゃダメでしょ……」

 宮田がもう泣きそうな顔をしている。

「それを聞いた金目当ての人たちがちょくちょく侵入してきて困ってるんだよ。警備員さんと体育の先生だけじゃもう限界で」

「わかりました」

 宮田のいい返事が聞こえた。私は別に協力したくもない。今朝、地球滅亡すればいいのにって考えていたばかりだった。

「西野さん?」

「私も」

 皆協力しているらしい。なんてバカなのだろう。ま、勉強しなくていいのは最高だから協力する体でいこう。

「ありがとう! 二人ともすごく力になってくれそうだから、協力してほしかったんだ!」

 嬉しそうだ。

「じゃあ西野さんは女子だし、比較的侵入者が来ない計算班の所にいてね。宮田君も計算班ね」

 ん? となった。宮田と一緒の教室……? きつくないか? でも、話しかけられる暇もないだろうし適当に承諾した。

「じゃあ案内しよう」

 担任が教室を出て奥の教室へ先立って歩く。

「今のところ三日先の軌道までしか計算できてないらしい。この学校理系少ないからね、難航してるらしいの」

 担任が目的の教室のドアを開けると、そこには三人しかいなかった。一人は例の先生だ。

「ごめんね。迷惑かけてます。理科担当の本田です」

 本田先生の顔はかなりげっそりしていた。既に無精髭だ。

「手短に言います。宮田君は軌道計算できます。西野さんはその警護を。では」

 そう言って担任は走って行ってしまった。忙しいのだろう。

「ここからは僕が説明しよう。二人とも座って」

 私たちは先生の前の椅子に座った。

「僕がホワイトホールを作ったのは知っているよね。ホワイトホールはブラックホールが吸い込んだ物を吐き出す。つまり対になっているんだ。で、僕のホワイトホールの相棒は、隕石の欠片を吐き出した時期的に土星の近くにあるという推測をしている。今のところ、隕石の本体を吸い込まないための対策はこうだ」

 本田先生が立ち上がった。プロジェクター用の幕に画像が浮かび上がった。

「隕石の軌道を正確に計算し、その軌道上にブラックホールを生成。そして対となるホワイトホールを木星近くに作って、後は木星のデカい引力で隕石を引き寄せてもらって、木星と隕石衝突ー。っていうのを、考えてる」

 難しい話がさっぱりわからない私にはきつい。

「そのまま放置してたらどうなるんですか?」

「そうすると、僕のホワイトホールの相棒が隕石を確実に吸っちゃうんだ」

「でも、隕石は地球に向かってるんですよね? もう、土星は通り過ぎたんじゃ」

「この隕石は太陽を中心にして周ってるんだ。今ちょうど太陽の向こうにいるんだけど、もうすぐブラックホールにもう一回近づいてくる。そしたら吸い込んじゃうでしょ?」

 わかったようなわからないような気がした。

「ということで宮田君には計算の手伝いをたくさんしてもらうことになるよ。西野さんは不審者が来ない限り暇だと思うけれど、不審者が来たら徹底的によろしくね。一連のこと知られると割とまずいから」

 先生が席に戻り、作業は開始したようだ。私は暇だけど。


 その日と次の日は本当に何もなかった。宮田ともう二人の生徒は「単純作業かよ」と言いながら計算しまくっていたし、本田先生は「不審者来ないね、暇だよね。いいことなんだけど」と言っていた。

 計算班はずっと計算班に充てられた教室で寝て、私は隣の教室で寝ていた。基本的に暇だが、ずっと隣の教室にいるわけにもいかないので起きているときは計算班の教室にいた。

 暇すぎるので本田先生の本を読んでいたがよくわからないので図書室から雑誌を大量に持ってきて読み漁っていた。幸い、隕石の欠片に潰されたのは旧校舎だったので新校舎はわりかし無傷だった。

「隕石の欠片、隕石βとしよう。が出現してから二日経った。これまでの経緯をまとめようか」

 先生がダルそうに喋り始めた。

「隕石の本体、隕石αの軌道は五日先までわかった。隕石αが再び例のブラックホールに近づくのはその、五日後だ。この日までに軌道上にブラックホールを作り、同時に木星の近くにホワイトホールを作らなければならない」

 教室にいる四人全員が頷く。

「しかし僕がホワイトホールを作れたのはまったくの偶然だ。もう一度作れと言われても作れる自信はない。ましてや今度はブラックホールも僕たちで作らなければいけない。これはかなり難しい。が、やらなければならない」

 先生が深く息を吸った。その痩せぎすな体はほとんど膨らまなかった。

「実験を重ねるのが科学の基本だが、今回は大量にブラックホールを作り出すわけにもいかない。バレるリスク、人が死ぬリスクが高すぎる。よって、実験は一回限りだ。三日後。三日後にとある小惑星の近くにブラックホールを作り、ホワイトホールを火星近くに作る。万が一失敗し、死人が出ても、五日後の隕石αの接近に対応できるように、二日間の猶予を持つ。そして本番だ」

 計算班の三人が汗を浮かべていた。死人という言葉に反応したのだろう。死ぬ? なぜこの教師の趣味の産物のために? 私も正直降りたかった。

「これができなかったら、僕のせいだけど地球は滅亡する。成功させよう」

 私も計算班も無言だった。教室に静寂が訪れる。

「こう言っといてなんだけど、仮眠僕の番だから三時間寝させてくれ。じゃあ髭剃りに行くので失礼」

 先生はドアを勢いよく開けトイレに向かった。私もトイレに行こうと思い、後に続く。

「本田先生」

 先生の行く先には校長がいた。思わず柱の陰に隠れる。

「校長先生。どうされましたか」

 本田先生が少し驚いた様子で言った。

「観測の調子はどうかと思ってね」

「MASAの観測情報と我々の軌道計算を照らし合わせましたが、かなり正確です。皆高校生とは思えません」

 先生はそう言った後下を向いた。

「でも、生徒にこのことを言わなくてもよかったのではないでしょうか。僕の責任なのに、まだ未成年の生徒を巻き込んでこんなことさせて……」

「生徒にこのことを言うのを決めたのは私だ。本田先生が気に病むことはない」

 校長は力強く言った。あまりにも自信に満ち溢れていた。

「そう言っていただけてありがたいです。……三日後、実験を行います。政府にバレるリスクがありますが、どうかバレないよう頑張ります」

 本田先生は幾分か元気になったようだ。

「ああ。私も最善を尽くそう」

 そうして二人は別れた。

 いい話みたいになっているが、どうもおかしい。なぜ政府にバレてはいけないのか。そこがよくわからないのだ。こんな大事ならば、日本政府並びにMASAの協力を得たほうがいいだろう。なのになぜ。

 用を足した後、トイレから出てきた私は本田先生とかち合った。

「お疲れ様」

 努めてにこやかに接してくれる先生。

「皆僕のせいなのに協力してくれてありがたいよ。ありがとう」

「私は流れで協力することになっただけです。でも、他の人はなんで協力しているんですかね」

 私の疑問に先生は困った表情をした。

「流れか。それもあるだろうね。僕には人の気持ちはわからないけど、どうせこのまま何もせずにいても死ぬから、じゃないかな」

 先生の顔は困ったままだ。

「屋上に行こう」

 促されるまま屋上への階段を昇った。屋上へ行くのは初めてだ。

 屋上へ昇ると周り一帯が見えた。建物が崩れている。私の目を夕日が刺した。

「ひどい光景だよ。これが復興するのに何ヵ月かかるか」

 先生が呟いた。

「人は頭でっかちになってしまって、しがらみに囚われてばかりだ。でも、僕は人間も本質的には、子孫を残す生命のサイクルの一端を担っているだけだと思う。変な話、交尾して子孫を残せれば生物としては終わりなんだ。でもホモ・サピエンスは想像力を得た。死ぬことの恐ろしさを想像したんだ。そして死ぬことが怖くなったから、皆余計に長く生きるために頭を使っているんじゃないかな。その結果がこれ。僕のブラックホール生成作戦に協力してくれるってわけ」

 先生は至って冷静だった。人生を悲観しているわけではなく、ただ人をホモ・サピエンスとしか見ていない。

「先生は人間のことを生物としてしか見てないんですね。感情をもった人としてではなく」

「そうだね。変ってよく言われるよ」

 先生がハハハと笑った。

「私もそう思いますよ。人はただ生きるために生きている」

 私は唾を飲み込んだ。そして叫んだ。

「なんで私ってこれに参加してるんですかね! 意味わかんない! 流れのままに協力するって言ったけど、本当は生きることへの執着心もないし!」

 先生は口角を上げた。

「隕石がホワイトホールから出てきても世界は続く。もしかしたらそれで僕も西野さんも死なないかもしれない。そのとき、ああどうせ死なないんだったら隕石をどうにかして快適なまま生きたかったなって思うかもしれないでしょ。少なくとも僕はそうだ」

 先生が白衣を私にかけてくれた。

「じゃあ僕はそろそろ本気で寝ないと、隕石がくる前に死ぬから寝るね」

 そう言って気まずそうに階段を降りて行った。

 夕日はもう沈み、東の方向はもう真っ暗だ。星が瞬いている。学校の外はひどい有様なのでもちろん電気の灯りはない。

 私はハッとした。やはりおかしい。学校の外がこんなになっているのになぜこの学校の新校舎は無傷なのだ。テレビによるとこの揺れによる死者もいないらしい。被害が偏りすぎていないか。

「これに気づいてるの私だけじゃないよね……?」

 今日の月は好きじゃない形だ。


 実験当日。計算班は旧校舎にいた。もちろん私もだ。

「なんでここ?」

 私の当てもない呟きに宮田が反応した。

「バレたらまずいからだよ」

 宮田の準備することはもう終わったらしい。

「じゃあ教室でやればいいのに」

「連日野次馬やら報道がきてるらしいから、その人たちが吸い込まれたら今度こそバレるんだよ」

 なるほどね、と相槌を打ちまだ準備している面々を見た。紙に計算式を書きまくって、パソコンに入力している。そうするとここ、旧理科準備室に備えつけられている装置が宇宙に何たらビームを発射して、ブラックホール及びホワイトホールができるらしい。

「これもしや先生の私物とか?」

「あったり~♪」

 先生がニヤニヤしている。

「準備できました」

 別の手伝っている生徒一が言った。

「僕もできました」

 同じく二もできたらしい。すると先生が表情を引き締めた。

「では始めよう。皆部屋から出てくれ。この部屋の様子は小窓から、装置の様子はモニターから見られるよ」

 そう言われ皆準備室から出た。小窓から食い入るように先生を見つめる。

 先生の手は震えていた。

「大丈夫だ」

 先生は確かにそう言った。先生がボタンを押すと装置の先端が眩しく光った。

「おお……」

 何たらビームが空の向こう、宇宙へ向かうのが見えた。そしてもう一回、ホワイトホール用のビームが出た。あとはMASAが観測データを発表するのを待つだけだ。

 とりあえずビームは発射できたので皆安堵していた。談笑しながらいつもの教室へ戻ると、そこには見慣れない人がいた。プロジェクターを起動している。あれにはこの作戦の全容と、先生のブラックホールの件を含む趣味の実験データが詰まっている。幕に映った画像を見慣れない人は写真に収めていた。

 そいつがこちらを振り向いた。中年の男。男は私たちがいるほうとは逆のドアから出て逃げ出した。

「報道だ! 西野さん、逃がしたらダメだ! 全部バレる!」

 先生の声を聞いて私は反射的にスタートダッシュをきった。運動神経には自信がある。このメンツの中では一番脚が早いのはわかっていた。

 男はこちらをチラチラ振り返りながら逃げていた。前を向かなきゃ私に追いつかれるだろう。これは余裕かと思った。

 男も少しは頭が回るらしい。廊下にある物をどんどんなぎ倒し、私を妨害しようとしてくる。ジャンプして避けたりしているが距離を取られてしまった。

校舎の外まで五十メートルかというところで、男が横を見た。と同時に中肉中背の男たちが五人出てきた。男たちは追手が女だとわかった途端ニヤリとした。私は構わず走って突っ込んでいく。

男一が私の足を引っかけようとしたがジャンプしてそのまま顔面を蹴った。歯が折れたような感触がしたが気にしない。他の男がざわめいたのがわかった。

男二はもう手加減する気もないらしくグーパンしてこようとしたので大外刈り。受け身は取れなかったようだ。首痛そう。

男三と四が両サイドからお腹を殴ろうとフックをかける。私は一旦後ろに下がって左で回し蹴りをした。まとめて倒れる。

 男五は中々ムキムキのようだ。中肉中背と言ったが撤回。男は落ちていた箒を拾って柄を私に向けてくる。剣道の真似事か。振り下ろした箒を避け右で回し蹴りをした。が、左手で掴まれてしまった。男は箒を離し、私の足を掴んで振り回した。私はなす術もなく吹っ飛ばされてしまう。

起き上がろうとした矢先、男が上に被さってきて、拳を振り上げた。

「うわぁー!」

 なよっとした声がした。そして箒の柄が男の頭にヒットした。男が振り返ったとき、私が顎にアッパーパンチをした。男は悶えて床でバタバタしだした。

「大丈夫?」

 宮田が息切れしてゼエゼエ言っている。

「何で……」

「心配だったんだよ。俺じゃ足手まといかもしれないと思ったけど、役立ったでしょ」

 宮田は微笑んだ。

「報道の男はもうとっくに逃げた。しょうがない。戻ろう」

 私は頷くしかなかった。

 私が必死に走ってきた廊下はさっきの騒動でかなり散らかってしまって、戻るのが大変だった。

「助けてくれてありがとう」

「ううん、当然だよ」

 宮田は至って普通に言った。宮田の目はすごく綺麗で、私は目を逸らしてしまった。

 教室に戻ると本田先生がテレビを見ていた。

「おかえり。ケガがなくて本当によかったよ」

 先生はにこにことしてそう言うと、眉間に皺を寄せた。

「こうなることは避けられなかったんだろう。だから西野さんが気にすることはないんだけど、さっき撮られたものが報道された場合僕たちはピンチだ」

 皆がテレビを見た。そこにはMASAがある小惑星の消失を確認したという速報がされていた。実験は成功だった。

「速報です」

 教室の空気が一斉に張り詰めた。

「我々の局が独自ルートで仕入れた情報ですが、海宇高校で、隕石衝突に関する危険な実験がされているというニュースが入りました。林記者お願いします」

 私たちの学校の校門前にさっきの男がいた。

「はい。私は先ほど、ここの学校で隕石の欠片をブラックホールによって呼び寄せたという情報を確認しました。実験の映像も入手しました。私が得た情報の中には、小惑星を火星の近くに飛ばす実験を本日するということも書いてありました。その小惑星とは、先ほどから消失したと話題のものです。ここでは危険な実験がされていることは確かです。私はこれからも取材を続けていきます」

「ありがとうございました。ここで、林記者が入手した情報と映像をご覧ください」

 流れたのは紛れもなくさっきの私たちの実験の映像だった。先生が微かに舌打ちした。無造作にリモコンを取りテレビを消した。

「失礼。予想していたが、かなり逆境だ。明後日の本番が、安全に行えればいいが」

 ドアが勢いよく開いた。校長だった。

「侵入者が来たことは聞いている。どうするんだ、本田先生」

 校長は怒っていなかった。冷静だった。

「明後日の本番、やるしかありません」

 本田先生が渋い顔で言った。

「そうだ。明後日、妨害されることは確実だろう。気をつけてくれ」

「はい」

 本田先生しか返事をしなかった。


 二日後、隕石α回避作戦の本番。学校中がピリピリしていた。学校の中まで既に過激派が侵入し、妨害しようとしていた。今は机でバリケードを作って防いでいるが、いつ破られるかわからない。過激派の妨害を防いでブラックホールを作れるのは、時間的に一回が限度だ。先生も計算班も、失敗は許されないとあっていつも以上に眉間に皺が寄っていた。

「西野、俺たちは最後の砦だ。数ヵ所にバリケードはあるが、まだ本番まで一時間あるのに二つ破られている。あと二つ。持てばいいが」

 体育の先生が私に話しかけてきた。柔道が強いらしい。他にも剣道担当とか合気道が得意な先生が四人いて、計六人が名付けて警護班らしい。

「過激派は、危ない実験をするやつがまた実験するらしい、今度は地球を滅亡させる気だ、っていうことで妨害しに来てるんですよね。ほんとは逆なのに」

 体育教師はバリケードのほうを見た。

「未知のことが怖いんだろうな。……もう奴らは止まらない。殺す気でやらないと殺される」

 体育教師はかなしそうな顔をした。この人、こんな顔もできるんだ。

「わかってます、経験済みですよ」

 私がドヤ顔で答えると体育教師は笑った。

「西野もそんな顔するんだな。俺は西野のそんなところ初めて見たよ」

 私はそんなに仏頂面ではないのにどうしてだろう。なぜこのこの人はそんなことを言ったのか。

「第三バリケード、突破されました! 本番まであと四十五分!」

 警護班が勢いよく第四バリケードへ駆け出した。ここを死守できなければ乱闘になる。

「西野は俺はここにいる! 他の先生、よろしくな!」

 例の体育教師が叫んだ。

「俺らは警護班が逃したやつを徹底的に潰す必要がある」

 私は頷くとまだ来ぬ敵のために構えた。

 それから三十分。本番まで十五分のとき、第四バリケードも突破された。

 最初は警護班が活躍したが、バリケードの穴が大きくなると防ぎきることはできない。警護班をすり抜ける者が出てきた。

 手に曲がりくねったパイプを持った男が体育教師に走っていくのが見えた。男はパイプを振り上げたが、教師に足を払われ転倒。教師は男が持っていたパイプを取り上げ左手の平に突き刺した。悲鳴が聞こえる。

 バリケードに使っていた机を持ち上げて向かって来た男が一人。私はまず飛び蹴りをして机をふっ飛ばした。机が向こうのもう一人の過激派の頭に当たってそいつが倒れたのが見えた。

 目の前のやつは私に拳をお見舞いしようと拳を握ったが、その前に急所を蹴って撃沈させた。

「うわ、無慈悲だな……」

 体育教師にすごい目で見られたが気にしない。

「あと十分、向かってくるやつ全員殺す気でいけよ」

 体育教師に励ましをもらった。一瞬過激派が落ち着いたので計算班の様子を確認した。やはりまだかかるようだ。前倒しはできない。

「よし」

 小声で活を入れ、足首をぐるぐると回して、捻り防止は万全だ。

 次に来たのは見覚えがあった。先日やられかけた大男だった。忘れるはずもない。

「あれ? この前の女じゃねえか。今なら降参したらちゃんと可愛がってやるぜ?」

 こいつが喋っているのを初めて聞いたが予想以上に気持ち悪い。

「んなわけねえだろ、殺すぞ」

 私が割と本気で殺人宣言すると男は卑しい笑いを浮かべた。

「ブスのくせに調子乗ってんじゃねえぞ」

 顔がよくないのは知っているがこいつには言われたくなくて、ムカムカした。

「は? 顔が殺人鬼のくせに人様の顔に文句つけんな。私が死刑執行してやるよ?」

 男の顔が赤くなったのがわかった。怒りに任せて向かってくる。

 男が私を煽って有利にことを進めようとしているのがわかったから、やり返してやっただけなのに何てこいつは単純なんだろう。

 しかしそれでもこの男は強い。私が殴っても蹴っても全然ダメージがない。むしろ押されていた。じりじりと後ろに下がっていっている。後ろには計算班がいる。絶対に、邪魔をさせてはならない。

 男が、さっき体育教師が別の男に刺したパイプを、男から引き抜いた。その痛さで、気絶していた男がまた覚醒してしまった。また悲鳴が聞こえる。

 パイプを持った男はそれを私の腹に刺そうとする。私は必死に避けるが、男にその動きを読まれていてまた刺されそうになる。その繰り返しだった。

 男は本田先生のことを狙っている。さっきからチラチラ見ている。先生はこの作戦の要だ。

 私は何とか遠ざけようとして、回し蹴りを頭にしたりして注意を逸らそうとするが、おとといのことが頭をよぎって思い切り蹴り切れない。足を掴まれる前に足を引っ込めてしまうのだ。

 情けなかった。こいつを早く片付けて他の過激派も片付けないといけないのに。すぐ背後に先生がいた。

「クソ!」

 思わず叫んだ。先生がびっくりして振り返る気配がした。

「早く!」

 私がもう一度叫ぶと先生はパソコンに向き直りまたカタカタし出した。

 男が先生にパイプを振り下ろそうとするのを、殴って蹴って妨害する。ダメージはないかもしれないが、これで一秒でも稼げればいい。

「先生」

 宮田が大きく先生のことを呼んだ。

「先生」

 他の計算班の人の声も聞こえる。

 男はもうパイプの鋭利な部分を私に突き立てようとしてくる。本気を出した。

 男がパイプを横に振りぬいた。私はしゃがんで避ける。パイプは私の首の高さで空気を切り裂いた。ビュンという音。心臓の動機が早まる。ジャンプして回し蹴りをすると、足の行き先にパイプがある。私はとっさに足を引っ込め逆の足で男の胸を強く蹴った。

 私も男も笑う。男が後ろに少しだけよろめいた。これを好機と捉え、私はパンチを顔面に集中砲火した。

 後ろでカウントダウンが始まった。あと十秒。

 男がパイプを手に持った。逆手で私の背中を狙っている。あと五秒。

 男が私の背中を刺そうとした。私はとっさに立ち、男のパイプは行き先をなくし、自分の腹の直前で止まった。

 私はその男の腕に手を添え、綺麗に刺してやった。男の顔が歪んだ。

「作戦完了だ、ありがとう」

 本田先生が私に向かって言った。

「テレビを見よう」

 先生は静かに言った。

 五分間教室にはテレビの音声と過激派の声しかしなかった。計算班も私も校長も、誰も喋らない。

「速報です。地球に衝突されると危惧されていた隕石が、突然軌道上から消えました。MASAの公式な発表です。観測間違いではありません」

「ほんとに……やったのか……?」

 宮田が呟いた。

「MASAのホームページによると、木星近くに突如隕石が出現、そのまま木星に衝突だって」

 先生の声は潤んでいた。計算班が徐々に喋り出す。

「マジで?」

「成功?」

「生き残った……」

 だんだんと盛り上がってくる。そしてやがてお祭り騒ぎになった。

 計算班のテンションが上がりに上がり、校内放送をして作戦成功を伝えた。続いて、警護班から過激派掃討の校内放送もあった。全部、全部終わったのだ。

「はあ……」

 気が抜けて座り込んだ私に本田先生が泣きながら近づいてくる。

「よかった、よかったよぉ。もう隕石で死ぬかあのおじさんに殺されるかと思ってめっちゃビビってたんだ」

「これで快適な世界のままですね」

 号泣しだした先生が微笑ましくて私は笑顔で言った。

「西野さん、やっと笑ったね。今までの西野さんも魅力的だけど、より魅力的だよ」

 先生が一通り言った後、バッと顔を赤くした。

「いや、これは別にそういうんじゃないからね! うん、口説いてないよ!」

 焦る先生が可愛かった。ふと目を逸らすと宮田がむくれていた。

「西野、来て」

 宮田が強引に私の手を引っ張って誰もいない教室に入った。

「本田先生のこと好きなの?」

 宮田が下を向いてきいてきた。

「別にそういうわけじゃ……」

「俺だって西野は魅力的に思う」

 宮田の顔を月明りが照らした。妙に青い光で綺麗だ。

「好きです、友達からお願いします」

 宮田が見事なお辞儀をした。灯りがない教室と宮田が同化して見える。

「もう友達じゃん」

 私をおととい助けてくれた。宮田はいいやつだ。だから友達。

「その後好きになるかもしれない、可能性もある」

 私がそう言うと宮田は目を見開いた。

「ありがとう。え、あ、うん、じゃ、先戻ってるよ……」

 しどろもどろになりながら教室を出ていく宮田を見送り、しばらく待ってから私も教室を出た。

「青春だね」

 校長がにやにやこちらを見ている。

「趣味悪いですよ」

 私がしかめっ面になると校長はまじめな顔になった。

「君だって不自然は感じているんだろ?」

 その意味深な言葉で私は感じていた不自然を再び感じた。

「死者が一人もいないこと、無傷の校舎、生徒が学校の不始末の尻拭いに参加したこと」

 校長は後ろに手を組んでいる。

「一連の事件は誰かの手引き……?」

 私は校長を睨みつけた。

「これから本田先生は、この学校はどうなると思う?」

「なぜそれを私に言うんですか」

 私は拳を握りしめた。

「君は使えるからだ」

 校長は元のにやにや笑いに戻った。

「では、失礼。君の恋愛が上手くいきますように」

 校長は履いている来賓用のスリッパを、ペタペタと音をさせて去った。


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