嘲笑
ぴこん。スマホが震えた。
長らく仕事のなかったそれに、絢華は思わず困惑してしまい、不慣れな手付きでパスワードを解除する。
差出人は麻美だった。
今日、どこどこの教室に来てね。
意図の見えない連絡である。
「──何を」
この忙しいときに。
無意識に呟きそうになってしまい、絢華は、目を見開いた。
確かに近頃、周りにトップアイドルと呼ばれることにも慣れて、それに比例するように仕事量が増えたのみならず、「トップアイドル」という肩書に自分が推し潰されないよう、これまで以上に、異常なレッスンをこなしている。
だからといって、今では二人となってしまったAPEXIAの、唯一残ってくれているメンバーであり、高校生になってから初めての友達に対して、かなりの疲労が溜まっており、思考が鈍っているといえど、文句を吐きそうになるなんて。
絢華は自分の行動に恐怖を抱いた。
自然な思考だった。
するりと、違和感なく、胸の内からまろび出た。
つまり私は、心の底では麻美に不満を持っていて、意識的に視線を逸らしているだけの、最低な、人々に希望を与えるアイドルにはとても向いていない、友達すらも大切に思えない人間なのか。
自己嫌悪に脚が折れそうだった。
しかし絢華は唇を噛みしめる。
──駄目だ。私は、せめて私は、アイドルを続けなければ。
何人も自分から離れていった。
私が悪いのだろう。
嫌悪の眼差しを思い出す。
思い出として、胸に刻み込まれてしまった。
いくら私が醜悪な精神をしていて、アイドルに向いていない人間だとしても、周囲が霜月絢華を、夜凪ゆきをトップアイドルとして見做す限り、夜凪ゆきを求め続ける限り、私はどんなにつらくとも、笑顔を浮かべて、なんら気にしていないふうに、アイドルを続けなければならない。
それが、私が傷つけてしまった人たちへの、最低限の義務だろう。
贖罪ではないけれど。
数え切れない夢を踏みつぶして、それでも浅ましく生きている私が、つらいから、なんて簡単な理由で諦めていいはずがない。
誰が許すのか。
誰も許すまい。
最近の風評によって、絢華は己の才覚を自覚していた。
どうも自分は周りよりも飲み込みが早いらしい。
尋常でないほど、早いらしい。
霜月絢華の存在を理由に、アイドルになる夢を捨てる者が続出するくらい、底抜けに。
アイドルが無数の屍の上に立つ存在だとしたら、トップ、つまりその頂点に君臨する自分は、幾億の夢を踏みつぶし、それでも悩みを表に出さず、張り付けた自然な笑顔を浮かべられる人間でなければいけない。
そうならなければならない。
絢華は、いつもどおり、アイドルの仮面を被った。
◇
麻美の提示した教室は、普段APEXIAが活動する教室からかなりの距離があり、疲労の重なった脚も相まって、向かうのが億劫だった。
階段を上る。
大腿四頭筋が熱い。
途中で、膝が折れる。
がくりと。
地面が抜けたように。
「ふう……」
これでは駄目だ。
完全無欠のアイドルにならなければ。
観客が望んでいるのは、欠点のない存在なのだから。
壁に手をついて、絢華は息を吐いた。
暦の上では冬に近づいているはずなのだけれど、今日は、真夏もかくやというほど、湿度も気温も高い。肌に不快な感触が纏わりつく。
欄干を支えにして、彼女は廊下の角を曲がろうとした。
その時。
「──夜凪ゆきってさ、本当に何様なんだろうね」
聞き馴染みのありすぎる名前が鼓膜を叩いた。
自然、脚が止まる。
「私たちと同じ一年生のくせして、飄々と出世街道まっしぐら。薄っぺらい笑顔なんて浮かべちゃって、あれ、絶対に内心では他の人のこと見下してるよね」
「わっかる~! 性格いいみたいに言われてるけど、本当に性格がよかったら、メンバーもあんな勢いで減らないっつーの!」
「だよね? 残ってる奴……小和瀬麻美だっけ? 間違いなく夜凪ゆきのこと嫌ってるって」
「私がAPEXIAに加入したら一日で辞める自信あるもん」
「それな!」
笑い混じりの話し声だった。
廊下の壁に背中を預け、絢華は天井を仰ぐ。
「夜凪ゆき勘違いしすぎじゃね?」
「あいつがトップアイドルって呼ばれるのマジ納得できないんだけど」
「大会とかもさァ、判定おかしかったって」
「審査員と寝たんじゃね?」
「あ! それあるかも!」
「しかもAPEXIAで夜凪ゆきって……夜凪ゆいのパクリだろ」
「──あ。私、分かったかも」
「何が?」
「夜凪ゆきってさ、夜凪ゆいの娘なんじゃない?」
「ええ……? 気持ち悪いファンじゃなくて?」
「娘だったら変な判定にも説明つくじゃん。買収じゃないけど、コネで無理やり優勝したんだって!」
「あーね。なら納得できるわ」
「私たちみたいに実力で勝負するのがアイドルなのに、コネ使ってステージ立つなんて、ほんと恥ずかしくないのかね」
「私だったら家に引き籠もって一生人前に出ないけどね!」
そこまでだった。
絢華が聞けたのは、そこまでだった。
もはや耐えられない。
今だけは疲労を忘れて、全力で走った。
──小和瀬麻美は夜凪ゆきを嫌っている。
その言葉が、嫌に、耳に焼き付いていた。




