出射千絵
「ねえ絢華……」
「何」
「絶対に無理だと思うんだけど……」
付き合いが長くなったことで、絢華にちゃん付けをしなくなった麻美は、手に提げた四角形の風呂敷を見下ろしながら、たまにぶっ飛んだ発想を繰り出す友人に、震える声で諫言した。
「大丈夫」
「いや──」
「大丈夫だから」
やけに自信満々な絢華。
彼女の瞳には一切の邪気がない。
明るい未来しか見えていないようだ。
APEXIAが大会に参加するためには、二名の増員をしなければ、参加資格すら手に入らない。
よって彼女らはメンバー募集に出向いたのだが、なんというか、その作戦がずいぶんと杜撰なもので。
「トレーニング後のはらぺこあおむしならぬ、はらぺこアイドルにお弁当を渡して、桃太郎方式でユニットに入ってもらおうってのは、ちょっと夢物語っていうか、ともすれば不審者とすら思われるんじゃないかしらー!?」
麻美はもっともな指摘をした。
「モーマンタイ。私がこうすることで喜ばぬ人は居なかった」
「ちなみに被験者は?」
「お父さんとお母さん、あとお母さんのお友達。先生みたいな」
「それは絢華と親しい相手だったから成立しただけで、私たちみたいな見ず知らずの人間にお弁当を渡されても、薄気味悪く感じるだけじゃないのかな」
「薄気味悪いとは失礼な。朝の四時に起きて作ってきたんだよ」
「背景を知ったところで感情は変わらないんだよ」
母親譲りのアホの子属性を炸裂させ、絢華は得意満面、トレーニングの疲れを癒すため、休憩に励むアイドルの卵たちに突撃していった。
「ああ……」
手を伸ばすがもう遅い。
もはや届かぬ背中を眺め、麻美はため息をつく。
せめて自分だけは逃げられるようにしておこうかと考えながら。
アイドル育成学校を退学になる理由が、面識のない相手に弁当を押し付ける迷惑行為を行なったから、とか恥ずかしすぎて飲み会のネタにもならない。
絢華の思惑は間違いなく失敗するだろう。
まあ、その時は、慰めるくらいしてあげてもいいかな。
麻美は殊のほか優しいところがあった。
「麻美」
「ああ、失敗してきたんだね──」
「成功しました」
「成功したんだ!?」
「もぐもぐ」
いつの間にか戻ってきていた絢華の隣には、一心不乱に弁当を口に運ぶ、まるで小動物のような印象を受ける少女が立っていた。
「いや……そんな……嘘……ええ……?」
「どうしたの。水族館に遊びに行ったら、水槽の中に小太りのおっさんが泳いでたのを目撃したみたいな顔をして」
「私そんな顔してる? ……いや、あり得ないでしょ」
麻美は愕然とする。
あんな三徹の小学生が考えたような作戦が、まさか上手くいってしまうとは。
というか隣の少女はそれでいいのか。
初対面の相手に弁当で釣られるとか。
飴玉一つで誘拐されてもおかしくないぞ。
「……お腹、空いてたから」
「限度があるでしょ」
少女がポッと頬を染めて言う。
普段はボケキャラなのに、麻美はツッコまざるを得なかった。
「ふふーん」
「絢華のドヤ顔が鼻につく……!」
「敗色濃厚みたいな前評判を流布してたどこかの誰かさんって、もしかすると節穴なのかもしれないね」
「どちらかっていうと、弁当に釣られるほうが節穴じゃないかな」
「……節穴と言われるのは不服」
「いや貴女は節穴以外の何者でもないよ」
弁当を食らう少女はムッと頬を膨らませるが、ここまで付いてきているという事実が彼女の節穴性を証明しているので、麻美は道理の分からぬ弟子に教え諭すように、慈愛に満ちた表情で笑いかけた。
嫌な慈愛だった。
「この子はね、出射千絵っていうんだって」
「……出射です」
「はあ」
「お弁当のお礼にAPEXIAに加入してくれるって」
「ねえ絢華。貴女はそれでいいの?」
「え? うん」
「そう……」
ユニットメンバーが増えるなんて物語的で感動的な話のはずなのだけれども、食欲に釣られた魚が加入したところで、どうにも心打たれるところなく、麻美は微妙な反応をするしかなかった。
「もぐもぐ」
出射千絵は微妙な空気も気にせず。
ずっと食事を続けている。
前述のとおり、彼女からは小動物のような印象を受け、背は低めで肩も華奢、制服は少しサイズが大きいのか袖が余りがちで、指先がちょこんと覗く様子が、さらに小動物らしさを醸し出している。
全体的に動作がゆっくりとしていて、話しかけると、ワンテンポ遅れて眠たげに瞬きをする。
風が吹けば飛ばされそうな見た目をしているのに、弁当でおびき寄せられるとは、容貌に反して豪胆なのか。
あるいは何も考えていないのか。
後者の可能性が高いと、麻美は睨んだ。
「たったの一日でメンバーが増えたよ。順調だね」
「順調……うん、順調……なんだろうね」
嬉しそうな絢華の声。
対照的に曇った麻美の声。
こう、メンバーが増えるのは確かに嬉しいのだけれど、その、もうちょっと苦労したかったというか、別に苦労は買ってでもしろ、みたいな思想を持っているわけでもないのだが、いくらなんでもこれは違うだろうっていうか、お弁当一つで解決するのも面白くないというか。
麻美はどういう感情を抱くべきか判らなかった。
ただ、千絵の咀嚼の音だけが、三人の間に響いていた。




