アイドルとは
私は僅かに眉を動かした。
ステージで踊る七人のアイドル。
彼女らの歌と踊りが以前よりもずっと成長していたからだ。
ドラムの四つ打ちが落ちると同時、スモークが白い波となってステージを這い、その奥から逆光に縁どられた影が現れて、センターの少女──雨森紗英がマイクを握ると、閃光のような歌声が響いた。
スポットライトが贄田実千の瞳を貫く。大粒のラメが涙のように瞬き、頬を掠める髪が汗に張り付いていた。口元が緩み、反転、強い意志を感じさせる歌声に変化して空間を揺るがす。
蜂谷亜咲のダンスは以前よりも遥かに洗練されており、動作の一つ一つが制御下にあることが判った。指先のニュアンスすら計算されている。ダンススクールで出会った彼女とはまるで別人だ。
サビで火柱が上がった。尋常でない凝りようである。東恩納映莉子のコネクションを存分に利用したんだろうけど、それにしても贅沢すぎる。観客は私一人しか居ないのに。熱が頬を撫で、映莉子の前髪が翻った。
ステージ端まで三ヶ嶋花凛が走る。膝を折って、こちらを指差した。普段は感情の浮き沈みがあまりない彼女の顔には、汗と涙で装飾された笑顔が浮かんでいた。あんな表情ができるようになったのか。
ヒールが床を叩く乾いた音。椎谷結愛である。ターンのたびにスカートが空気を孕み、円を描いて、強烈な照明がプリーツの影を落とした。フォーメーションが幾何学模様のごとく変わり、寸分のずれもなく重なった七色の歌声が、会場の空気を過熱させる。
天喰伽藍は加入して間もないだろうに、違和感なく溶け込んでいた。それは埋もれているという意味ではなく、存在感を主張しつつも、周りに合わせた振る舞いをしている。間違ってもソロアイドルではない。自分以外は不要と切り捨てていた孤高の天才が、他のメンバーと高め合っている姿は、私の胸の深いところを打った。
彼女らの前から居なくなってからそれほどの時が経っているわけでもないのに、別人と見紛うほどの成長である。
「勝負」にどれだけの熱意を掛けているか分かるというものだが──本当に。
いったいなぜ、あんな必死に頑張っているのだろう。
心底不思議で、私は唇を噛みしめた。
無意識に拳も握りしめていたようだ。
掌につぷりと痛みが走って、ようやっと気が付く。
加えて、彼女らのパフォーマンスには妙な魅力があった。
目が離せない。
何かが私の目を奪っている。
なんだ。
何が焦燥を生んでいるんだ。
「──見覚えが、ある」
双眸を細めて彼女らの観察をしていると、ふと、こめかみが鈍痛に疼いて、いつかの記憶と、ステージに立っている七人の姿が重なった。
「麻美……?」
小和瀬麻美。
かつての友人で、仲間で。
私が手放してしまった大切な。
そんな彼女の姿が重なって見えたのだ。
否。
それだけではない。
出射千絵。
中郡智美。
しかも──三ヶ嶋綾乃。
私が知り合って私が踏みつけにした人たちの面影が、彼女らのパフォーマンスから滲んで見えたのである。
気のせいだろうか。気のせいだろう。普通に考えたらそうだ。いや、でも、考えれば考えるほどそうとしか思えない。彼女らは私が指導していたのだから、私の癖とかが移ってしまったのなら自然だ。違和感を抱く余地もない。
にもかかわらず、彼女らには麻美たちの影が息づいていた。
まるで麻美たちに指導を受けたかのように。
「まさか──」
そうなのか。
あり得るのか。
私に勝つためだけに、見つけ出したのか。
そこまでこの「勝負」に何かを懸けているのか。
どうして?
分からない。
本当に解らない。
怖い。
私には彼女たちが理解できない。
「──若者のやる気ってのは凄まじいものだよね」
「え」
「いやまあ私たちも年齢的には大学生なんだけど。ほら、精神的に老獪というか。キラキラは失っちゃったよね」
ぽん、と。
肩に手を置かれた。
聞き覚えのある声に脳が震える。
「あ、さみ……?」
「大正解。貴女の親友、小和瀬麻美ちゃんですのだ。──いや。親友だった、と言うべきかな」
隣の席に腰を下ろす女性。
困ったように笑う仕草には、どうしようもなく、見覚えがあって。
「なんで──」
「おめおめ自分の前に顔を出せたんだ、と訊きたいのかな。そうだよね。絢華にはそれを問う資格がある。そして私には答える義務がある」
違う。違う。なんでここに居るの、とは尋ねたかった。けれどもそれは麻美を非難する意味合いではなくて、単純に、疑問だったから。なのに彼女が自虐的に笑うものだから、何を言っても逆効果にしかならない空気になってしまった。
それに麻美の影に隠れて見えなかったが、彼女の奥には、千絵と智美、綾乃さんも座っている。気まずそうに。もしくは沈鬱に。およそアイドルのライブに相応しくない面持ちだけれども、私はそれを揶揄する余裕がなかった。
賑やかな音楽が途端に聞こえなくなって、空気すら凍る氷河の世界に迷い込んだのかと錯覚した。
毛穴の一つ一つに針を突き刺され、鼓膜の奥で爆弾が炸裂し、舌の根が急激に水分を奪われていく。極度の緊張状態。
私は何も喋れず、麻美の横顔を眺めていた。
「紗英ちゃんたちがね、訪ねてきたんだ。どんな手段を使って私たちを見つけ出したのか分からないけどさ。それで必死に頼み込んでくる。『絢華さんが居なくなってしまった。きっと私たちが至らなかったんだ。どうか、麻美さんのお力を貸してください』って」
彼女の語りは静かだった。
落ち着いていた。
あるいは、意識してそう振る舞っているのだろうか。
麻美の腕はかすかに震えている気がした。
「絢華の話を聞いたよ。絢華が今まで彼女たちにどう関わっていたか聞いた。私の知ってる印象とはだいぶ違ったけどね」
「理解が追いつかない」
「うん。ごめんね。──印象が違ったのも、きっと、絢華が心に深い傷を負ってしまったからだって思った。私たちがどうしようもなかったから、絢華に重荷を背負わせてしまったんだって後悔した」
そこで麻美は初めてこちらを見た。
昏い影に満ちた瞳。
彼女こそ、かつてとはずいぶん印象が違う。
「必死に、必死に頼み込んでくるんだ。絢華さんを助けられるのは私たちじゃない。きっと貴女たちしか居ないんです。どうかお願いします。お願いします。ひたすらに頭を下げられてさ」
私に絢華を「助ける」資格なんてないのに。
絢華を傷つけた私たちが「助ける」なんて口にしていいはずないのに。
それでも紗英ちゃんたちはお願いしてくるの。
帰ってもらっても、翌日にまた訪問して来てさ。
私が了承するまで折れないつもりだったんだろうね。
「愛されてるんだね、絢華」
「ちが──私は誰にも愛されてなんか」
「愛されてる。ステージを見てみなよ」
麻美に促されて、私はステージに視線をやった。
そこでは七人が懸命に踊っている。
喉が張り裂けんばかりに歌っている。
まるで命を削るように。
全身全霊のライブだった。
「あんなライブ、普通だったらできないよ。自分の限界以上を常に出して、もう酸欠で意識は朦朧としているだろうね。身体はやめたがってるはずなんだ。それなのに、彼女たちはやめない。絢華に想いを伝えるために続けている」
麻美は眩しいものを眺めるように目を細める。長い睫毛が雫に濡れ、色とりどりのライトを乱反射した。
「魂を振り絞るようにお願いされて、私は彼女たちを指導することにした」
「指導──」
「とはいってもアイドルを引退して長い身だからね。実力的な意味ではまったく役に立たなかったよ。私たちは、APEXIAは、絢華ひとりで成立してたようなものだから」
何か感情の滲む声色で囁く麻美。
目尻には皺が寄り、唇は噛みしめられて。
ステージの光が強い分、観客席のこちらは、より濃い影が落ちている。
「絢華に伝えたかったんだってさ」
「何、を」
「絢華はすべてを焼き尽くしたつもりかもしれないけど、貴女には残したものがあるんだって。焼けた畑の灰から草木が芽吹くように、鮮烈な才能は、後の時代の憧れとなる」
圧倒的な天才と戦う必要のある同年代は天才を嫌うけれど、すでに記録と化した天才に向けられるのは嫉妬ではなく、純粋な憧憬でしかないように。
「CRYSTAΛにASTRA//CODEに伽藍ちゃん……彼女たちは、霜月絢華の存在なくして、ここまで成長できなかったと」
そうか。
私はみんなを不幸にしたと思っていたけど。
少なくとも、彼女たちにはいい影響を与えられたのか。
「でも……それだったら、麻美たちに師事する必要はないんじゃ」
「この勝負は、ただ勝つだけじゃ意味がない。ただ勝つだけじゃ以前と変わらない。絢華が過去を悔いる気持ちは変えられない。──だから、未来を変えるんだよ」
「未来を──?」
麻美の言葉はふわふわしていて掴みづらかった。
「ここで紗英ちゃんたちが勝っても、昔の絢華がやったことと同じでしょ。実力で叩き潰すのは簡単だけど、そこに宿る想いは澱む。だから私たちを引っ張り出してきたんだよ。過去をつらいものとして捉えるんじゃなくて、地続きの、幸せな未来に繋げるために」
彼女の真意は難しくてよく分からない──。
けれど、剥き出しの心が私の胸を打った。
その時である。
音楽が止まった。
ライブが終了したのだ。
『絢華さん』
マイクから私の名前を呼ぶ声が響いた。
麻美から視線を切り、ステージに向ける。
紗英がこちらに真っすぐな眼差しを送ってきていた。
『私たちだけじゃ、絢華さんの苦悩を解決することはできません。麻美さんたちだけじゃ、絢華さんの苦悩を解決することはできません。私たちが覚悟を見せて、絢華さんたちが再びステージに立って初めて、新しい一歩が踏み出せると思うんです』
──だから。
静かな会場に火種が放り込まれた。
『勝負をしましょう。アイドルとして、真っ向勝負を』




