霜月絢華はアイドルである
コミュニケーションがここまで難しいと感じたのは、二十年少々の人生で初めてのことだった。
麻美、千絵、智美──彼女らと一緒に舞台袖に立つのは数年ぶりのことで、あの頃と同じようにアイドルの衣装に身を包んでいるけれど、あの頃と同じようには喋れない。
「あ、絢華」
「……何」
「ごめ──」
「今はやめて」
麻美の言葉を遮る。どうせ謝罪しようとしていたのだろう。
しかし、彼女だけが悪いわけじゃない。
私も悪かった。
全員が等しく、少しずつ駄目なところがあって、あの結果に至ったのだ。
だから麻美だけに謝られるのはフェアじゃない。
「これが終わったら話をしよう。──みんなで、話をしよう」
「……ッ! うん!」
三人の顔色がぱあっと明るくなった気がした。
ずっと止まっていた針が。
些細なすれ違いが邪魔をしていた針が、動く。
私たちは舞台袖からステージに移動して、薄暗く静かな、たった八人だけの観客席を眺めた。
「何年ぶりだろうね」
「高校一年生以来だっけ」
「私たちも歳を取った」
「そんなご老体になったわけでもあるまい」
久しぶりの感じ。
懐かしい。
本当に昔に戻ったみたいだ。
「────」
……でも、分かってる。
身体はトラウマを忘れていない。
人前に出るのが怖い。
観客は八人だけなのに、手が震えている。
「ふう」
薄く息を吐いて呼吸を整えた。
鼓膜に刷り込まれた嘲りが何度も反芻される。
瞼を閉じて、意識を切り替える。
大丈夫。私は大丈夫。
ここには私を嫌う人は居ない。
私から離れていく人は居ない。
目を開く。
ふわりと懐かしい匂いがした。
柔らかくて、甘い。
安心感のある匂い。
これはどこで嗅いだ香りだっけ。
ずいぶんと昔のことだった気がする。
それこそ幼稚園とか、小学校とか、中学校とか──。
固く閉ざされた記憶の蓋を開いて底のほうをさらっていると、お母さんに抱きしめられている感触を思い出した。
ああ、そうだ。
これはお母さんの匂いだ。
「見ててね」
ふと、お母さんの遺言が蘇る。
『我儘を言って。自分の好きなことをして。他人の目なんて気にしないで。私たちに迷惑をかけて。……今の貴女はまるでお人形。私はもう長くないかもしれないけれど、絢華には幸せになってほしいの』
今の私は幸せだろうか。
自問しても答えはよく判らない。
少なくとも、幸せではないだろう。
でも不幸かといえばそうでもなくて──。
「……?」
麻美に眼差しを向ける。
彼女は不思議そうに首を傾げていた。
──うん。
答えは判らない。
だって今のところ、答えはないのだから。
幸せかどうかなんて、これからの私が決めることなのだ。
過去は変えられない。
一度起きた事は取り消せない。
だったら、現在を変えていこう。
過去に囚われて闇に堕ちてるんじゃなくて、もっとキラキラした、まさにアイドルみたいに光の未来を描いていこう。
「ひとまずは、このライブから」
霜月絢華は再びアイドルに戻った。
◇
イントロが流れる。
ピアノだけの静かな旋律。
紗英は思わず息を呑んだ。
そして──スポットライトが点く。
ステージに四人が立っていた。
APEXIAだ。
伝説のアイドルと形容すると大袈裟かもしれないが、紗英にとっては、彼女らは伝説と呼称して相応しい存在だった。
絢華は動かない。
ただ、観客席を眺めている。
遠くからでも判った。
マイクを握りしめる手が震えていた。
指が白くなるほど力が籠っていて、彼女の抱えるトラウマが、その背中に圧し掛かっているように思えた。
『────』
しかし。
絢華は僅かに頬を緩めて。
何事かひとりごちた。
いったい何を呟いたのかは聞こえなかったけれど。
途端、彼女の双眸が光を宿した。
まるで──いや。
まさにアイドルのように。
APEXIAのライブは酷いものだった。
練習する時間もなく、何年振りかのステージなのだ。
この完成度になるのは至極当然。
でも、どうしてだろう。
画面越しに見るどんなアイドルよりも、四人は輝いて見えた。
もしも紗英がペンライトを手に握っていたのなら、間違いなく、感涙に振りすさんでいただろうと確信できるほどに、ぶっつけ本番のAPEXIAのライブは、心に訴えかけてくるものがあった。
「綺麗──」
紗英は小さく呟く。
私が目指すべきは「あれ」なのかもしれない。
アイドルの理想形。
暗い過去も軋轢も何もかも全部燃料にして、ステージの上で煌く綺羅星。
かくして、APEXIAのライブは終了した。
◇
私は首筋に流れる汗をタオルで拭った。
こんなに疲れたのは久しぶりだ。
体力的には問題ないはずなのに、精神的な疲れが溜まっている。
ライブを終えた余韻に浸っていると、観客席に座っていた八人がステージにやってきて、次々に感想を述べてきた。
麻美も千絵も智美も、直接コメントを貰ったのは初めてなのだろう、どこか恥ずかしそうにしながらも、アイドルらしく、笑顔でお礼を言っている。
「絢華さん」
「ん」
紗英が口の端を緩めてこちらに近づいてくる。
彼女も例に漏れず、頬を上気させていた。
「お疲れ様です」
「ありがとう」
「絢華さんの本気──初めて見ました」
「あれを本気と言うのは違う気がするけどね」
練習だってまったくしていないのだ。褒められて悪い気はしないけれど、テスト勉強をしなかった学生のように、もっと頑張ればよかったと後悔が湧いてくる。
まあ事前に「麻美たちとライブをしてください」と言われたら確実に私は逃げ出していたので、文句は漏らすまい。
「それで、勝敗についてなんですけど」
「勝敗の件──やめないかしら」
「え」
「無粋だと思うの。やっぱり、審査員も居ないここで決着をつけるのは」
紗英は目を丸くした。
「だから──いつかまた勝負をしましょう」
「それって……」
「ええ。私もアイドル、始めるわ」
「絢華さん!!」
ひしっと抱き着いてくる紗英。
……今は汗みずくだから離れてくれないかしら。
力強い腕は私を掻き抱いて放さない。
仕方がないか。たまには、こんなことがあってもいいだろう。
「とはいっても、私はソロアイドルをするつもりだから、貴女たちと勝負する機会がいつになるか判らないけれど」
「ちょっとちょっと絢華ぁ、そんな寂しいコト言わないでよ」
「麻美」
「私は絢華に運命を感じたんだから、つまり運命共同体ってことだぜ。……まあ、しばらく別れちゃったけど」
麻美は悲しそうに眉を下げた。
「今度は絢華を独りにしないよ。絢華だけには背負わせない。話し合いをしよう。……思うに、私たちはコミュニケーションが少なすぎたんだよ。いや雑談はたくさんしてたんだけどさ、もっと大事な、根本的な相談がなかったと思うんだよね。今の練習量はつらいとか、誹謗中傷がうざいとか、そういう話」
彼女は私の腕を取る。
ついでに紗英の胸の中から連れ出してくれた。
「今度こそ天才を独りにしないよ。私たちが付いていく」
「麻美──」
「色々とごめんね」
「ううん、私こそ」
まあ、それからを語るのは野暮ってものだろう。
どこにでもある話だ。
孤高の天才──って自分で評するのもこっぱずかしいけど──が周りから孤立して、和解して、再び歩みだす物語。
アイドルが、夢を抱いて仲間たちと頑張っていくストーリーだ。
◇
そこまでを日記に書いて、俺は鼻を鳴らした。
「ずいぶんと月並みな筋書きだこと。まあ平凡だからこそ輝くことだってあるし、霜月絢華にとっては幸せなことだっただろうな」
ぎしりと安楽椅子を軋ませる。
天井を見上げてため息をついた。
「──闇堕ちしたキャラクターってのは、再び陽射しの下に戻って笑顔を浮かべるのがお似合いなんだぜ」
すうすうと身体の奥で寝息を立てる意識に苦笑する。
まったく。
俺がどんな想いで頑張ってきたか。
「でもまあ、これにてハッピーエンドってことで」
健康的な生活を心がけていたせいか、僅かな夜更かしですら結構な眠気を生み出してしまい、目尻に涙を滲ませた。
「じゃあな霜月絢華。おやすみ。よい夢を」
そうひとりごちて、俺はベッドに潜り込んだ。
これにて完結です。
最後までご覧いただき本当にありがとうございました。
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本当にありがとうございました。




