真っ向勝負
霜月絢華にとってアイドルとは何か。
難しい問いだ。
なぜなら、彼女にとってのそれは、常に形を変えてきたから。
幼少期はただの憧れだっただろう。母親が元トップアイドルで、成長過程で色々な話を聞いてきたのだから、多感な子供が憧れるのは当然の帰結である。
高校生になってからはもう少し現実感が増した。とはいっても、絢華は持ち前の才能で躍進できたし、シミュレーションゲームを遊んでいるような、頑張れば頑張った分だけ成長できるという、楽しさだけを享受していた。
大学生──つまり現在についてはどうだろうか。高校生の途中で挫折し、アイドルを辞めた現在は。
やはりこれも表現が難しい。
恨んでいる気持ちもあるし、どこかでまだ燻ぶっている憧れもある。
最も包容力のある言葉で表すのなら、それは呪いと呼べるだろう。
そう。
霜月絢華にとって、アイドルとは呪いであった。
いくら拒んでも離れない夢の結晶。
彼女を縛り付ける呪い。
あるいは夢というものは、すべてそういうものなのかもしれない。
諦めたつもりでも諦めきれていない。
捨てたつもりでも捨てられていない。
ようやっと手放せたと思ったら、こうして、どこまでも付いてくる──。
「絢華さん。準備は終わりましたか?」
「……ええ。問題ないわ」
舞台袖でため息をつく。
目の前には雨森紗英。気合の入った格好だ。アイドルのお手本のような衣装。
彼女の周りにも志を同じくした仲間が居て、夢と希望と信念に燃える瞳をしている。
眩しい光景だ。
絢華が直視できないほどに。
「貴方は〝アイドルとして勝負〟と言ったけれど、具体的にどういうものなの?」
動きやすい漆黒のドレスを纏った絢華は、そんな格好に身を包んだ自分を軽蔑しながらも、紗英に問いかけた。
「審査員も居ない。こんなステージじゃ、良し悪しなんて決められないわ」
「審査員は要りませんよ」
「要らない?」
「むしろ──邪魔になる」
紗英は静かに息を吐いた。
意外な反応に絢華は瞠目する。
天真爛漫な印象の雨森紗英が、まさかこんな静かに──鋭い眼つきをするとは。
「お互いに、自分の思う最高のパフォーマンスをしましょう。曲も振り付けも指定しません。縛り付けるものは何もありません。ただひたすらに、最善を尽くしましょう」
拳を向けてくる紗英。
いったいどういう意図だろう、と考えて、理解した絢華は、苦笑しながら彼女の拳に自らのそれをぶつけた。
「──勝てると思っているのかしら」
「どうでしょう。案外、番狂わせだってあるかもしれませんよ」
「番狂わせはね、実力が拮抗しているか、手の届く範囲にあるから起こり得るのよ」
だから、霜月絢華──夜凪ゆきは誰にも負けなかった。
これまでも、これからも。
彼女が誰かの下につくことはない。
絢華の宣言を耳にしても、紗英は表情を変えなかった。
「そうですか」と小さく呟いて背中を向ける。
もはや言葉は要らない。
と語っているのだろう。
けれど──。
「本当に、何を考えているのかしら」
絢華はひとりごちる。
だって、この戦いに意味はない。
例えば霜月絢華が勝利したとしよう。当たり前だ。暴力的なまでの才能が何年も研鑽されて研ぎ澄まされてきたのだ。所有者すらも切り殺す呪われた刀が、再び血を啜るだけで。まったく変化はない。
たとえ紗英たちCRYSTAΛ勢が勝利したとしても、やはり何も変わらない。
絢華の心情に多少の揺れはあるかもしれないが、本来の実力を発揮できなかったとか、衰えたとか、様々な理由がつけられる。
それを絢華がするかどうかでいえばしないだろうが、とにかく、どちらが勝とうが負けようが意味がないのだ。
──過去は変わらないのだから。
夜凪ゆきがその才能で何人もの心を絶望に染め、何人もの心を折って、アイドルに対する淡い想いを汚したのは変わらない。
霜月絢華が仲間の心を折って、置いてきて、音信不通の関係に至ったのは変わらない。
だから、この戦いには意味がない。
紗英の強情さに負けて受けはしたものの、本当に意味がないのだ。
ゆえに絢華は不思議に思う。
どうして紗英たちはこんな戦いを催したのだろう。
どういう目論見があって、私をこの場に引きずり出したのだろう。
されど彼女には分からない。
その時が来るまでは、解らない。
◇
先行は紗英たちになった。
絢華は薄暗闇の観客席に腰を下ろす。
それにしても、よくもまあ個人でこんな大きさの会場を確保できたものだ。
おそらく東恩納映莉子の人脈とか諸々を活用したのだろう。
無人の観客席は退廃的な物寂しさを醸し出しており、独りで座る絢華も、どこか気まずげな表情をしている。
身じろぐ衣擦れの音だけが響いた。
今頃、紗英たちは舞台袖で士気を上げる話し合いでもしているのだろうか。
──APEXIAがそうしたように。
「馬鹿らしい」
何を感傷に浸ろうとしているのだ。
私にそんな権利ないだろう。
絢華は冷たく自嘲した。
自分を嘲って、鼻を鳴らした。
いま現在の私が感じている虚しさの、何百何千倍の絶望を生み出してきたのはどこのどいつだ。そんな私が感傷なんて覚えていいはずがない。私が蹴落としてきた人たちが許さない。それ以上に、自分が許せない。
そんなことを考えていると、ステージに一筋のスポットライトが落ちて、総勢七人のライブが始まった。




