はぇ~バックヤードってこんな感じなんだ
ライブ会場ってのはどうしてこう馬鹿みたいな室温をしているのだろうか。いや今の俺にとっては楽園のようなのだが、運動とかせず普通に訪れた観客にとっては、骨身に堪える寒さだろうに。
紗耶香を先頭に関係者専用スペースを歩く。
お客さんの詰まった通りとは正反対に、ここは人気もなく、静謐が塩ビタイルに反射して、独りで居るには寂しい。
まあ我らがリーダー様はそんなこと気にせず、つかつか廊下を行ってしまっているのだが。
「着いたよ~。ここが私たちの控室です」
ある扉の前で止まって、彼女はルームプレートを指差した。
そこには『Lumière』と書かれている。紗耶香の所属するグループの名前なのだろう。
「たっだいま~」
俺が扉をしげしげと眺めているうちに、紗耶香は元気に控室の中へ入っていってしまった。
ばたんと無情に閉まる音。
耳が痛くなるほどの静寂。
「この流れで一人にされることあるんだ」
紹介したい人が居ると言われて足を運んだのに、まさか廊下に放置されて、理不尽な気まずさに襲われようとは。この絢華の目をもってしても!!
どうしようかと十数秒ほど考えて、もし運営スタッフが俺を発見したら不審者として連れ出してしまうだろうな、と想像がついたので、紗耶香が俺のことを紹介してくれていることに期待しつつ、控室に挑むことにした。
そーっと扉を開けて中を覗き込む。
そこでは紗耶香が羽交い絞めにされており、サスペンスドラマなら二時間は尺を取りそうな光景が繰り広げられていた。
そーっと扉を閉めて喪に服す。
「見捨てないでぇ!!」
「死体が喋っている」
「まだ死体じゃない! まだ死体じゃないよぉ!?」
紗耶香は元気いっぱいに叫んだ。灯滅せんとして光を増す。蝋燭が最後にひときわ強く光り輝くみたいなものだろうか。
すっと十字を切って微笑む。
父と子と聖霊の御名によって。
アーメン。
「なんか諦められてる気がする!」
「紗耶香の言動のせいではないでしょうか……」
「えっ私の言動って今際の際を見捨てられるほど酷いかな?」
「まあ、言葉を取り繕わずに形容すると、壊滅的かと」
「マジかぁ! あはは、ごめーん!!」
けらけらと爆笑する糸目系強キャラアイドル。
そんな彼女を羽交い絞めにして、意識を落とそうとする敬語系アイドル。
我関せずと膝の上に置いた文庫本に視線を落とす文学少女系アイドル。
控室の中には、個性豊かな三人のアイドルが居た。
「ごめん、全力で平謝りするから、そろそろ許して。視界が薄くなってきた。川の向こうでおばあちゃんが手を振ってる」
「紗耶香のおばあちゃんはまだご存命でしょうに。勝手に殺すと祟られますよ」
「あれ、そうだっけ? あはは!」
やれやれ、と敬語系アイドルは紗耶香の拘束を解く。
見た目こそ清楚で虫も殺さない感じなのに、先程の羽交い絞めの完成度の高さからして、日常的な行使が予想された。
あるいは紗耶香のおこないがそれだけ悪いのかもしれないが、いずれにせよ個性的である。
「……あ、どうもすみません。この馬鹿が招いたのに、放置してしまっていて」
「いいえ、気にしないで」
荒岡花音と名乗った敬語系アイドルは、ぺこりと頭を下げた。
「ところで紗耶香?」
「んぁ?」
「どうしてあの女性──」
「霜月絢華よ」
「ありがとうございます。霜月さんを控室に呼んだんですか?」
車に轢かれた蛙みたいな恰好をして床に転がる紗耶香。
彼女は「んー」と天井を見上げ、
「分かんないかぁ」
「紗耶香の突飛な行動を理解できる人間は居ないと思いますけど」
散々な言われようである。よほど腹に据えかねているらしい。
噴火寸前の火山のような、小動物であれば脇目もふらずに逃げ出すであろう怒気を発して、花音はにっこり笑顔を浮かべた。
表情は可憐かつ清楚なはずなのに、何処か寒気のする笑顔だ。
「絢華はね、私の一方的な知り合いなんだよ」
「それは知り合いと呼ばないのでは?」
「じゃあファンだ」
「Lumièreのファンではなく──貴女が、霜月さんのファンだと」
「うん」
散歩してたら偶然見かけたから、控室に連れてきてみました。てへぺろ。
と紗耶香は舌を出して腹の立つ顔を作る。
そういえば彼女はいったい何故、氷の入った袋を持って散歩などしていたのだろうか。いや理解しようとするのが間違いなのかもしれないけれど。人類が自然を掌握できないように、俺が紗耶香を理解できるわけもなし。
「他人に迷惑をかけるのを止めろと──何度言えば解るんですかね」
「ギブギブギブギブ! こめかみが! こめかみがギシギシ鳴ってる! 絶対人間の身体から鳴っちゃいけない音がしてるッ!?」
花音はアイアンクローを決める。
指先が白くなるほどの攻撃。
さすがに狐目の余裕も保てないか、紗耶香は悲鳴を上げてのたうち回った。
「ごめんなさい、実は私のほうからもお願いしたの」
九割九分九厘彼女が悪いとはいえ、俺を控室に招いたことで握力攻撃を受けているのは、どうにも捨て置けなかった。
ゆえに花音を納得させる説明を探そうと、脳みそを全力回転させ。
「とても汗をかいてしまって。気持ち悪いから、シャワーブースとか貸していただけないかしら」
俺は控室に併設されたシャワーブースの扉を指差した。
◇
私は絢華さんから事のあらましを聞いて、そんなことあるんですねぇ、と運命の悪戯にため息をつく。
志波紗耶香さんは私たち六人にも快くシャワーブースを貸してくれ、おかげで全身を覆う気持ち悪さから解放された。
しかも置いてあったシャンプーやらトリートメントやらが、高校生には手の出しづらい高級品で。
髪に櫛を通すと、驚くほど滑らかに整えられる。
「す、凄い……」
「これがプロのアイドル……」
「ボクの髪ってこんなにキューティクル存在したんだ」
「わたくしと同じの使ってましたわぁ」
……若干一名は感動していないようだけど。
「バレないように拝借したら駄目かな」
「駄目だろ。犯人一発で特定されるぞ」
「残念」
ASTRA//CODEの二人もわいわい盛り上がっている。
現在、この部屋にはLumièreの三人の姿はなく、私たちが占拠しているため、傍目には誰の控室が判らない。
どうもライブのリハーサルがあるようで、関係者でもない私たちを置いておくのは駄目なんじゃないかと訊いたところ、「まあダイジョブでしょ」とポップコーンみたいな顔をした紗耶香さんに回答を頂いた。
ちなみにポップコーンみたいな顔とは、ポップコーンみたいに何も考えていない脳みそスカスカ状態なのが透けて見える顔、という意味だ。
我ながら酷い表現だと思うけれど、彼女のあの顔を目の当たりにしたら、きっと誰でも同じ感想になるはずである。
「…………」
「あれ、絢華さん? どうしたんですか?」
「これ何かしら」
絢華さんが机の上の紙を取り上げた。
何やら書いてあるようで、彼女は黙って読み込む。
「──なるほどね。はい」
「え?」
そして私に渡してきた。
唐突な行動だったから驚きつつも、しっかりと受け取る。
「何々……」
君たちはLumièreのライブを観にきてくれたんだよね? 嬉しいなぁ私たちも後輩の目標となる存在になれたんだ。東京都第二アイドル育成高校の先生たちは元気かな。転勤とかのシステムがないから、まだ田中先生とかボーカルのレッスンやってるの? 実は私、田中先生の恥ずかしい過去を知ってるんだよ。まず田中先生は元アイドルだったんだけど、その時に──うわぁ花音それ止めてよ痛いんだよ!?
……ごほん、では本題に入ります。せっかく後輩たちがわざわざ沖縄まで来てくれたんだから、観客席からライブを観るだけじゃなくて、リハーサルも見せてあげたほうが貴女たちの成長に繋がると思うんだ。だからこの置き手紙を残しておきます。シャワー浴び終わったら、この部屋を出て左に曲がり、廊下の突き当たりを右に曲がって三番目の扉をくぐり、地下に伸びる階段を睨みつつ天井から吊るされたロープを登って、壁に打ち付けられた釘を足場にして──。
長いから要約すると、汗を流し終わったらリハーサルを見にきてね、ということだった。
というかこれは手紙なのに、どうしてリアルタイムのやり取りらしきものが記載されているのだろうか。
紗耶香さんは手紙を音声入力で書くタイプの人なのかな? 新人類だ。
「この道順は真実なんですかね」
「嘘でしょうね」
「ですよね」
「屋内マップがあるから、これを参照しましょう」
さすがしごできウーマン絢華さんだ。紗耶香さんが適当なことを書くのを見越して、事前に地図を用意していたらしい。
私たちはそれを使ってリハーサルの現場に移動した。
「うわぁ」
「すご……」
何万人も収容できる会場……そこに照明や音響を調節するスタッフさんや、立ち位置を確認しているらしいLumièreの皆さんが立っていて、やはり大規模なライブともなると、リハーサルですら息を呑むような緊張感が漂っていた。
小さな扉から顔をひょっこり。
無関係である自分たちが足を踏み込んでもいいものだろうか、と葛藤していると、泰然自若の権化こと絢華さんが、気にせずステージに上がっていく。
「何をしているの? 行かないのかしら」
「いっ、行きます!」
雛鳥みたいに付いていくと、眩いスポットライトに照らされた紗耶香さんが、
「おっ来たね」
と手を振ってくれた。
「斎。私たちの後輩だよ。だんまり決め込んでないで挨拶しないと。態度の悪い先輩なんて、世界で一番罪深い存在なんだから」
「……稲庭斎。どうぞよろしく」
「は、はい! よろしくお願いします」
文学少女系アイドルだ、と絢華さんの呟きが聞こえた。
彼女の言うとおり、怜悧な双眸に情動の薄い顔立ちは、確かに文学少女然としている。
「こんなんでも斎はLumière一番の歌手なんだよ」
「……こんなん呼ばわりは不適でしょ。私、紗耶香よりも年上」
「ちっこいからなぁ。年上って感じしないや。親戚の小学生と喋ってる気分になるもん。それかお祖母ちゃん家に飾ってあるこけし人形」
稲庭斎さんの黒髪は、肩にかかるか、かからないかぐらいの長さで切り揃えられている。なるほど、こけし人形という形容は分かりやすい。
しかし〝ちっこい〟と言われたのが気に入らなかったのか、彼女は不満そうに頬を膨らませ、紗耶香さんから離れて向こうのほうに行ってしまった。
「あちゃあコミュミスったなぁ」
ぽりぽり頬を掻く紗耶香さん。
でも反省の色はまったく見えない。
悪戯の成功した子供みたいな笑顔だ。
「リハ始めまーす!!」
その時、スタッフさんが会場に呼び掛けた。
「じゃあ、みんなは席に座ってて」
「あ……はい」
紗耶香さんが指差したのは、ステージから最も近い──いわゆる神席だ。本番でないとはいえ最前列。胸が弾む。腰を下ろすと、体重を支えてくれるような優しい反発が返ってきた。
「三秒前、二、一……」
暗転。
薄らとイントロ。
心の臓が跳ねる。
水蒸気が噴出して。
紫色のスポットライト。
シルエットだけが浮かび上がる。
こちらに近づいてくる。
センターで堂々と笑っているのは──紗耶香さん。
『────!』
スピーカーがすぐ近くに設置してあるせいか、重低音が身体を突き抜けていき、血流が逆になりそうな衝撃が走った。
縦横無尽に走る光の柱。
観客は私たちだけなのに、まるでそこに誰か居るように、会場全体に視線を投げながら歌って踊る。
「これが、プロのアイドル……」
いや、トップアイドルの実力なのか。
私が感動していると、隣に座る絢華さんの横顔が視界に入った。
目を見張ることもなく、心臓を高鳴らせることもなく。
ただひたすらに、黙ってライブを眺めているだけ。
「…………」
何処までも退屈そうな横顔だった。




