ああ、私しか気付いてない
「……驚愕」
「……びっくりですね」
斎と花音は愕然としていた。
原因は掲示板に張り出されたテスト結果。
二年生の順位は相変わらず稲庭斎が頂点を飾っているが、異変が起きたのは一年生の順位表である。
三位、志波紗耶香。
天変地異の前触れか。
一年生はもちろん、職員室までもが混乱に見舞われていた。
何度も採点ミスを疑い、何度も確認を重ね、最終的にはカンニングだと結論づけ再テスト。
しかし紗耶香は似たような点数を叩きだしたものだから、この結果は彼女の実力によって果たされたものだと証明された。
「ふふんですのだ。紗耶香ちゃんはやればできる子ですのだ」
「……できすぎ」
「だったら初めからやってほしかったものです」
腰に手を当て胸を張る紗耶香。
心なしかその鼻が伸びているように見える。
斎と花音は呆れたように言い、やがて苦笑した。
学年最下位では満足なアイドル活動が行なえまいと、花音が紗耶香を引きずって生徒会室に連行してから二ヶ月。
そこで憧憬を抱いた紗耶香は、これまでの不真面目さが嘘のように勉学に励み、正々堂々と学年三位という結果を残した。
さすがにここまで努力を見せつけられてしまえば、誰も文句など言えない。
「これでアイドル活動できるね」
「ええ。モーマンタイです」
「……私もお役御免。静謐の読書に戻る」
「何を言ってんのさ生徒会長」
「そうですよ生徒会長」
「……嫌な予感がひしひし。三十六計逃げるに如かず」
地震の前に鼠が逃げ出すように、斎はただでさえ小さい身体を縮こまらせて、その場を立ち去ろうとする。
しかし二本の腕ががっちり肩を掴み、彼女を離さなかった。
さながら墓の下から死体が蘇るような。
ある種、猟奇的な光景であった。
「……セクハラは同性間にも成立する」
「やだなぁ私たちの仲じゃないっすかせーんぱいっ」
「そうですよ水臭いですよお姉ちゃん」
駄目だ、逃げ出せそうにない。
斎はがっくりと肩を落として諦める。
強制水泳試験を課される鼠のような格好だった。
◇
──なんて事があって、今では私も立派なプロのアイドルだもんねぇ。まったく人生なにが起きるか分からないものだよ。
沖縄の陽射しを浴びながら私は鼻歌を歌う。
片手には氷の詰まった袋、もう片方にはハンディファン。
灼熱の太陽なにするものぞ。私は最強だぁああーっはっはっは!!
沖縄最大のドームでライブを開催するにあたって、私は会場の近所を散歩することにした。理由はない。楽しそうだから。もっと言えば、控室が緊張でぴりぴりしてたから居づらかったのもある。花音なんて抜身の刀みたいな目ェしてたしなぁ。
ふんすこふんすこと歩きながら、木漏れ日の下で軽くボイトレをしてみたり、体温が上がりすぎないよう氷とハンディファンで涼んでみたり。
ひとしきり散策を終えて、さて控室に戻ろうかと踵を返すと、会場前のベンチにたむろする七人組に気が付いた。
おお、凄い汗。もしかしてランニングとかしてたのかな。このクソ暑い中お疲れ様だよホント。私だったら最初の一歩目で挫折して、病的なまでに涼しい、クーラーをガンガンに利かせた部屋でアイスでも貪っているだろう。とても灼熱の太陽のもと運動しようなんて殊勝な気にはならない。
彼女らは見た目も整ってるし、もしかしてアイドル志望なのかな。
無理して頑張りすぎるとアイドル死亡に変わっちゃうぞ若人たち~。
と通り過ぎようとした時。
電撃のような出会いが私の脊髄を痺れさせた。
「……夜凪ゆき?」
小さな呟き。
風に紛れて消えた。
それほど小さな囁き。
ベンチにたむろする七人組の中、一番年上であろう見た目の女性。
夜凪ゆきを知る者は、むしろ彼女と夜凪ゆきを結び付けられないだろう。常にほんわかと笑みを浮かべていた夜凪ゆきと、能面のように無表情の彼女は印象が違いすぎる。
加えて髪型も違うし、黒一色のコーデは、明るさの塊とも言える夜凪ゆきとは正反対にあるものだった。
しかし私には判る。
画面が擦り切れるまで夜凪ゆきのライブ映像を見て、観て、視て、そのすべてを脳髄に刻み込んだ私には。
あれは間違いなく夜凪ゆきだ。
消えた天才アイドルが、そこに居る。
「……ぁ」
声をかけようとして、躊躇した。
伸ばした指先が折れる。
耳鳴りみたいな甲高い、鬱屈とした音が聞こえた。
突然、表舞台から消えた天才アイドル。話題性に欠けない存在だ。誰もが彼女の行方を追って、分からなくて、諦めた。夜凪ゆきは消えたかったんじゃないだろうか。姿を消して、誰の記憶にも残りたくなかったんじゃないだろうか。
時折、私もそんな欲求に苛まれる。
誰も自分を知らない世界へ。
ファンサを気にせず、身バレを気にせず、自由に外を歩き回りたい。
ふと瞬きをしたら忘れてしまうくらいの夢だ。けれども、心のどこかに存在するのも確かで。
夜凪ゆきが業界を去った理由かもしれない。
そう思うと、私の脚は縫い付けられたように竦んだ。
「疲れたー」
「はあ、実千、はあ、ほんと馬鹿、はあ……」
「息切れの合間に罵倒するんじゃないわよ」
「正当な批判……」
「絢華さんも何か言ってやってくださいよぉ」
「アイドルには体力も必要よ。この炎天下、十キロを走破するのは少しやりすぎかもしれないけれど」
ストーカーみたいに盗み聞きしたところによると、彼女の名前はどうやら霜月絢華というらしい。
夜凪ゆきではない。でもあれは絶対に夜凪ゆきだ。私の魂がそう言ってる。全財産を賭けてもいい。
……だとすると、『夜凪ゆき』は芸名だったのだろう。
あるいは、『霜月絢華』こそが芸名なのか。
私は木の影から彼女らを観察した。




