アイドルたちの結末
ああ、これはCRYSTAΛが一番人気になるのも当然だな。
私は膝に手をつき、肩を上下させ、鼻先から汗が垂れるのを眺めながら、そう思った。
「とりあえず休憩ね」
絢華さんの指示を待たず、汗みずくの結愛が床に倒れ込んだ。
私は疲労骨折ゆえにただ歌うだけだが、結愛は歌と踊りを両方こなさなければならないから、疲労はずっと多く溜まる。
床に転がって天井を見つめる姿は、カラスの群がる案山子のような、悲壮感に溢れる雰囲気だった。
「こんな感じで大丈夫かしら」
「……はい、ありがとう……ございます」
お手本として一緒に踊っていたにもかかわらず、絢華さんは息の一つも切らさず涼しい表情だ。
いくらなんでも異常に過ぎる。
噂によると東京都第二アイドル育成高校に教育実習に来る者は元アイドルの可能性が高いと云うが、絢華さんほど才能に溢れたアイドルなんて一人しか知らないし、風貌が全然違うから、同一人物ではないだろう。
だとするとこの怪物は何処から出てきたのだ。
神様が調整をミスったとでもいうのか。
私はタオルで首筋を拭ってため息をついた。
絢華さんの指導はお世辞にも上手いとは言えなかったけれど、目の前で踊る彼女を必死に追いかけるだけで、自分の実力がめきめき上昇していくのを実感できた。
CRYSTAΛが絢華さんにマンツーマンレッスンを受け続けていたのなら、確かに以前の自分──ASTRA//CODEが負けてもおかしくない。
素直にそう認めて、私は再び練習に精を出すのであった。
◇
その日、東京都第二アイドル育成高校はピリついていた。
上級生下級生関係なく、皆表情は硬い。
理由はもちろん定期考査である。アイドル育成学校の特徴として、優秀な成績を残した者は卒業後アイドル事務所に紹介される。
トップアイドルを目指す全校生徒にとって、定期考査は単なるテストに留まらず、自らの人生を左右する分水嶺になり得るのだ。
三ヶ嶋花凛も緊張に身を浸す一人だった。
過去最高、と胸を張れる練習を積んできた彼女だが、やはりダンスが禁止されるのは痛い。
謂わば満点が五十点に制限されたような状況で、それでも他の生徒に勝ち、一番の成績を残さなければならないから。
「──花凛」
「結愛……痛い」
そんな彼女を見かねたか、同じくASTRA//CODEのメンバーである椎谷結愛が、少々乱雑に花凛の頭を撫でた。
丁寧にセットされた髪が乱れる。
本番も近いというのに何をするか、と結愛を睨みつけると、彼女は「にへら」と口元を緩め、覇気のない笑顔を浮かべた。
「うん。やっぱそっちのがいいわ」
「……?」
「花凛はさ、他の奴らと一緒になって縮こまってるんじゃなくて、リラックスして泰然自若に構えてたほうが〝らしい〟ってコト」
まあ、つまり、なんというか。
結愛は結愛なりに心配してくれたようだ。
いつもの無表情にほんの僅か破顔して、花凛は感謝を伝えた。
「ありがとう」
「──びっくりした。花凛の感謝の言葉なんて初めて聞いたわ。謝罪の言葉なら飽きるほど聞いたけど」
「そんなに?」
「そんなに」
二人して視線を合わせ、しばらく黙り、やがてくつくつ肩を震わせる。
「そう。……私、そんなに愛想なかったんだ」
「ぜーんぜん。マネキンのほうがもっと愛想あったね」
「さすがに酷いと思う。さすがの私でも無機物には勝ってるはず」
「惨敗だよ惨敗。コールド負け」
彼女らの間にあった緊張は完全に解け、まるで喫茶店で談笑しているような朗らかな空気が流れはじめた。
その時である。
教室の扉が開かれ、担任が姿を現すと、ただでさえ静かだった教室がさらに静かになり、氷河期のような沈黙が満ちた。
「点呼取るぞー。……全員居るな。分かってるとは思うが、今日は定期考査だ。定期考査とは言っても成績の如何で留年したりしないが、お前たちの将来には関わってくる。ある意味で普通のテストよりも重要だな」
ごくり。
誰かの唾を飲み込む音。
極限まで空気が張り詰める。
「学年ごとに審査するから、他の教室のグループメンバーも集めて待機しててな。グループはアルファベット順で順繰りに審査していくから、一番最初は──」
担任がクリップボードを開いた。
「……ASTRA//CODEか。頑張れよ」
二人に視線が集中する。
それでも花凛と結愛に余計な力はない。
積み上げた絶対的な努力が、自信を揺るぎないものとする。
「結愛」
「ん」
「頑張ろうね」
「あたぼうよ」
二人は「こつん」と拳を合わせた。
◇
CRYSTAΛの四人が詰める音楽室には妙な熱気がこもっていた。
原因は言わずもがな、メラメラ燃える炎を背負う贄田実千である。
彼女たちはASTRA//CODEに負けないよう多大なる努力を積んできた。絢華の協力こそ得られなかったが、今までの経験を活かし、他のアイドルが自転車を漕ぐなか、新幹線に乗っているがごとき速度で成長したのだ。
「実千……気負いすぎだよ……」
「やる気十分と言ってほしいわね」
「やる気がありすぎて、変なところで爆発しないか心配しちゃう」
「任せて。負ける気がしないわ」
「駄目だこりゃ……」
これはいくら諭しても意味がないだろう。
紗英は諦めて肩を落とし、気苦労を形にして吐き出した。
「紗英、実千。そろそろ時間だよ」
鏡の前で身だしなみを整えていた亜咲が振り返る。
映莉子はいつの間にか「決戦の時ですわ~」とか気炎を振りまいていた。まったくお嬢様らしくない意気込みだ。
紗英は思わず苦笑して、うーんと背筋を伸ばす。
「実千」
「……ええ」
「行こう」
順番的に、すでにASTRA//CODEの採点は終わっている。
もちろん四人がその結果を知ることはできないが、否が応でもやる気が湧いてくるというものだ。
「CRYSTAΛ──」
「ファイトー!!」
「何その掛け声。ボク初めて聞いたんだけど」
「わたくしもですわ」
「初めて言ったもん」
◇
定期考査明け、週末を跨いでの月曜日。
掲示板に張り出された結果を見て、私はただ苦笑するしかなかった。
『一位、CRYSTAΛ』
結局私は──ASTRA//CODEは彼女らに敗北したのだ。
これで二位に収まったのであれば格好も付いたというものだが、誠に残念ながら、私たちの名前は掲示されていない。
張り出されるのは十位までのチームだけだから、要するに、ASTRA//CODEは王座から転落したどころか、十本の指にすら入れなかったということ。
「花凛……」
隣に立っていた結愛が呟く。
彼女の声はいつもの自信ありげなそれでなく、むしろ道に迷った童女のような、繊細に震える声であった。
「ごめん。私のせいで──」
「言わないで」
結愛の唇を塞ぐ。
掌に熱い吐息が閉じこもった。
「結愛は頑張ってくれた。私も頑張った。でも届かなかった。それだけなんだよ。それだけでいいの」
「けど……もし花凛が怪我してなかったら、勝ってたのは確実に」
「イフの話をするのは意味がない。今、ここに在る現実を受け入れるのが敗者の義務で、勝者への礼儀だよ」
でしょ?
と私は後ろに眼差しを送る。
そこに居るのは、CRYSTAΛの四人だった。
「……意外ね。あっさり認めるなんて」
贄田実千が驚いたように言う。
「目の前の結果が見られないほど盲目じゃない」
「そうだけど。貴女は絶対に受け入れないと思ってたわ」
「自分の敗北を?」
「ええ」
「だったら私も少しは成長できたのかな」
お母さんを証明しようと独りきりで暴走して、結愛に諭されて。
多少は落ち着いて過去の自分を振り返れるようになったけど、まあずいぶんと裸の王様チックな言動をしてきたものだ。
そりゃあ実千が怒り心頭になるのも無理はない。
「ごめんなさい」
「ちょ、ちょっと何よ急に」
「今までの非礼を詫びようと」
「急に!?」
実千は驚愕の声を上げ、それがあまりに大きかったものだから、周りに集まっていた他の生徒らの視線を一身に受けた。
「こ、ここじゃあれだから場所を変えましょう」
彼女の提案に否やはない。
私は軽く頷き、みんなで人気のないところに移動する。
「さて……」
喧騒の遠い階段の踊り場。
腕を組んで首を傾げる実千が、当然の疑問を呈してきた。
「どうして急に謝ってきたの?」
「CRYSTAΛに正面から負けて、曇ってた目が見えるようになった」
「なかなか難しい言い回しするわね……」
彼女は他の三人と視線を重ねる。どうやら目くばせで以て此度の謝罪を受け入れるかどうか相談しているようで、ずいぶん器用なことをするものだな、と場違いな感想を抱いた。
「実千が許すならそれで」
「ボクも」
「わたくしも」
「……この流れで私が許さなかったら、まるで私の心が狭いみたいじゃない」
はあ、と嘆息する実千。
ぽりぽりと頬を掻いて、ぶっきらぼうに告げる。
「──ま、素直に謝られちゃね」
「それじゃ」
「ええ。受け入れるわよ、アンタの謝罪」
結愛に影響されたのだろうか、私の脚は勝手に動いていて、実千との距離をたたたと詰めると、無意識に抱き着いていた。
いわゆるハグの格好。
「まあ」とか「おお」とか感想を頂戴する中、抱きしめられた本人は、ぽかんと口を丸くするばかり。
「……何してんのアンタ?」
「身体が勝手に」
「性犯罪者の言い分よ、それ」
発言こそ咎めるようなものだったが、彼女は頬を緩め、私の背中に腕を回してくる。
どうして、とか何故とか、この格好の真意を問うてくることはなかった。
◇
俺は掲示板を見て膝を折った。
あかん、ASTRA//CODE負けてもうた!!!!
これ絶対自分のせいじゃん……え? だって花凛たちって、今まで圧倒的な首席だったんだろ? やっべー申し訳ねぇ土下座かましたら許してくれるかしら……いや許してくれないよなぁ。浪人生が塾講師を恨むように許してくれないよあぁ。
とか取り留めのない思考を続けていると。
向こうから紗英たちと一緒になって歩いてくる花凛の姿が見えた。
「──絢華さん」
花凛はいつもの無表情である。
無表情であるが、なんとなく雰囲気が違った。おそらくCRYSTAΛに敗北したことでかなりのショックを受けたのだろう。
それにしては仲良さげに居る気がするけれど、俺が読み取れないだけで、水面下でバチバチに煽りあっているに違いない。
「ごめんなさい。貴女たちに協力すると言ったのに、一番にさせてあげられなくて」
「いいんです」
意外にも花凛は本当に気にしてないようだった。
「絢華さんは本気で私たちを鍛えてくれて、私たちは本気で勝とうとして、それで及ばなかった。実力不足です。言い訳のしようもない完敗です」
「でも怪我が──」
「コンディションを管理するのも実力のうちですよ」
しかし疲労骨折は事前に兆候が出るものでもないし、やはり発症したのは運が悪かったとしか。
「運命って奴です」
「運命?」
「はい。不思議と今、清々しい気分で」
無表情が綻んだ。
冬の間、固く結ばれていたつぼみが花開くように、花凛は満面の笑みを浮かべる。
「何かから解放されたみたいな。呪いに似た執念から解放されて、思わず誰彼構わず抱き着いてしまうほど、身体が軽いんです」
「はあ……」
いったい何を言っているのかは分からないが。
とにかく花凛は負けたことを気にしていないようだ。
取り返しの付かないことをしでかしてしまったんじゃないかと心配していた俺は、安堵に胸を撫でおろした。
◇
感謝の気持ちを伝えたくて、私は絢華さんのもとに足を運んでいた。
彼女はしばらく沈黙すると、誘蛾灯のように妖しく目を細める。
「──よかったわね」
その顔が。
その表情が。
その雰囲気が。
立ち振る舞いや印象はまったく異なるのに、あの記憶に焼き付くアイドルと被って見えて、私は呆然とした。
これにて第二章完結です。
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