天喰伽藍の独白
きっと、私は人間に向いていないのだろう。
昔から漠然とした孤独感に苛まれていた。
いつから〝それ〟が傍らに在ったかは判らない。
物心ついた頃にはすでに在ったのかもしれないし、あるいはこの世界に生まれ落ちた時に、逢ってしまったのかもしれない。
小学生の時分だ、私はいわゆるいじめられっ子であった。
とはいっても暴力を受けるなんてこともなく、教室の隅で独り、寂しく本を読んでいるだけの子供だった。
たまに誰かに声をかけてみれば、気遣いを感じる表情で、優しく無視をされる程度のささやかな排斥。
何が原因なのか考察してみれば、それはひとえに、天喰伽藍の天才性だったのかもしれない。
……いや自分で自分を「天才」だと形容するのは恥ずかしいものがあるけれど、私を鬼才だとか秀才だとか逸材だとか、とにかく特別な呼び方をしないのは、むしろ周りに迷惑だと思った。
だって、私は昔からなんでもできた。
「なんでも」っていうのは比喩表現じゃなく、文字通り、挑戦したことの何もかもが容易に成し遂げられたのだ。
水泳の授業で、這うのがやっとの頃から泳いでいた子を置き去りにして、プールの端に辿り着いた。
音楽の授業で、声楽の一家に生まれた子を泣かせるくらいの歌唱を、初見で成功させた。
体育の授業で、日夜サッカーに明け暮れる子を抜き去って、いとも容易くゴールを奪った。
勉強も運動もゲームですらも、私にとって難しいものは存在しなかった。
他の子はどうして難しそうにしているんだろう。
そんな傲慢な疑問すら抱いたことがあった。
出る杭は打たれると云うけれど、出過ぎた杭は壁となって、障害となって、外界と断絶する結界と化す。
私は子供特有の全能感に酔って、みんなを叩き潰す快感に酔って、そんな振る舞いによって隔離された。
当然だ。当たり前の対処だ。
自分が特別な生き物で、だからこそ周りに馴染めないのだとようやく理解したのは、小学校を卒業して中学校に上がる頃だった。
あまりにも遅すぎる気付き。
噂は学区内に広がり、同級生に広がり、中学校にも広まっていた。
幼心の傲慢が薄れ、人間らしい繋がりを求めても、異常な才能は正常な拒絶を生む。私は中学でも独りだった。
「……ン」
そこで出会ったのだ。
天喰伽藍の行く末を変える一冊に。
私の常識をひっくり返す、異常性がむしろ武器になる存在。
それは──中二病。
常人とは一線を画す言動で以て自己を確立し、否定こそを己が優越性に画定し、何処まで行っても孤独で、何処まで解釈しても異常な精神性。
もちろんそれは、変に成熟した諦観と、自分を特別だと認めたい自己肯定感が相まって現れる、思春期に特有の病である。
けれども小説や漫画の中で躍動する中二病は、現実に辟易していた私にとって、鮮烈な光に見えた。見えてしまった。
ゆえに私は己を「滅界の原初種」の転生体と定義し、自分の異常な才能は、前世由来のものと説明した。
左腕に巻き付けた包帯は黒哭の胎動を封じ込めるためのもので、眼帯は星葬る者との戦いで負った傷のためと物語を作ったのだ。
至極当然のことながら、常識外れの私の格好は、周りとの距離をさらに広げる方向にしか作用しない。
でも自分は中二病という甘い夢に溺れて、今までよりもずっと生きやすくなったのだ。まったく後悔などなかった。
なかった──のに。
この世界に生まれた子供は必ず、一度くらいはアイドルを目指す。
異常な私も正常にその夢を抱き、家から最も近かった東京都第二アイドル育成高校に進学した。
「アイドル」という実力差を数値化しにくい戦場に変わっても、変わらず私は一番を取り続けた。
すべての努力を叩き潰して、明らかに自分より頑張っている人を踏み台にして、私は学年トップの成績を残した。
「ごめん、伽藍。私たちもうアンタに付いていけないよ」
「眩しすぎる光は方向感覚を失わせるの」
「自分が何を目指してたのか、忘れちゃった」
「伽藍のバックダンサーになるのは嫌だ」
「さようなら」
「ばいばい」
今でも昨日のことのように覚えている。
忘れられるはずがない。
私が組んでいたアイドルグループは解散して、天喰伽藍は再び独りきりになってしまった。
「…………」
当てもなく歩く。
奇異の視線を向けられる。
とうに慣れたことだ。
私は何処へ行っても異端で悼んで痛んで居たんだ。
人間は追い詰められると開放的なところに足を運ぶのか、気が付けば私は、風吹きすさぶビルの屋上に立っていた。
フェンスを掴んで真下を睨みつける。
ゴマ粒のような人の群れ。誰も天喰伽藍を知らない人の群れ。
もしも今、私があそこに飛び込んだら。
誰か一人くらいは、私を憐れんでくれるだろうか。
距離感覚が失われる。
生存本能が遠くなる。
自律神経が散らかる。
希死念慮が湧きたつ。
がしゃん、がしゃんと靴を引っ掛けて。
一歩踏み出すだけで私は──。
「今日は……風が騒がしいな……」
驚いた。
思わずひっくり返った。
車に轢かれた蛙のような無様な格好になって、私は屋上の床に不本意な帰還を果たしてしまう。
まったく、いったい誰なんだ。
私の夢想を邪魔した不届き者は──。
そちらに視線を向けると。
こちらに視線は向けられていないのに。
背中だけが見えているはずなのに。
私の全身が粟立った。
「…………ぁ」
逢魔が時。
この世のものではない魔物に遭遇してしまう──昼と夜の狭間。
きっとそこに居るのは、逢魔が時に現れた怪物なのだろう。
呆然とそう確信してしまうくらい、彼女は悠然と空を眺めていた。
黄昏に堕ちる東京の街並み。
とあるビルの屋上で、フェンスを掴む美少女が独り。
摩天楼の空隙を駆け抜ける風が、彼女の黒髪を巻き上げる。
私は震える脚を叱咤して、抜けそうになる腰を補強して、舌の根のあたりで詰まる喉に、無理やり声を通した。
「でも少し……この風……泣いてます……」
彼女は鷹揚と振り返る。
私の存在なんてちっぽけだ、と言うみたいに。
路傍の石を見つめるような眼差しを、向けられた。
「……ずいぶん悲しそうな横顔ね」
「フッ……」
思わず笑みが込み上げる。
誰にも、親にすら看破されたことのない感情を。
一瞥だけで暴かれてしまった。
「──貴殿と我が出会うのも、また運命の導きということか」
「……そうね。運命の悪戯、あるいは前世の呪縛といったところかしら」
間違いない。
この人は私と同類である。
周りを圧し潰す才能によって自分すらも圧し潰してしまい、才能の断絶ゆえに奇行に走る……私と同じ中二病患者!!
まさか似たような性質を持つ人間が居るとは思っていなかったので、口から心臓が飛び出そうな緊張に襲われつつも、私は目の前の女性と会話を重ねる。
「我の名は──天喰伽藍……」
少々気恥ずかしさを感じながら本名を口にすると、彼女は慈しむように目を細めて微笑した。
「素敵な名前ね」
同情でもなく。
本心から紡がれたのだろうなと解る言葉。
自分の名前を気に入ってはいるけれど、それはそれとして、キラキラネームなんじゃないかと悩んでいた私は、正面からこの名前を認めてくれる人が現れたことで、思わずキャラ設定も忘れて、興奮に頬を熱くする。
「えっやっぱりそうですよね!?」
「ん?」
「あ」
……中二病状態、もとい演技してる状態ならあんまり恥ずかしくないのに、いざこうやって素が出ると、顔から火が出そうな気分になった。
ごほんごほん、と咳払いする。
「揶揄うな……忌み呪われた名だ……」
「フッ──貴女なら、そう言うでしょうね」
完全に初対面なのに、彼女は事情をすべて理解していますよ、みたいな面差しで佇んでいた。
言葉もなしに心が繋がる感覚。
宗教に心酔する人間はトリップ──霊的体験をすることによって神秘の存在を確信するそうだが、今の状況はそれに似ていた。
「貴女の、その鎧の下──」
彼女は私の制服を発見し、指摘してくる。
まあ隠していてもバレるとは思っていた。
幽玄とした空気を纏う彼女が、その程度の見落としをするはずがないから。
「……やはり、見破るのだな」
「当然よ。私の神の眼は万物を見通すわ」
「さすがだな──」
苦笑を浮かべて、昏くなりつつある空を見上げる。
黄昏に翳る雲を眺めると、いつだって寂しい気持ちになった。
まるで自分だけが世界に置いていかれているようで、親とはぐれた幼子めいた泣きべそを吐きたくなって。
けれども今は違った。
同類の彼女が傍に居るからだろうか。
私は無意識のうちに双眸を濡らし、小心翼々と呟いた。
「……我は、進むべき道を誤ったのかもしれぬ」
「つまり──」
「そうだ……偶像という航路を歩み、下々の者にとっては破格の成功を成し遂げた我でも、この掌から零れ落ちる物を掬えなんだ」
天喰伽藍という一個人を識っていなければ、決して理解できない口上。それは理解を求めて零れた言葉ではなかった。ただ、迷子が大人に縋りつくみたいに、安堵を欲したがゆえの。
「いいえ……貴女のその血塗られた道程は、決して忌むべきものではないわ」
「霜月絢華──」
何もかもを見透かしたかのような。
何処までも暗い、昏い、黒い瞳。
「確かに周りの人間にとって、貴女は異端に映るかもしれない。マジョリティにとって伽藍のようなマイノリティは恐怖そのものだわ。ホモ・サピエンスは太古からイレギュラーを嫌ってきたから。本能と言い換えてもいい」
けれどね──と彼女は口の端を歪める。
「同時に、異端者は革命児でもあるの。種が大規模な変革を起こすのは、いつだってイレギュラーが爆誕した時。丁度……貴女のような。大多数の人間は異物を嫌うけれど、あまりに光が強ければ、誘蛾灯に惹かれる羽虫のように、双眸を灼かれ焦がれてしまうものよ」
すべてを肯定された気がした。
自然と涙が溢れ出る。
彼女は私を慰めるつもりなんかなく、ただ事実だけを滔々と説明しただけなのかもしれない。それでもいいと思った。
「我は……私は……間違ってないんですか……?」
「ふふ。面白いことを言うのね。貴女が間違ってる? それは誰が言ったの? 貴女以外の誰が、貴女を否定できるというの?」
「──ッ!!」
「私は貴女のすべてを肯定するわ。失敗の過去も、取り繕いたい過去も、全部含めて現在の貴女を構成する大事な記憶。欠片を取り零すようじゃ、未来の勇者に辿り着くことはできないわ」
欠落していた何かが胸に嵌る。
堪えようのない涙に決壊し、私は彼女に抱き着いた。
「私は……間違ってなかったんですね……っ」
抱擁は、冷たい夜の匂いがした。




