私を頼れよ
動画を食い入るように見る。観る。視る。
何度も再生し音源を鼓膜に焼き付け脳みそに刻み込み喉に覚えさせ何千回も歌い続ける。
先生の採点基準を考慮して、好まれるであろう表現を盛り込み、可能な限りの完璧を目指して。
定期考査の課題曲を歌い、歌い、歌う。
カラオケボックスにこもりはじめて六時間。
さすがに喉が枯れてきた。
「ガラガラ……」
私の場合、声枯れは一日寝れば回復する。
今日はもう歌えなさそうだから、家に帰って、いったん身体を休めることにしよう。
お会計を済ませて外に出れば、ちょうど学校が終わったくらいの時間帯だったようで、制服を着た学生たちが帰路についていた。
「…………」
本来は自分もそこに居るべきなのに。
私はろくすっぽ学校にも行かず、考査の対策ばかりをしている。
普段は優等生を演じて真面目な学校生活を送っているが、CRYSTAΛとの勝負が決まった以上、無駄なことに時間を割くべきではない。
ただでさえASTRA//CODEは不利なのだから、私が今までよりも努力しなければ敗北は必至である。
知り合いに出会わないよう肩を小さくし、家に帰ろうと足を進めた時。
──ぴろりん。
スマホが通知音に震えた。
至極当然のことであるが、私にはおよそ友人と呼べる者が結愛以外になく、トークアプリは年中無休の夏炉冬扇、無用の長物となっている。
そんな折に通知が来たものだから、何やら詐欺ではなかろうかと訝しみ、猜疑心によって画面を確認すると、なんと『椎谷結愛』からの連絡だった。
結愛とは幼馴染ではあるものの、頻繁な連絡をすることもなく、どちらかというとお互いに無関心というか、あまりトークアプリが動くこともない。
「なんだろ」
通知を押してトーク画面に移動すると、『今お前何処に居る?』と淡白な文面が表示された。
さすがに何日も学校を休んだことを咎められるのだろうか、と想像すると、億劫になって返信するのも躊躇われた。
ので私はスマホをポケットに突っ込む。
見て見ぬふりを決め込むのだ。
心配してくれるのはありがたいが、それ以上に今は、CRYSTAΛとの勝負に集中したい。
──また同じことを繰り返すんだ。
背後から誰かに囁かれた気がして。
私は反射的に振り返った。
「…………」
でもそこに人影はない。
電柱の影がぼうと突っ立って、木の葉が擦れているだけだった。
「気のせいか」
きっと勝負の時が近づいているから、さながら合戦前の足軽のように、感覚が鋭敏になっているのだろう。
私はため息をついて進路を元に戻した。
早く帰らないと、夕食がずいぶん遅くなってしまう──。
「おい」
「うひゃあ」
首筋に冷たい手。
喉が勝手に変な声を発し、ばっと掌で押さえる。
下手人に視線を向けると、はたしてそこには、不機嫌そうに顔を顰めた結愛が立っていた。
「……結愛?」
「お前も可愛い声出せるんだな」
「結愛」
けっけっけ、と彼女が肩を揺らすものだから、私は声を固くし、結愛を放置して再び歩き出す。
「待てよ」
「なんの用」
「なんの用、とは妙なことを訊くもんだな。メール送ったろ」
「知らない」
「既読付いてたぞ。花凛はトークアプリ使う機会が少ないから、仕様を理解してないのかもしれないけど」
振り返らないまま私は立ち止まった。
あの通知が来てから十分と経っていない。
ということは、おおまかな現在地を予想したうえで、駄目押しがてら送ってみたのだろう。
「花凛。どうして最近、学校に来てないんだ」
「……分かるでしょ」
「考査のことか? 解らないな。なんで──」
何か言いかけた結愛の胸倉を掴み上げる。
制服の裾が詰まり、彼女は「ぐっ」と呻き声を漏らした。
「ASTRA//CODEは、私は一番にならなくちゃいけないの。蟻なんかに負けてちゃいけないの。私は象なんだから。象にならなくちゃいけないの」
「象……?」
説明不足だからだろう、結愛はまったく理解できないという表情で呟く。
「……ぁ」
私は胸倉を離して数歩よろめいた。
考えなしに行動してしまったけれど、冷静に俯瞰してみると、決して他人に振るってはいけない暴力を振るってしまったと気付いたのだ。
「ごめんなさい」
逃げるように顔を伏せて。
その場を去ろうと、して。
「待てよ」
結愛に肩を掴まれた。
「離して」
「離さない。離したら逃げるだろ。いつもみたいに」
固い声で頼んでも彼女は承諾しない。
肩に加わる力は確かなもので、絶対に逃がしはしない、という志が聞こえてくるようだった。
「なんで、」
そんなに。
尋ねようとして、私は、しかと抱きしめられた。
「は」
「花凛さ、声、酷いものだぜ」
幼馴染として十数年の付き合いがあるけれど、まさか椎谷結愛がこんな行動に打って出るとは、私は全然予想していなかった。
梅雨の季節に冬晴れに遭遇するような、まったく常識外れの現状に、抵抗することもままならず、ただ抱き留められるだけ。
「どうせCRYSTAΛに勝とうとして、自分はダンスできないから、せめて歌だけはって散々練習してきたんだろ」
「……正解」
「花凛のその姿勢が、ASTRA//CODEのメンバーを減らしたことについて自覚はあるか?」
「…………」
何も言わない。
何も言えない。
言葉は霞に変わり、呼気と共に空気に溶ける。
「自分以外は何も信じず、誰も信じず、自分一人で突っ走って、気付いたころには独りぼっち。真っ暗闇を目印なしに進んじまったから、戻ろうにも戻れない。戻れたとしてもプライドが許さない」
結愛が耳元で囁いた。
聞きたくない。
抵抗しても、足元が不安定で上手く力が入らない。
「解らないな。なんで、なんで──私を頼らない?」
「え」
「たった一言。たった一言、『私を助けて』って口にしろよ。そうしたら私は何に変えても花凛を助けてやる」
アスファルトに落としていた視線を結愛に向ける。
彼女は、何処までも澄んだ瞳をしていた。
「ASTRA//CODEのみんなが居なくなって、それでも私だけは残ってて。もしかして幼馴染だから、っていう単純な理由で、私が花凛の傍に居たと思ってるのか?」
「ちが、う……の?」
「違うよ馬鹿野郎。んな浅い理由だったら、とっくのとうに愛想尽かして放り出してるよ。花凛みたいなサイコ爆弾魔」
背中に回された腕が優しく滑る。
背骨を伝い、うなじを伝い、登頂に至り。
まるで母親が幼子にするように、ゆっくりと、穏やかに撫ではじめた。
「自分以外は信用できないか? 椎谷結愛じゃ、三ヶ嶋花凛には付いていけないか?」
「ちが──」
「ならさ、いい加減に私を頼れよ」
ぽん、と軽く突き放された。
二三歩たたらを踏み、顔を上げると、
「ん」
と腕を広げて首を傾げている結愛。
言わんとするところは分かる。
分かるが、〝それ〟を口にするのが酷く恥ずかしく、私はきょろきょろと辺りに視線を彷徨わせ、結局、蚊のような声で囁いた。
「結愛。私を──助けて」
「了解」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
◇
東京都第二アイドル育成高校はやはりアイドルを輩出するための学校ということもあって、定期考査まで一週間を切った現在、校内にはかなりピリピリした空気が流れていた。
教育実習生としてこの学校に来た俺も、緊張感ある空気に触発されて、真面目な先生みたいなムーブを一貫している。
さすがに面白そうだから、とかの理由で闇堕ちアイドルごっこはできない。
それなのに学生たちには不人気な感じがするのは、はたして俺の勘違いなのか、純粋に人付き合いが下手なだけなのか。
できるだけ後者の可能性を考慮したくないので、俺は澄ました顔を継続しながらも、優秀な先生面して、自分から授業中の生徒らに話しかけていた。
そんな時である。
担当する教室の生徒、ASTRA//CODEの二人がこちらに近づいてきたかと思うと、突然頭を下げた。
「……どうしたのかしら」
「絢華さん。折り入ってお願いがあります」
固い声で床に視線を落とす結愛。
隣で花凛も頭を下げているものだから、傍から見れば、俺は学年一位のグループを屈服させるヤバイ奴に映っているだろう。
ただでさえほんのりと遠巻きに扱われているのだ、これ以上の好感度降下はバッドエンドに突入しかねん。
ゆえに俺は彼女らに顔を上げさせた。
「それはいいけど。ひとまず、顔を上げてくれるかしら」
「……はい」
二人の眼差しは何処までも真っすぐである。
まるで何かを決意したかのような剛直さ。
「お願いって?」
「実は……私たちに、歌と踊りのレッスンをしてほしいんです」
「レッスン──」
どうして彼女らが急にそんなことを言いだしたのか。
俺には思い当たる理由があった。
おそらく、数日前にセッティングした、CRYSTAΛとの勝負が背景にあるのだろう。
「絢華さんには言ってなかったんですけど、花凛は疲労骨折をしています」
「! それは……」
「はい。今回の考査で踊れません」
「悪いことを言ってしまったかしら」
「いいえ。意地っ張りな花凛と、傍観していた私が悪いんです。絢華さんは悪くありません」
結愛は再び深々と頭を下げた。
隣では花凛が言葉を探すように、宙へ視線を彷徨わせている。
「……絢華さん。お願いします」
なんとなくの印象だが、三ヶ嶋花凛は困ったことがあっても、他人に頼ることはせず自分の力だけで解決しようとするイメージがあった。
まさしく俺こと霜月絢華と同様の性質なのだけれど、よもやそんな彼女が助けを求めてくるとは、相当な変化があったのだろう。
しかしお願いされてもなー。
俺、バキバキの初心者だしなー。
たぶん期待されてる成果あげられないぞ?
なんて返答を渋っていると、花凛はバッと腰を折った。
二度目のダブルお辞儀アタックだ。
放っておいたら最終奥義土下座まで発展しそう。
だから俺は焦って、二人の額に手を添えて、そっと顔を上げさせた。
「……分かったわ。私がどれだけの助力になるか判らないけど、できる限り協力するから」
そう言うと、花凛と結愛は互いにまじまじ見つめあって、花の綻ぶように笑みを浮かべると、人目も憚らず抱き合ったのであった。




