消えた天才アイドル面して歌を投稿しよう
俺は自分で作った曲を動画投稿サイトに上げることにした。
理由はもちろん暇潰しである。
セクハラ事件から一週間少々、まだ外に出るのは気まずいから、家の中で可能な遊びに没頭することにしたのだ。
霜月絢華の身体は実に才能に溢れており、ピアノやバイオリンやギター、何故か部屋に置いてあったドラムやら何やら、とにかく楽器という楽器をプロ並みの腕前で演奏することができた。
加えて家──というよりも豪邸と表現したほうが適切だと思われる我が家には、やたらアイドルが多い世界特有なのか、なんと防音室まである。
これは自作曲を投稿するしかあるまい。
以上の流れで俺は作曲をすることにした。
「音楽理論かじっててよかったな」
作曲ソフトを操作しながらひとりごちる。
前世では〝クリエイター〟なる存在に憧れて、イラストやら小説やら作曲やら、一般に創作的と呼ばれる行為に励んでいたのだ。
それがこういう形で役立つとは思わなかった。
人生、何が起きるか分からないものである。
「うーん、とりあえず完成したけど……」
MIDIデータを眺めて首を傾げた。
俺は楽譜が読めないから、パソコンに打ち込んだMIDIに従って生音源を録音しようとしていたのだが。
「あんまこの世界の曲っぽくねぇな」
この世界にはアイドルが多い。
石を投げればアイドルに当たるくらい、多すぎるのだ。
おそらく人口の三割程度はステージで踊っている計算か。
それでよく社会が成り立つよな。
アイドルが多いということは、すなわち流行りの曲調もキラキラしたアイドルっぽいもので、ヒットチャートを覗いてみれば、まぁなんとも輝かしい曲ばかりではないか。
前世の流行り曲を念頭に作ったオリジナル楽曲は、およそアイドルが歌うに相応しくない、ダークな印象を覚えるものだった。
「ま、いっか。そっちのが闇堕ちした奴っぽいし」
が、別に仕事で作曲したわけでもない。
趣味の範疇なのだから売れ線でなくても構わないだろう。
俺は液タブを引っ張り出してきて、動画のサムネ用にイラストを描きはじめた。
◇
贄田実千は苛立っていた。
丁寧に手入れされた金髪を振り乱して、クッションを殴りつける。
いつもの彼女からは想像も付かない暴挙だ。
そして本人も、それを自覚している。
「はぁ……ダサすぎでしょ、私」
ソファに転がって天井を見上げる実千。
学校でレッスンがあったにもかかわらず仮病で早退したのは、実千の幼馴染である雨森紗英が原因だった。
小さい頃から同じアイドルを目指し、東京都第二アイドル育成高校に進学した二人は、しかし半ば喧嘩状態に陥っている。
理由は紗英の緊張体質。
多くの観客を前にパフォーマンスを披露するアイドルにとって致命的な緊張体質のせいで、紗英は下から数えたほうが早い成績を取っていた。
幼馴染のよしみでグループを組んだが、それでも紗英のパフォーマンスは酷い。
他のメンバーからも不満が噴出し、実千と紗英は喧嘩状態と相成ったのだ。
ところがここ一週間で、紗英の成績はめきめきと上がっていた。
いったい何がよい影響をもたらしたのか、緊張に震えていたはずの喉は、やや引っかかりを残すものの、美しい歌声を響かせて。
無意識に紗英を「下」に見てしまっていた実千は、自分が置いていかれる切迫感と、自分が幼馴染を侮っていた事実に苛立ったのだ。
「クソ──最低じゃん、私。何が一緒にアイドルを目指そう、だよ。こんな薄汚い人間に、きらきらのスポットライトを浴びる権利なんて……」
両目を腕で隠す。
それでも眦から流れる涙は隠せなかったが、彼女の意地だろう、泣き声までは漏らさなかった。
「…………ぁ」
目が覚めると。
先程まで明るかったはずの外が、すっかり暗闇に落ちていた。
実千は重たい身体を引きずってカーテンを閉める。
涙の跡が乾いた頬を擦って、「メイク落とさなきゃ……」とため息をついた。
ばしゃばしゃと洗面台で顔を洗い、すっぴんになった自分を観察する。
いつもの濃い──あるいはケバケバしい化粧を脱いだ実千は、明かりを見失った子供のようだった。
「ださ。私が悪い癖に被害者面すんなよな」
弱弱しい拳で鏡を殴って、自分の部屋に戻る。
さっきまでずっと眠っていたはずなのに、実千は立っているのが億劫になった。
ぼすんとベッドに寝転がり、暇潰しにスマホを取り出す。
意味もなくSNSを眺め、意義もなく新しい曲を探す。
アイドルとして不断の努力をしてきた彼女にとって、それは日常と化した行為だった。
「……なにこれ」
そこに目を引く動画があった。
サムネは珍しくイラスト。
アイドルが幅を利かせるこの世界において、ミュージックビデオとは人間──つまりアイドルが画面を飾るのが常識であり、自ら顔を出さない動画は限りなく少ないのだ。
自然にその動画をタップする。
概要欄には『初投稿です』の文字だけがあり、やはり異質感が拭えない。
それなのに──。
「……なに、これ」
心臓がうるさい。
肌が粟立つ。
スマホが奏でる安っぽい音は、しかし確かに鼓膜を叩いた。
これが素人によって作られた曲なのか?
否。聞こえてくる演奏は実千の耳でもプロ並みだと理解できた。
ミュージックビデオの完成度が高いのか?
否。動画に張り付けられたのは一枚のイラストのみで、申し訳程度に歌詞が表示されているだけ。
なのに、なのに、なのに。
歌声が。
繊細に鮮明に鮮烈に響く歌声が、五臓六腑の底の底から生まれ出たような歌声が、実千の脳みそを掴んで離さないのだ。
「常識」という辞書を書き換える音が聞こえた。
暗い曲調に、暗い歌詞、しかして胸を打つ感情。
それは実千の鬱屈とした心中を晴らすのに十分な衝撃だった。
初めて投稿された誰かも判らぬ者の曲が、彼女を走らせる。
普段はコンビニに出かけるのにも多少のメイクをする実千が、着替えるのも面倒だと言わんばかりに、パジャマのまま街を疾走する。
目的地は幼馴染の家。
今まで実千が行こうともしなかった──紗英の家だった。
「はぁ、はぁ……」
事ここに至って、彼女は躊躇する。
インターホンに伸ばした指先を止め、今日までの己の所業を思い返した。
「…………この期に及んで『ごめん』って? どの面下げて?」
浮かした腕は力なく垂れさがる。
突き上げる衝動に身を任せて走ってきたが、冷静に俯瞰すると、物凄く気持ち悪い行動ではないか。
蔑んでいた相手の成績がよくなったから『私も貴女にそんな対応するの心苦しかったの!』とか言い訳をするのか?
クズの見本市に並んでいそうな言動じゃん。
……私、どうかしてる。
過去は消えない。
後悔は人生に傷を残す。
改めて自分の行動の重さを理解した実千は、門扉に映る己の姿を見て嘲笑った。
「帰ろ……」
とぼとぼと、負け犬のように、紗英の家を後にする。
慣れない全力疾走をしたせいか足は棒のようだ。
後ろ髪を掴まれているのかと錯覚するほど歩きづらく、実千はただアスファルトだけを眺めていた。
「……っ、はぁ──!」
そこに、背後から軽い音が聞こえてきた。
息切れは実千の数歩後ろで止まり、逡巡の気配だけが伝わってくる。
「…………」
ストーカーか何かでも居るのかと表情を硬くして、実千は振り返った。
そこに居たのは。
「──紗英?」
「……は、はは。その、玄関に実千の姿が見えたから。思わず、追いかけちゃった」
気まずそうに頬を掻く紗英。
慌てて飛び出してきたのかラフな格好に、足元はサンダル。
およそアイドルに似つかわしくない服装であるが、それを言うならば実千も同じであった。
「その、私に何か用事が?」
「……別に」
なんでもない。
と呟きかけて、止まる。
実千の脳裏に今までのやり取りがフラッシュバックした。
蔑み、侮り、下に見る。
嘘をついて誤魔化して偽って。
それでは何も変わらない。
鼓膜にあの曲がこびりついていた。
頑固で取れない油汚れのように、彼女を急き立てる。
「……うん。そう。アンタに用事があったの」
「もしかして、グループを辞め──」
「違うから。勘違いしないで。そんなんじゃない」
言いきってから、ちょっと語気が強かったな、と反省した。
見れば紗英は完全に委縮している。
気の小さい彼女であればさもありなん、実千は自己嫌悪を浮かべ、しかしその言葉を紡いだ。
「ごめん」
「え」
「……私、どうかしてた。幼馴染のアンタを、誰よりも大事だったはずのアンタを疎んで」
「そ、そんなこと──」
「でもこのタイミングで謝罪なんてしても、成績が上がったから都合よく反応を変えたようにしか見えないよね。分かってる。ごめん。だから許さなくていいよ」
この言葉も責任を押し付けているようで、もう実千はどうしたらいいか分からなかった。
何を選んでも袋小路に迷い込む気分。
いっそ泣き出せれば楽なのだが、真に泣く権利があるのは紗英だけだ。
間違っても咎人である実千が涙を見せてはいけない。
彼女はそう思い込んで腿をつねった。
「わ、分かんないよ……」
「うん。いきなり謝罪なんてされても困るよね」
「だ、だから……」
「もう私の顔を見るのも嫌でしょ? 安心して。私はもう可能な限りアンタに近づかないし、それを求めるなら学校だって──」
「うるさいなぁもう!!!!」
がし、と実千は柔らかさに包み込まれた。
頭の中をはてなマークが飛び回り、思考が停止する。
は? 何? え?
私はいったい、どういう状態になっている?
端的に描写するならば、贄田実千は雨森紗英に抱きしめられていた。
逃がさんぞと言わんばかりに強く強く。
まるでいつかの誰かさんを再現するように、唐突で意図の見えないハグだった。
「さ、紗英……?」
「訳の分からないこと言わないでよ。なんで私が実千のこと嫌ってるみたいな言い草なの? 何処から出てきた情報なのそれは。誤報だよ。圧倒的誤報だよ。どうして信頼性ゼロの情報に従って行動しちゃうかな」
「紗英???」
誰だコイツは。
普段とはまったく異なる言動をする紗英に、実千は背景に宇宙を投影する。
「何を以て自分が嫌われてると判断したの?」
「え……だって、そりゃ、私アンタに冷たく接してたし……」
「足を引っ張る奴がグループに居たら疎ましく思うのが普通だよ」
「でも……紗英は幼馴染だし……」
「可愛さ余って憎さ百倍って云うじゃん。ちょっと違うかもだけど」
ぎゅうぎゅうと、話しながらも背中に回された腕は弱まらない。
むしろ更に距離が近づいて、髪一本通る隙間がないほどに、彼女らは抱きしめあった。
片方は困惑に従って腕を回しているだけだが。
「私の家に来てくれたってことはさ、私を許してくれたって解釈してもいい?」
「許してくれた、って……こっちの台詞なんだけど」
「じゃあ面倒くさいからお互いに許し合った。これで解決!」
「え、えぇ……?」
思わぬ方向に進んでいく展開。
あまりの早さに実千は目が回りそうだった。
抱きしめられていなければ、乙女の尊厳もへったくれもなく腰を抜かしていただろう。
「……紗英」
「ん」
「なんか、変わったね」
「そう?」
「強くなった、というか」
面が厚くなったというか。
さすがにそれを言葉にするのは、自重したけれど。
紗英はぱちぱちと瞬きをして、
「そうかな? 私ってば昔からこんなんだった気がするけど」
「絶対にない。それだけはない」
「そうかなぁ……? 本当にぃ……?」
「実家に帰省したら親御さん卒倒するよ。『東京に愛娘が染まった──ッ』って」
「そんなに変わってないと思うんだけど」
恥ずかしそうに頬を染める紗英。
僅かに綻んだ口元は、確かに以前の彼女そのものだった。
まぁそれ以外が全然違うから普通に別人なのだが。
「仲直りしたついでにさ、前から言いたかったことがあるんだ」
「何?」
「やっぱり実千に濃いメイクは似合わないよ。ガングロギャルなんて平成で滅びたんだからさ、令和のアイドルを目指そうよ」
「あらやだ口が悪くなってるわこの子──!?」
今までのぎこちない空気は何処かへ消え。
以前のような、気の置けない関係に戻っていく。
「ところで実千。なんで急に会いに来てくれたの?」
「……影響されやすいみたいで恥ずかしいんだけど。その、とある曲に突き動かされて」
「とある曲?」
「これなんだけど──」
スマホを見せて、例の楽曲を再生する。
心胆を震わす歌声が流れて、紗英は首を傾げた。
「この声、何処かで聞いたことがあるような……?」




