三ヶ嶋綾乃
霜月絢華は業突く張りである。
母親──霜月ゆいの遺言に従った結果、己の欲求に正直で、他人に窘められようが強情さを貫く人間になった。
あまり自己主張をしてこなかった絢華にとって、それがよいのか悪いのか、本人にすら判らない。
しかし、いずれにせよ、彼女は正樹の態度に思うところがあった。
──ので。
「三ヶ嶋綾乃さん、お越しくださりありがとうございます」
「そんなに頭を下げないで。恥ずかしくなっちゃう」
三ヶ嶋綾乃は頬を染めて手を振った。
ひらひらと。
余裕のある、大人の振る舞いだった。
東京都第二アイドル育成高校に在学中、また卒業してからも、APEXIAというグループでアイドルを続けていた綾乃は、霜月ゆいと同級生であり、親友であり、戦友とも呼ぶべき存在だった。
つまるところ、同じユニットで活動していたのである。
霜月ゆいが病気を理由に引退を表明し、それを発端としてAPEXIAは解散したが、二人の間に繋がれた友情は、強固な鎖として機能していた。
「まさか、ゆいの娘さんに頼られるとはね」
「無理を言って申し訳ありません」
「いいのよ。どうせアイドルを引退してから、ずいぶんと張り合いのない人生になっちゃったし」
綾乃は顔に手を添えてため息をつく。
専業主婦、ではないが。
トップアイドルとして業界の最前線を駆け抜けた数年間で、彼女は普通のサラリーマンの生涯年収を超える金銭を手に入れた。
働く必要もなく、働く気力もなく、夫と娘の世話をするばかりの日常は、綾乃から潤いというものを奪っていた。
そこで命を落とした親友の忘れ形見──絢華から連絡が来たものだから、ぐだぐだ寝ているだけの腰を上げて、こうして霜月邸に脚を運んだ次第である。
「正樹さんがアイドルになるのを反対してるんだって?」
「はい。憤懣やる方ないです」
「まあ……ゆいの死因を考えれば、仕方のない事なのかもしれないけど」
「お母さんと私は違います。私は健康で、病気の兆しもありません」
「それでも親の立場になれば、心配で胸が潰れそうになるものなのよ」
ふふふ、と綾乃は微笑んだ。
胸の中に去来したのは娘の姿。
絢華よりもいくつか若い、可愛い可愛い娘の姿である。
「お父さんを説得しても納得してくれなさそうなので、三ヶ嶋綾乃さんには、私を立派なアイドルとしてプロデュースしてほしいんです」
「専門的なことはさすがに分からないけれど、まあ、これでもトップアイドルの一角に居たのだから、助力にはなると思うけど」
綾乃は眉を下げた。
「絢華ちゃんを立派なアイドルにするのと、正樹さんを納得させるの、いったいどういう繋がりがあるの?」
もっともな質問だ。
絢華は待ってました、と言わんばかりに指を立てる。
自慢げに。
教授の問いに対して膨大な対策を用意してきた学生のように、誇らしげに語りはじめた。
「いいですか。まず私はお母さんの血を受け継いでいます。トップアイドルだったお母さんの才能を引き継いでいます。であれば、私がトップアイドルになるのは間違いありません」
「そういうものかしら……」
「そういうものです」
断言した。
一切の躊躇がなかった。
絢華は己の輝くべき未来を確信しているようだ。
「そしてお父さんを納得させるには、素晴らしいパフォーマンスを見せつけることで、認めざるを得ない状況を作ればいいのです」
「素晴らしいパフォーマンスを披露するために、私が絢華ちゃんを育てればいい……ということ?」
「完璧です。さすが元トップアイドル」
「別に私の経歴は関係ないけどね」
絢華は「ふふーん」と胸を張る。
心なしか鼻も伸びているようだ。天狗。
あまりに瑕疵のない自分の作戦に、全人類は私を讃えるべきだろうと勘違いしているのかもしれない。
霜月絢華は自分を貫くことに固執しすぎて、世間では傲慢と表現される特徴までも獲得してしまっていた。
ついでにアホの子属性も。
「ううん……そんなに上手くいくかしら」
「上手くいきますとも。完璧です。私の作戦に穴はありません」
「だといいけれど……」
綾乃は非常に心配していた。
霜月ゆいにも、こういうところがあった。
考え足らずというか、抜けているというか。
不安定な地盤を意気揚々と踏み抜いて、案の定、真っ逆さまに転落することがままあったのだ。
娘にもドジっ子な部分が遺伝してしまったのだろうか。
どや顔を晒す絢華に、綾乃は苦笑する。
「……まあ、下手の考え休むに似たり、とも云うしね。うだうだ考えているよりもまずは、行動してしまったほうが、状況が好転するかもしれないわ」
「そのとおりです三ヶ嶋綾乃さん。さすが元トップアイドルです」
「絢華ちゃんはトップアイドルを探偵か何かかと同一視しているのかしら」
いつか躓いてしまいそうな猪突猛進さだが、七転び八起きと云うし、転んだらまた立ち上がればいいのだ。失敗は成功の母。
綾乃は逡巡していた自分を蹴り飛ばし、目の前のアイドルの卵を育てることに決めた。
「それとね、絢華ちゃん」
「はい?」
「いつまでも三ヶ嶋綾乃ってフルネームで呼ばれるのは距離を感じるから、気安く綾乃さんって呼んでくれないかしら」
「はいっ! 綾乃さん!」
「うふふふ、新しく娘が出来たみたい」
そうして、二人は霜月正樹を攻略するために、日夜トレーニングに励むことになったのであった。




