え、私が教育実習に……?
大学とはとかく面倒なもので、その特徴はぼっちに顕著であり、誠に遺憾ながら霜月絢華は真正の孤独主義者だった。
俺は孤独に関し一家言あるわけでもないが、彼女の身体を引き継いでしまった以上、ぼっちに陥るのは至極当然である。
よって独り寂しく、退屈この上ない授業に舟を漕いでいたのだが、眠気を吹き飛ばす突拍子もない発言を、黒板にチョークを打ち付けていた教授が放った。
「来週からは教育実習になります」
周りの生徒は委細承知という構え。
しかし俺は一切承知できない。
うつらうつらとしていた頭を叩き起こし、即座にスマホで以て、この授業計画を調べつくした。
「──嘘だろ」
思わず漏れてしまう声。
シラバスによれば、この授業『アイドル教育学』は、プロデューサーを育てるためのものであり、資格を取得するために、何処ぞの学校へ教育実習しに行かねばならぬようなのだ。
アイドルが群雄割拠するこの世界、プロデューサーに高い専門性が求められ、資格が必要なのは理解できる。ここまでは理解できた。
理解できないのは、どうして霜月絢華がこの授業を受講しているのかということだ。お前はアイドルプロデューサーになりたかったのか?
掌を見下ろしても答えはない。
いまだ彼女の意識は眠ったまま。
俺は面倒事の気配をびんびんに感じ、とりあえず昼寝でもかますかと、机に突っ伏し現実逃避をした。
東京都第二アイドル育成高校。
CRYSTAΛの四人との関係で何度か足を運んだことのある学校だ。
まさか自分が教育実習をすることになるとは予想だにしていなかったが、ここならば多少リラックスして過ごせる。
「ま、不幸中の幸いってところかな」
教育実習の大学生らしく真面目なスーツに身を包み──何故か喪服みたいな真っ黒の奴しかなかった。学校より葬式のほうがお似合いである──校門をくぐる。
話によると校内を案内してくれる人が来るそうだが。
腕時計と睨めっこをすること二十分。
それだけの時間が経過しても、件の人物は現れなかった。
「何か連絡に不備があったのかしら」
このまま待っていてもいいのだけど、というかそれが安牌ではあるのだけど、初日から欠席扱いされて成績が下がるのも面白くない。
幸運にも俺は東京都第二アイドル育成高校の土地勘があるので、まあ適当に歩いていれば、職員室あたりに辿り着けるだろう。
そんな楽観的な企てで出発してから一時間。
俺は普通に迷子になっていた。
いい歳して。大学生にもなって。
「あまりにも広すぎるだろ……」
この世界にアイドルが多すぎることが起因しているのか、マンモス校と表現するのも憚られるくらい、この学校は広かった。
敷地を区切る柵は何処までも伸び、校舎らしき棟はいくつもそびえ、階段を上って下りて、廊下を行ったり来たり。
およそ散策と呼べるほど気楽でもなく、例えるならそれは、遭難であった。
尋常でなく鍛えられているこの身体も、さすがに一時間歩き通しとなれば、多少は疲労も溜まる。
俺は廊下の壁に体重を預け、しばしの休憩を取ろうと瞼を閉じた。
その時。
「部室行きたくないな……」
なんて小さな呟きが聞こえてきた。
第一村人発見。これで勝つる!
しかし見慣れぬ大人が急に話しかけるのも怖かろうから、俺は気さくな挨拶がてら軽口を叩いた。
「──あら、サボっちゃうの?」
その生徒は驚いたように顔を跳ね上げる。
どうやらこちらの存在に気が付いていなかったらしい。
反射的に後ずさり、警戒するように腕を構えた。
……なんかショックなんですけどその反応。まあ不審者を発見したらそうなるか。そうですよね。当たり前ですよね。たはー。
苦笑を噛み殺し、そっと近づく。
すると彼女は半眼を向けてきて、
「……貴女は」
「私? 私は──」
できる限り怪しまれないように。
できる限りの笑顔で。
表情筋を引きつらせながら言った。
「霜月絢華。今日からここで教育実習をすることになった、なんの変哲もない大学生よ。どうぞよしなに」
「教育実習……生……?」
初めて外国語を耳にした子供みたいに口をもごもごして、彼女は居心地悪そうに己が名を語る。
「私は……三ヶ嶋花凛です」
「そう、花凛。さっそくで悪いんだけど、頼まれ事を引き受けてくれないかしら」
「頼まれ事──ですか?」
「ええ。実は職員室に行きたかったんだけど、ほら、この学校広いでしょう。だから迷ってしまって」
「ああ……あるあるですね」
事情を理解してくれたか、先程までの警戒は僅かに溶けた。
相変わらず無表情だけど。
この子、感情表現が苦手なのかしら。
「職員室は三つあります。何処の職員室が目的地ですか」
「……とりあえず一番大きいところで」
そもそも現在、職員室に向かっていることがイレギュラーなのだから、目的地がどれかなんて判るはずもない。
ゆえに花凛にすべての判断を押し付け、もとい任せて、俺たちは急造のパーティーメンバーと相成った。
数分ほど歩くと、『第一職員室』と書かれたプレートが見えてくる。
おお。一時間散策しても発見できなかった秘境の地が。やっぱり持つべきものは土地勘のある現地民か。
俺は花凛に感謝を伝え、
「ありがとう。助かったわ」
「いえ。気にしないでください」
彼女は無表情に微笑んだ。
ずいぶん器用なことするな。履歴書の特技欄に書けるレベルだぞ。俺も──というか霜月絢華も仏頂面で有名だが、さすがに口元が僅かに緩むくらいはする。
しかし花凛はそれすらも見えないから、まるで情動のないロボットと話している気分になった。
「では、私はこれで」
ぺこりと頭を下げて去っていく花凛。
少し気にかかることがあって、しばらくその背中を眺めていたのだが、頭を振って意識を戻す。
「いけね、俺の目的は教育実習だったんだ」
失礼しまーす、と職員室に足を踏み入れた。
高校生でもなければ教員でもない入室者に視線が集まるものの、本日教育実習に来たが約束の人物が現れなかったのだ、と弁明すると、なるほどそれは不幸だったねと奥のソファに案内してくれた。
「ごめんなさいね。喫緊の問題が発生して、それに取り掛かっていたら、すっかり貴女のことを忘れてしまっていたの」
「いえ。よくあることですよ」
謝意の気持ちを伝えるためか、備品ではなく彼女自前のティーカップに高級そうな茶葉を使って、実に芳醇な紅茶を淹れてくれた女性。
しきりに頭を下げてくるが、遭難もとい校内探検もなかなか楽しかったので、俺はまったく怒っていない。
鷹揚に頷くと女性は恐縮そうに笑顔を浮かべる。
「それじゃあ、教育実習についての説明なんだけど──」
◇
生きて帰れないかと思った。
三ヶ嶋花凛はドクドクとうるさい心臓を押さえながら、ASTRA//CODEの部室に向かって歩いていた。
霜月絢華と名乗った女性は、まるで花凛の母親を想起させるほど、周囲を塗りつぶす存在感を放っていた。
強すぎる光には漆黒の影が生まれるように、彼女と相対していると、何処か不思議な気分に陥る。
きっと手を出してはいけない麻薬のような人なのだろう、と一人納得して、彼女は部室に到着した。
「ただいま……」
昼休みはもうすぐ終わりそうだ。ちょっと外出してすぐ戻ってくるつもりだったのに、予想外に時間がかかってしまった。
ゆえに気配を薄くして、小さく呟き、後ろ手にドアを閉める花凛。
まるで目を開けなければ存在を気取られることもない、とでも言うように、彼女の瞼は固く閉ざされている。
しかし──。
「何処行ってたん? 花凛」
「結愛……」
ソファの背もたれに腕を回して座っている少女、椎谷結愛が目ざとく疑問を呈した。
びくりと肩を震わせた花凛は、おそるおそる瞼を開く。
「……おい待て。なんか嫌な予感がする」
「CRYSTAΛのところに行ってた」
「ああもう予想通りだよクソッたれ! 花凛が気まずそうにする時は、大抵何かやらかして帰ってくる時だもん!!」
また軋轢がぁ……!?
と呻き声を上げる結愛。
頭を抱える猫みたいな恰好だった。
「今度は何を失言した!?」
「……ほら、ツキシモって居るでしょ」
「CRYSTAΛの曲と振り付けをした人だろ。いやー凄いよな。書き下ろし曲らしいけど、あんま四人のこと知らない私ですら、『ああ、こいつらのために作られた曲なんだな』って腑に落ちたもん」
「ツキシモ紹介してって」
「馬鹿ヤローッ!!」
結愛は花凛の頭をはたいた。
涙を浮かべてはいるものの、自身の失敗を理解しているのか、花凛は文句を漏らさなかった。
「菓子折り持って平伏低頭、礼儀の限りを尽くしてお願いするならともかく、単身何も持たずに行っちゃったわけ!?」
「うん」
「ASTRA//CODEのサイコ爆弾魔の面目躍如だな! 謝るにしても限度ってもんがあるんだぜ!?」
「ごめんなさい」
ASTRA//CODEで最も実力があるのは三ヶ嶋花凛であるが、彼女はあまりにも社交性が欠如しているため、リーダーは椎谷結愛ということになっている。
結愛は今日も胃痛を抱えながら、どうにか問題を解決するべく、ぎりりと頭を回転させた。
「二人揃って謝罪しに行けば許してくれるかな……いや難しいかぁ? 出方によってはいっそう警戒されるよなぁ……」
ソファに倒れ込む結愛。
「どうせ花凛のことだから、相手を煽るような口調だったんだろ」
「……たぶん」
「母親以外アイドルとして認められないのは理解してるけどさ、もうちょっとこう、社会的動物の自覚を持ってくれよ」
ごめんなさい、と花凛は肩を小さくした。
部室の隅で三角座りをし、黙りこくって反省する。
「はあ──明日あたり、菓子折り持って謝り行くぞ」
「うん。……ごめん、いつも迷惑かけて」
「本当だよ。これで人の気持ちが分からない天才性とほんの僅かな人間性がなかったら、普通に縁切ってるからな」
「ごめん」
三ヶ嶋花凛が問題を起こし、椎谷結愛がこれを解決する。
幼馴染アイドルユニットとして活動する総勢二人のASTRA//CODEは、こうして今日も運営される。




