うるせぇ闇堕ちといえばロックだろ
霜月絢華はお嬢様であるからして、余暇時間にお嬢様的な用事が捻じ込まれることがある。
まさに今拝聴しているような、クラシックの観賞会とか。
俺は純黒のドレスに身を包み、清楚な微笑をたたえて座っていた。
ステージではオーケストラが心に迫る音楽を奏でている。
「…………」
しかし俺はお嬢様ではない。ただの一般無教養転生者だ。
クラシックを聴いて感動はするが、次第に飽きてしまう。
本日の観賞会が開催されてから実に一時間半。
あと三十分程度で終了するようだが、ずっと椅子に座って表情を固めているものだから、そろそろ表情筋が超過勤務にストライキを起こしそうだ。
周りに迷惑をかけないようそっと立ち上がり、
「お花を摘んできます。ごめんあそばせ」
お嬢様口調で文句を封殺した。
隣で同じく鑑賞していた父親は何か言いたげであったが、俺の提示した要件の性質上、責めづらい内容である。
完璧な論理の構築により、無事に会場から脱出することと相成った。
開放的な外の空気に背筋を伸ばす。
「ふぅ~空気が美味いぜぇ。二酸化炭素の濃度がひくーい」
ため息をついて会場の周りを散歩する。
マナーモードにしていたスマホを取り出して、ソシャゲでも周回しながら無為に時間を過ごそうか。
そう思って近くのベンチに向かうと、何やら重たい雰囲気を纏った深窓の令嬢が、今にも泣きだしそうな面差しで座っていた。
くるりと踵を返し、進行方向を変え──。
「いや、それは雑魚の思考だ」
考えを改め隣に腰を下ろした。
急に人が現れたせいだろう、先程まで「えぐえぐ」と涙を抑えていたご令嬢は、驚いたように目を丸くし、こちらを呆然と眺める。
「今日は天気がいいわね」
「て、天気……ですか?」
「ご存じない? 初対面の相手と会話をする時は、第一に天気の話題を出すと円滑に進むのよ」
「は、はぁ……」
困惑と猜疑心を瞳に宿す彼女。
服装から推察するに、俺と同じく鑑賞会から逃げ出してきたのだろう。
しかし泣くほどクラシックが嫌いな様子。
親でも殺されたのかしら。
「──貴女もあそこから逃げ出してきたの?」
会場を指差して首を傾げる。
彼女はしばらく黙り込んで、静かに頷いた。
「そう。息苦しいものね、あそこ」
「──! そうなんですわ!!」
「おお」
予想外の勢い。
ずずいと詰められた顔を押しのけて、俺は口を開く。
「気持ちのいい天気に反して、貴女の顔がずいぶんと曇っていたから。気になって話しかけてしまったの」
「……そんなに曇ってましたか?」
「路地裏の枯れた蒲公英くらい」
「だいぶ曇ってますわね……」
額を掌で押さえる少女。
彼女は自らを東恩納映莉子と名乗り、大層な家柄を嘆くように、ベンチに体重を預け、澄み渡った空を曇天の目で見上げた。
雰囲気が暗すぎてブラックホール。
「……今日の観賞会に招待されるくらいですから、霜月さんも理解できると思うのですが。東恩納の令嬢にアイドルは相応しくないと、お父様に否定されましたの。わたくしの唯一の趣味ですのに」
「ああ、アイドル。そう。貴女も」
「貴女も──? つまり、霜月さんもアイドルを!?」
俺は「最近出会う奴が全部アイドルだな」と自分の運命力に関心していただけなのだが、映莉子は妙な勘違いをしたようで、瞳を輝かせながら詰め寄ってきた。
「いえ。私は違うわ。違うの」
再度、顔を押しのけながら宣言する。
念を押すように、言外に意図を含ませて。
映莉子は期待通り深刻な何かがあると思い違いをしてくれたらしい。
彼女は僅かに浮かんだ笑みを噛み殺して、「すみません」と視線を逸らした。
ぶるりと快感に身を震わせる。
今の闇堕ちしたアイドルっぽい発言だったよなぁ!!?
時々自分の才能が怖くなるぜ。
◇
突然、隣に座ってきた霜月綾香という女性。
歳の頃は二十そこそこという感じで、わたくしよりも少し上でしょうか。
後でお父様にお叱りを受けることを覚悟して、魂の殺人と呼んで差し支えない、クラシック鑑賞会から逃げ出してきた昼下がり。
人生は小説よりも奇なりとは云いますが、それにしても、相当に奇妙な出会いです。
「…………」
「…………」
彼女の横顔は美しく、気を抜けば目を奪われてしまいそう。
誘蛾灯に灼かれる昆虫のように、わたくしは霜月さんに話しかけたい思いに駆られながら、しかし先程の闇深い表情を想起しました。
アイドル。
わたくしに唯一許された趣味にして、まもなく奪われるであろう未来。
輝かしいアイドルたちが世間を賑わせて久しいですが、いまだに頭のお固い方々は一定数存在します。
嘆かわしいことに上流階級の住人にそれは顕著。
お父様などは、『頑固』と辞書で引いたら一番最初に例に出てくるような人ですから、当然わたくしにアイドルを許そうはずもありませんでした。
お母さまを説得して第二アイドル育成高校に入学し、ようやっとグループの空気も改善されましたのに、夢半ばで諦めざるを得ないのは口惜しいのです。
わたくしが嘆き悲しんでいた理由を説明すると、ひとしきり潜心した様子の霜月さんが、無言でわたくしの腕を取り、ベンチから強引に立ち上がらせました。
「し、霜月さん……?」
「クラシックなんて当時は革新的な音楽だったのだから、今でいうロックと同義よね」
「霜月さん???」
「映莉子はロックを嗜むかしら?」
「す、少しくらいなら耳にしたことがありますけれど……」
「そう。じゃあロックンローラーになるわよ」
「霜月さん!? ちょ、何処へ向かっておられるの!?」
困惑の問いはまったく取り合われません。
ずんずん街を行き、到着したのは人混みの駅。
生まれてこの方、公共交通機関など利用したことがありませんでしたから、わたくしは彼女が何をなさろうとしているのか、一切理解できませんでした。
「監視の目を潜り抜けて逃避行。ロックよね」
「た、確かにロックかもしれませんが……」
背後から焦ったような気配が伝わってきます。
振り返ると、お父様が寄こしたのであろうスーツ姿の男性方が、今にも閉まりかけている電車の扉に走る様子が伺えました。
もちろん彼らは間に合わず、絶望をサングラスの下に刻みます。
わたくしたちの乗った電車は無情にも発進しました。
「わたくし、折檻されるのではないでしょうか」
「私は面白いことが好きなの」
「それは付き合っていれば嫌でも分かりますが……」
「私は面白いことが好きだから、退屈そうにしている人を見ると、どうにも我慢がならないの」
ぱたん、と。
いわゆる──壁ドンの格好で。
霜月さんが迫ってきました。
「や、優しくしてくださいまし……」
「?」
瞼を閉じて唇を尖らせても、期待──いや予想していた感触はありません。
おそるおそる目を開くと、彼女は戸惑ったように苦笑しています。
わたくしの反応が予期せぬものだったのかもしれませんが、なんというか、大人っぽく高嶺の花めいた霜月さんがそうしていると、まるで幾分か年若くなったようで、美しいよりも可愛らしく映りました。
「──とにかく。私は貴女に面白いことを教えてあげようと思って」
「まあ。逃避行なんておっしゃるものですから、ラブロマンスを期待していましたのに」
「やりづれぇなコイツ……」
ぼそり、と何やら呟く霜月さん。
何を喋ったかは、あまりに声が小さかったもので聞こえませんでした。
「ふふふ」
ただ、どうしてでしょう。
鉄仮面の霜月さんを困らせると、胸の何処か片隅が甘く疼きました。
◇
「……?」
猛禽類に狙われる小動物のような、謂われなき恐怖というか悍ましさというか、とにかく心身を打ち震わせる肌寒さに襲われた。
周囲を見渡してみるが、当然原因らしき冷房などはない。
数歩後ろを付いてくる映莉子を振りかえってみると、彼女は可愛らしく「?」と首を傾げる。
……まあ、気のせいかなんかだろう。
嘆息して意識を切り替える。
現在目指しているのはフェス会場だ。
アイドルとかのキラキラしたものじゃなくて、もっと血みどろで血なまぐさいロックの。
この世界はやれ希望だの、やれ将来だの明るい曲が多すぎる。
アイドルが多い都合上仕方ないのだろうが、前世の暗さに慣れた俺には退屈。
ゆえに近所で開催されるロックフェスについて調べていたのだ。
まさか若干一名を伴って向かうとは予想だにしなかったけれども。
「…………」
「…………」
それにしても、いったい自分は何故、映莉子を──誘拐まがいの方法で──連れてきたのだろうか。
元は暇潰しで話しかけただけのはずなのに、ずいぶんと退屈そうにする彼女の顔を見たら、身体が勝手に動いてお供にしてしまっていたのだ。
戦国時代なら天下人を目指せそうな才能だが、現代においては逮捕まっしぐらの素質である。
俺は首を捻りながらも粛々と目的地に向かった。
数分ほどして到着し、いつの間にか手を繋いできていた映莉子に示す。
「あれが会場よ」
「──クラシックとは全然雰囲気が違うんですのね」
ファンキー(好意的な表現)な髪型の男性とか、イカした(多様性に配慮した表現)格好の女性とか、およそ普通に生活していたらお目にかかれないであろう人間が一か所に集っている。
見慣れぬ光景に高揚しているのか、映莉子は掌の力を強くし、燦然と目を輝かせた。
手を放せと言っておろうに。
開放感溢れる右手をぶらぶらしながら、入り口の列に並んで一日券を購入する。
映莉子は金銭の類を持ち合わせていないようだったから俺が立て替えた。
奢ってやらないのは心が狭いと識者諸君に謗られるかもしれないが、最近の霜月絢華は問題行動が多いということで、宗主国による経済制裁──要するに父親からお小遣いの大幅カットを食らっているのだ。
買い食いなどの趣味が増えた俺にとってかなりの痛手。
だからおいそれと施しをするわけにはいかないのである。悲しいね。
「──あ!」
「──え!?」
さて会場に入ろうとし、再び手を繋がんとする映莉子をいなしていると。
背後から聞き覚えのある声が二つ飛んできた。
上半身をねじって声の主を探すと、はたして、そこには闇堕ちアイドルのふりをして遊んだアイドルの卵たちが立っていた。
知らない少女も一人居るけど。
「おや? 雨森さん方ではありませんか」
すると隣で目を丸くする映莉子。
どうやら彼女らは知り合いらしい。
俺は途端に帰りたくなった。




