これがCRYSTAΛだ
雨森紗英の身体は不思議なほどに軽かった。
意図した動きが寸分の狂いなく再現される。
指先から爪先まで、彼女の思い通りにならないところはない。
今の紗英の状態を表すとしたら、いわゆるゾーンであろう。卓越したアスリートが長年の努力と極限の集中力の果てに、時間が遅く感じ最善の行動が選択できる、実力以上の実力が発揮できる最高潮の状態。
加えてゾーンに入っているのは紗英だけではない。
CRYSTAΛの六人全員が、ある種の万能感に酔っていた。
「これは……」
「凄いな……」
思わず審査員も息を呑む。
このブロックは天喰伽藍が勝ち抜くと疑わず、あまり意識してライブを観ていなかった彼らですら。
ああ、ああ、ああ!
なんて気持ちいい!
今ならなんだってできる!
伽藍さんにだって勝て──。
そこで紗英の意識は冷や水をかけられたように冷静になった。
この状態だったら天喰伽藍に勝ち得る?
確かにCRYSTAΛの限界はここだろう。これ以上を望むべくもない。今だって限界以上の力を引き出して、ライブが終われば筋肉痛に苦しむか、気絶するだろうと予感しているのだから。
けれど伽藍さんに勝てるのか?
そう考えると、難しいものがあった。
前提として天喰伽藍は怪物だ。本来複数人で構成されるアイドルグループのメリットをすべて捨てても、全高校生の頂点に立てる怪物。彼女のような暴挙を防ぐために大会運営がルールを改定するほどと言えば、その恐ろしさが解るだろう。
対してCRYSTAΛはどうだろう。間違いなく新進気鋭のアイドルだ。時を重ねれば天喰伽藍に匹敵する綺羅星になれるだろう。今でさえ片鱗を見せているのだ、将来は約束されたものと考えていい。
しかし、重要なのは未来ではなく現在だ。
天喰伽藍に勝たなければならない。ここで勝たなければならない。いま勝たなければならない。負けられない。負けてはいけない。負けてしまえば……何かが崩れる気がする。気のせいか? どうだろう。分からない。でも、心の奥底で何かを確信している。それが何かは判らない。
ゾーンに入った状態でも、違和感の正体は掴めなかった。
紗英は振り付けに合わせて汗を拭う。
私はアイドルだ。
アイドルならば観客を楽しませろ。
観客に希望を持たせろ。
あんなに退屈そうに、世界に絶望している人を見捨てるのか。
紗英の意識にあるのは天喰伽藍の横顔だ。この世界のすべてに絶望したような、深い深い影の落ちる横顔。誰にも期待していないと語る横顔。陰鬱に伏せられた睫毛。どこまでも暗い双眸。そんなの、苦しくて仕方がないじゃないか。
アイドルは楽しいものだ。
アイドルは煌びやかなものだ。
アイドルは──きっと、人を救うために。
紗英はギアを一段階上げる。腕の振りはさらに鋭く、観客に向ける視線はより柔らかに、心を掴む手はもっと貪欲に。
無言のギアチェンジに、しかし五人は気が付いた。その目的すらも理解した。助けを求めるように瞠目する天喰伽藍。彼女に届かせるのだ。私たちの思いを。私たちの覚悟を。
貴女は独りじゃない。
貴女は独りにならなくていい。
貴女は独りが嫌なんだろう?
ここにCRYSTAΛの心は一つになった。
もはや勝利は心になく。
ただ純然たる想いに泣く。
天喰伽藍を闇から救い出すために、彼女らは踊っていた。
「……ぁ」
そして、伽藍もまたその願いを感じ取っていた。
椅子の肘置きを握りしめ、食い入るようにステージを凝視する。
普段の泰然とした彼女を知っている者が見たら、とても同一人物だとは信じない様相であった。
生まれてからこの方、天喰伽藍は天涯孤独である。
それは「家族が居ない」という意味ではなく、精神を共通して過ごすことのできる者が居ないという意味。
誰と心を通わせることもできず、内に秘めるは伽藍洞。
ぽっかりと空いた穴を埋めるものに出会わぬまま、彼女は十七年の時を過ごしてきた。
しかし、いま初めて。
伽藍の心に想いを届かせようとする者が現れた。
ああ、確かに彼女らのパフォーマンスは天喰伽藍に及ぶまい。圧倒的な才能が十七年の歳月をかけて研ぎ澄まされてきたのだ、霜月絢華と出会って数か月の六人が勝てる道理はない。
けれども。
重要なのは実力の如何ではなく。
どんな想いを背負って歌っているかだ。
『────!』
曲が止まった。
ライブが終わったのだ。
会場は沈黙に包まれ、驚愕が浸透していく。
目を見開く伽藍。
彼女の視線はステージの中央、伽藍を指差す雨森紗英に注がれていた。
『これがCRYSTAΛだ!』
紗英の言葉に含まれた意味を解すことはできない。あまりにも多くの感情と歴史とが複雑に混ざり合っていて、如何な科学者でも解析することは不可能だろう。しかし、だからこそ伽藍の胸に去来するものがあった。
審査員は空白に染まる思考を振り払い、採点に戻る。
CRYSTAΛのパフォーマンスは凄かった。予想以上だ。
でも──。
「まあ、順当な結果かしら」
霜月絢華は退屈そうにため息をつく。
ステージ上に張り出された審査結果。
そこには、ただ「天喰伽藍」の名前が記載されていた。
つまり今審査の勝者はたった独り。
実力以上を魅せたCRYSTAΛも素晴らしかったが、天喰伽藍の領域には届かなかった。
何かもうひとつピースが嵌っていれば。
誰しもにそう思わせるほどのライブではあった。
「ごめんなさいね。どうも貴女が最強みたい」
「いや……光り輝くものを見せてもらった。暗雲立ち込める嵐の夜に、暖炉の傍で読み聞かせをする母のような。温かい想いを受け取ったさ」
絢華の謝罪に、伽藍は苦笑する。
なるほど。霜月絢華が私に見せたかったのはこれか。常に孤立していた私に匹敵する人間は居ないかもしれないが、複数人が集まれば結果は判らない。アイドルは数人で構成されるのが常なのだから、何も独りでさめざめと泣いている必要はないと。
「さて、霜月絢華よ。今回の茶番、どこまでが貴殿の思惑どおりなのかな」
「茶番? なんのことかしら。今回の一件はひとえに彼女たちが頑張って、そして貴女が勝手に何かを得ただけの話よ」
「くっくく……まあ、そういうことにしておこう」
真に恐ろしいのは私なんかじゃなくて絶対にこの人だ。
伽藍は上手く丸め込まれたことに呆れ、CRYSTAΛの六人のもとに足を運ぼうと席を立った。
「ほれ、貴殿も行こうぞ」
「いや私は──」
「すべてのフィクサー顔はさせんぞ。エンドロールには貴殿の名前も載せてやる。嫌と言っても無理やりな」
抵抗しようとする絢華の手を取って、彼女はステージに降りていく。
「伽藍さん……」
「雨森紗英。我の勝ちであったな」
「はい……その、すみませんでした……」
「何も謝罪をすることはない。貴殿らの気持ちはちゃんと胸に届いた」
いつもの無表情を崩して、伽藍は六人に笑みを向けた。
長い冬を乗り越えたつぼみが綻んだようなそれに、見る者は思わず目を見張る。
まるで事態が一件落着したような空気。
誰もがそう思っていた。
霜月絢華ですらそう思っていた。
思い込んでいたのだ。
「あの……」
その時、蚊帳の外に居た審査員がおずおずと声を上げる。
彼の視線は天喰伽藍──ではなくて、その腕の先、霜月絢華に寄せられていた。
「ああ、間違いない。夜凪ゆきさんじゃないですか」
旧友に出会ったような気安い声。
あるいは行方不明の人間を発見したような。
安堵の、声だった。
「心配してたんですよ、急に居なくなって──」
声は届かない。
心配は届かない。
困惑は届かない。
心は、届かない。
◇
その後、CRYSTAΛの前に霜月絢華が姿を現すことはなかった。
これにて第四章完結です。
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