崩壊の兆し
霜月絢華と小和瀬麻美がAPEXIAとして活動し始めてから、早いもので二ヶ月の時が経過した。
その間に定期テストも到来したが、絢華の鬼教官めいた調教、もとい指導によって、麻美はなんとか生還したようだ。
テスト期間明けの彼女は、ゾンビさながらの顔色をしていたけれど。
まあ、日頃の行ないの結果だ。合掌。
「はあ、はあ……」
「麻美スポーツドリンク要る?」
「うえっ、はあ、あっ、ありがと……」
胃の内容物と魂を吐き出してしまいそうな勢いで、麻美は荒い呼吸を繰り返す。
アイドルには体力が必要ということで、心肺機能を向上させるために、激しい振り付けの踊りを連続ですることにしたのだ。
絢華は涼しい顔でペットボトルに口を付けているが、麻美は吐き気に襲われながら、地面を見つめている。
「絢華……よく、余裕で居られるね……」
「だって、そこまできつくなかったでしょ」
「きつくなかったぁ……? 何を言ってんだいお嬢さん……」
ついに我慢ができなくなった。
麻美は床に転がる。
大の字で。
ぜーはーと胸を上下させて、絢華の様子を窺うが、彼女は言葉のとおり、真実つらさを感じていないようだった。
愕然とした思いを抱くものの、確かに、考えてみれば、東京都第二アイドル育成高校に入学してからこれまで、小和瀬麻美が霜月絢華に絡んでからこれまで、絢華がつらそうにしている様子を見たことがなかった。
身体能力の面だけならいざ知らず、勉学の面においても大敗を喫するのだから、根拠のない自信を誇る麻美も、さすがにプライドが損するというものである。
「凄いねぇ絢華は……なんで、そんなに凄いの?」
「凄いって言われても」
絢華に自覚はない。
なぜなら、できるから。
特段の努力を──もちろん努力と表現される行為は重ねているけれども、「甚大な」と形容するのは難しいし、何より、彼女自身はそれを努力だと認識していなかった──行なっていない絢華にとって、麻美の質問は答えに窮するものだった。
「だって、やればできるでしょ?」
麻美はそれを聞いて、瞼を閉じる。
瞼を閉じて。
やがて、哄笑した。
「……あっはっはっは! そっか、そうだね! やってできないことはありませんとも! そうだったそうだった!」
確かに絢華と比べれば、自分の──麻美の頑張りなど「やっていない」の範囲内かもしれない。
彼女は素直にそう認めて、よし、と一息ついたのであった。
「今日も一日がんばるぞい」
「水分補給はしっかりね」
「絢華はお母さんみたいだねえ」
「お母さん?」
「バブみに溢れてるよ」
「バブみって言葉は、年下にしか使わないらしいよ」
「へえ……絢華の誕生日って何日だっけ?」
「私は──」
そんなこんなで、APEXIAの毎日が過ぎ去っていく。
◇
アイドルと一言に纏めても、内包される範囲が広すぎるために、個々の事例に目を向ければ、完璧に表現できているとは、およそ言えない。
まず大前提として、この世界におけるアイドルとは、基本的に複数人でグループを構成して活動している存在である。
ごくごく稀にソロアイドルも居るには居るが、やはり需要が少なく、それほどの人気を得ているとは名状しがたい。
東京都第二アイドル育成高校もアイドルグループを育てる学校であり、学生向けに催される大会も、ほとんど全部、複数人を参加条件と定めている。
少数であればユニット、多ければグループ、と区分分けはされているものの、今ではその定義も形骸化し、両者が同じ意味合いの言葉として、混同して多用されることが増えた。
さて。
ここでAPEXIAに視点を戻そう。
構成メンバーは二人である。
非常に少ない。
では、どうなるのか。
「絢華あああああああああ!?」
「落ち着いて麻美……」
「だって大会に参加できないってぇ!?」
「あと二人メンバーを募集すれば大丈夫だから」
「あと二人メンバーを募集しなきゃいけないのに大丈夫なわけないじゃん!」
麻美はびえんびえんと泣きわめていた。
机に顔を突っ伏し、水溜まりを生成する。
普段は可愛らしい面差しも、涙やら鼻水やらで過剰に装飾されては、とてもアイドルとは思えない風貌になり、端的に言うと不細工。
「しかも参加締め切りまで一週間だよ!?」
「大丈夫だから。一週間は七日、つまり六十万四千八百秒もあるんだよ」
「印象操作したところで現実は変わらないよ~」
おーいおいおいおい。
ナチュラルヘルシーRTD緑茶飲料の販売実績が世界一として、ギネス記録に登録されていそうな鳴き声を上げる麻美。
「数日前からメンバー募集の張り紙もしてるし、誰かしら来てくれるって」
「数日前からメンバー募集の張り紙をしてるのに、誰も来てくれてないんだよ」
「あんまり不吉なこと言わないでよ」
「いい未来が見えないから泣いてるんじゃーん!」
存外、小和瀬麻美は悲観主義のようだった。
絢華は困ったように眉を下げる。
そうだ。
励ましじみた発言をしてはいるが、絢華も状況のまずさを感じ取っていた。
張り紙の効果なんてものは一時的で、つまり掲示してから数日が経った現在、いまだ募集に応じる人員が現れていない以上、このまま釣り糸を垂らしているだけでは、とても事態の解決が図れるとは思えない。
「あれをやるしかないか──」
絢華は、覚悟の決まった顔で呟いた。




