少女のかしましバレンタイン
朝練が終わり、私達はわいわいがやがやと騒がしく着替え始める。
「そう言えば今日はバレンタインだね」
友人の一人が言う。
バレンタイン……。親しい友達や、憧れる異性に義理チョコや本命チョコと称してチョコレートをあげる日。
私は特に親しい友達や、憧れる異性がいない……はず。うん。多分いない。
そんな私はこんなイベント覚えてるはずもなく、当然のごとく返答に困った。
「誰かにチョコあげるの?」
「うん。慎二くんに」
苦し紛れにおそらくごく普通だと思われる質問をすると、その子は可愛らしい笑みを浮かべて答えた。
私はその言葉を聞いてぼんやりとつい最近の出来事を思い出す。
……そう言えばアイツに頼まれてたなぁ。
「アキちゃんは?誰にあげるの?」
あげる前提で話題を振られた。もちろん頼まれたからといってアイツにあげるつもりなど全くないし、あげるチョコもないからあげることもできない。
「誰にもあげないよ。バレンタインだって忘れてた」
その言葉に友人たちは大袈裟に驚く。まぁこんなおもしろイベントに乗らないのだから驚くのも無理もないだろう。
突然、朝のホームルームの予鈴が鳴り響く。
その予鈴を聴いて友達が世界の終わりでも来たように叫ぶ。
「ヤバい!私一限目物理だ!」
その顔はまるでムンクのようだった。
「じゃ急ごっか」
私も皆を急かす。
私とそのムンク娘は同じクラスなのだ。
身だしなみもほどほどに私達は更衣室を飛び出した。
私達二人は急いで校舎に駆け込む。
そして下駄箱から上履きを取り出そうとして、上履きとは違ったツルツルとした触感を感じた。
「あれ……?」
突然立ち止まった私に友達は焦ったように言う。
「ほら!早くしないと始まっちゃうよ!」
どうやら物理の先生に異常な程の恐怖を抱いているようだ。
……何だか私も怖くなってきた。
「ちょっと待って!下駄箱になんか入ってる」
しかし、下駄箱の中の異物はとても気になる。下駄箱の中のツルツルしたものといったらあれしかないだろう。
その好奇心をくすぐる悪魔の囁きを聞いて、友人の顔がころころと色々な表情に変わる。かなり迷っているようだ。
その子は少しの間だけ迷ってから正に断腸の思いでといった様子で言った。
「じゃあ先に行ってるから。早く来なよ」
どうやら先生への恐怖は、思春期男女の最大の興味に打ち勝ったようだ。ムンクさんはこの高校生活の間、恋人というものが一度もできることはないだろう。
私は
「うん」と返事をして、下駄箱から“なにか”を取り出す。
入っていたのは封筒。だけどなにやら真ん中が奇妙な形に膨らんでいる。
不思議に思いながらも封筒を開け、逆さにするとその出っ張りの正体が現れた。
「…………チョコ?」
いや、なんで?私があげるなら分かるけど。
友チョコなら手渡しだろうし。
まさかこれは…………
「百合ってやつですか?」
少々不安に思いながらも中を見るとやはり手紙があった。
そしてその文字を見た瞬間に私は自分の頬が緩んだのを感じた。
「アイツめ」
ちゃんと行ってやるから安心しなさい。
授業の始まりを報せるチャイムをBGMに一人の少女が昇降口に佇んでいた。