02 恋する先生
彼女はまた保健室にいた。
二限目の数学の時間が自習だったのでサボろうとブラブラしていたら、丁度保健室に先生が居なかったのでこれ幸いにとベッドに居座っていた。
愛用の薄ピンク色カバーのスマホをブレザーから取り出して確認するのはネット小説《椎茸パラダイス》。今日の更新はー、と彼女は頬を緩ませて操作している。
彼女はしおりから更新された所を読み進めた。お気に入りの幼馴染みが主人公を守るためにモンスターの攻撃を受けるシーンで終わっていて彼女はうわー死ぬなー、と携帯を掲げて祈る。 祈りというか叫びをしていた彼女はパタンパタンという足音を廊下から聞き、とっさに布団に潜って布団の隙間からドアを覗き、入ってくる人に備えた。
「うー、愛しの我が城よー」
そうちょっとやつれぎみに入ってきたのはこの保健室の主の高橋先生だった。小柄に長めの白衣を羽織った先生は白衣を着ているのではなく白衣に着させられているようでとても可愛らしい容貌をしていた。
愛しの〜♪、と鼻歌混じりにパタンパタン歩いて、彼女が隠れているベッドをスルーし彼女の存在に気づいていない。
先生は天然、お馬鹿、能天気、の三拍子が揃っていてよく言えば生徒に親しまれている先生で、悪く言えば生徒に舐められてる先生だった。
「全くーあのハゲ。話長いのよーもう」
あのハゲが誰かはとくに言及しないが保健室で生徒が沢山サボっている事について、注意を受けてきたのだろう。先生は、ヅラだって言いふらしちゃうんだから、とぷりぷり不満を呟いている。
先生にバレていないのに布団から出るという選択肢は彼女になかったみたいで笑いを堪えながら様子を伺っている。
彼女は、生徒と同じような悪口を言いながら書類を整理する先生を見て楽しんでいる愉快犯だった。 先生の愚痴に笑いを堪えながら聞いていると彼女の耳に足音が聞こえて、先生が閉めたドアがガタッと鳴り誰かが入ってきたのが分かった。
「先生ー! 怪我したので治療お願いしまーす!」
入ってきたのはいつぞやの男子生徒だった。また体操服を着ているが黒い線の入ったTシャツの右袖は破れ、そこから血が溢れている。怪我をしたのだろう、痛そうだ。
「あら黒坂くんじゃない。大丈夫? 痛そうねー」
横一文字に裂かれた右腕を見て先生は何したのー、と軽く流して消毒液と綿を取り出した。
「いやー体育の時間に転んでしまって」
「そうなの? あなたよく転ぶわねー」
おっちょこちょいなのねーと気の抜ける感想を溢しながら先生は手際よく治療を施していく。
「っ!」
消毒をしているとしみたのか男子生徒は顔をしかめている。
「あぁ、しみるから気を付けてー」
今更遅いと思うのだが先生は注意を呼び掛けて消毒を再開した。時折男子生徒は先生に質問をし、治療が終わると早く戻りなさいという先生の言葉に押されて名残惜しそうに出ていった。
こないだも怪我していたし、怪我しやすい人なんだなーと彼女は適当な感想を抱き、教室に戻る為の計画を考えていた。流石に気づくだろと思って傍観していたが全く気づかれず、今更出るに出れない状況なのだ。
十分ほど悩んだが良い案も何も浮かばなかった様子の彼女は当たって砕けろと呟いて布団から飛び出そうと考えた。 すると丁度良いのか悪いのかよく分からないタイミングで保健室のドアが開いて誰かが入ってきた。
「高橋先生。何ですか? 用って?」
入ってきたのは一人の男子生徒。怪我をして入ってきた生徒とは違って真面目そうな爽やか系だ。
「光崎くん! 来てくれたの!」
「次の数学の時間に来てと言ったのは高橋先生じゃないですか」
光崎と呼ばれた男子生徒を見て彼女は四月の選挙の時に見た生徒会長を思い出した。布団に隠れていても分かる爽やかなオーラを出すのは彼しか思い当たらない、と彼女は思う。
何て言ったって選挙の時、学年一位で有力候補だった生徒を演説で押さえつけたのだ。演説の時の爽やかオーラに主に女子生徒がやられていた。彼女は選挙に興味がない現代の若者なので周りの雰囲気に流されて彼に投票していた。
「光崎くん。高橋先生だなんて呼ばないで紫織、って呼んでって言ってるじゃないー」
先生が口を尖らせて、もう、と不満げに会長を見つめている。
「ですが、先生ですし」
「それなら紫織先生、って」
「? まぁそれならいいですよ。紫織先生」
困ったように眉根を寄せた会長は先生の譲歩に、それなら平気です、と言ってにこやかに言って見せた。
「ありがとー! じゃあ私は智宏くんって呼んでも良いかな?」
「いいですよ」
「やったー! ありがとー、智宏くん」
手を胸の前で合わせ頬を染めて笑う先生はどこからどう見ても恋する乙女のようだった。彼女はそんな先生を布団の中で覗き見て、保健室で禁断の恋とか、と思いながらニヤニヤと笑っていた。
「で、あの紫織先生。用ってそれですか?」
「あ、違うの。あの……智宏くんの好きだって言ってたグループのライブのチケット取れたから今度一緒にどうかな? って思って」
また手を胸の前で組み合わせて頬を赤く染めて上目遣いで会長を見つめている。これは可愛い、反則だろ、と見ている彼女まで赤くなる。
「え? 《answer》の?」
そう東京の、と恥ずかしそうに言う先生を見て彼女は、これは先生。本気だな、と客観的に思っていた。
何て言ったって先生の取ったと言ってた《answer》のチケット。少人数ライブスタジオでしか行わないと有名な人気グループなのだ、しかもそのグループの東京公演だ。更に倍率は高くなり、もう宝くじに当たらなくてもいいからこれに行きたい! と全国のファンに言わせる代物になっているのだ。このチケットを取るために犠牲にした労力を考えると本気と思わざるをえない。
「行きます! あ、でも僕で良いんですか?」
彼女はぱぁと明るくなった会長の表情を見て、これは釣れたね、と思っていた。
智宏くんとが良いの、と顔を赤らめて先生が言うとトントン拍子に待ち合わせ場所や時間を決めていた。彼女はそれを傍目に、いつ終わるのかなー、と彼女は眠くなった目を擦りながらボンヤリしていた。
「もう戻りますね」
それからしばらく話しているとチャイムが鳴って会長は出ていった。残った先生は、あーうー、と意味の分からない唸りをあげて悶えていた。保健室の丸椅子に座りながらバタバタと悶える姿は端から見るとちょっと怖いが仮にも先生は恋する乙女だ。そんな事を思ってはいけないのだろう。
しばらくそんな姿を見ていたがふと彼女は目的を思い出して頭を抱えた。
――今更出ていけない!
また彼女は悩みだし、先生がトイレに向かった隙に出た時にはもう昼休みになっていた。
もう昼休み、と思う訳では無く、空気がうまい、と彼女は思っていた。