ほーん凄いライブやなぁ(傍観者)
ステージに立つと、冷たい風が頬を撫でた。
あるいは映莉子の錯覚なのかもしれない。これほどまでに熱気立ち込める会場で、空気が冷めるはずないのだから。
「うわあああああああああ!!」
楽しそうな観客の歓声。
しかし先のグループに向けられていたものと比べると、いささか見劣りする。
「──こんにちは、CRYSTAΛっていいます!」
マイクを取って紗英が笑顔を浮かべた。
緊張など感じさせず。
ただ自然体で。
これからのライブが心から楽しみだと言うように、満面の笑顔を浮かべて、ほとんど直角に腰を折る。
「ふぅ……」
映莉子はそっと胸を押さえた。
掌に心臓の鼓動が伝わる。
彼女を襲うプレッシャーの大きさを物語るように、拍動もまた尋常でない。
大丈夫。きっと大丈夫です。わたくしは胸を張れるくらい、萎縮する必要がないくらい努力してきました。だから自信を持って。観客に目を向けて。みんな期待をしてくれています。有象無象に向ける無垢な期待感かもしれませんが、それでも期待には変わりありません。
「それにしても……」
緊張が酷いときは聴衆を野菜だと思えばいい、というのはよく語られる話ですが、普通にそれは無理筋じゃないだろうか、と映莉子は文句を言いたい気分だった。
ステージに移動する前、大真面目に亜咲が教えてくれたけれど。
そんな彼女の脚もまた震えていたことを、映莉子は見逃さなかった。
普段は王子様然としていて隙がないのに。
結構可愛いんですが、揶揄うと怒るんですわよね。
映莉子は「ふふ」と微笑む。
愛らしいメンバーの姿を思い返して、彼女は詰まっていた息を吐きだした。
心なしか身体も軽い気がする。
うん、これだったらいいパフォーマンスができそうです。
「聞いてください。CRYSTAΛで、『絶対』」
何度も聞いたイントロが、流れはじめた。
◇
こういう場に足を運ぶのはいつ以来だろうか。
熱狂の渦に包まれる観客たちを眺めながら、東恩納耕造は娘の姿を思い出した。
『ええ、ええ、ええ。そうですとも、お父様。最後です。これは最後なのですよ。くだらない口論をするのはこれで最後です』
『……映莉子?』
『わたくしは貴方を説得してみせます。言葉ではなく、それ以上に雄弁な、わたくしのパフォーマンスによって』
映莉子は従順な娘だった。
優秀で、欠けるところなく、品行方正。
東恩納家の娘として何処に出しても恥ずかしくない子供だった。
──いっそ、異常とも言えるほどに。
生意気盛りの子供の聞き分けが良いというのは、大人あるいは親としては助かるものの、少々不自然に過ぎる。
一般的な環境で育てていれば、程度の差こそあれど、いずれにせよ小癪な振る舞いをするものだろう。
映莉子にはそれが一切なかった。
「……私が、抑圧していたのかも分からぬな」
耕造はそっとシルクハットを脱ぐ。
仕事に邁進し、家庭を顧みず、ここまで走り抜けてきた。
そのツケが回ってきたのかもしれない。
あの従順で──機械のような映莉子が、あんな反抗的な態度を見せるとは。
「聞いてください。CRYSTAΛで、『絶対』」
曲のイントロが流れはじめると、あれほどまでに興奮していた観客たちが、示し合わせたように黙り込んだ。
水を打ったような、とはこういう様を云うのだろう。
ある種の異様な光景に耕造は目を見開く。
そして、何より。
ステージに立つその姿が。
愛娘の姿が、輝いて見えたから。
『────!』
パンフレットを確認し、CRYSTAΛの出番になる直前に会場へ足を運んだため、耕造の居る位置はステージから遥か離れている。
ゆえに踊る彼女らの表情は見えず、かろうじて誰が誰だか判別つく程度のものだ。
けれども耕造には分かった。映莉子がどれほど楽しそうに歌っていて、鳥籠から解き放たれた小鳥のように踊っているか。
「……私は」
間違っていたのだろうか。アイドルなんて俗物的なものは、東恩納の娘に相応しくないからと遠ざけようとして。
数え切れないほど多くの観客に囲まれているにもかかわらず、耕造は独り、枯れ果てた荒野に放り出された気持ちになった。
呆然と突っ立って、光り輝くステージではなく、床を眺めて。
『──私を見て!』
「……っ!!」
きっと偶然なのだろう。
映莉子の声。それは定められた歌詞をなぞっただけだ。
それは理解している。
理解している、が。
あまりのタイミングのよさに耕造は顔を跳ね上げた。
ステージで衣装を翻す娘の姿。
楽しそうにスポットライトを浴びる姿。
汗を流し、喉を嗄らし、それでもひたむきに努力する姿が。
万年雪のように凝り固まった耕造の心を、頑固さを、確かに溶かした。
「映莉子──」
無意識に、彼は涙を流した。
とうに枯渇したと思っていた雫に頬が湿る。
反射的に掌を添えると、間違いなくそこには一滴の涙。
「認めざるを、得ないか……」
耕造が小さく呟くと同時に、楽曲が終了した。
僅かな空白ののち、観客が爆発する。
「うおおおおおおおお!!!!!!」
先程までの漠然とした無関心は何処へ行ったのか。
彼ら彼女らは興奮に血潮を滾らせ、唾を飛ばす勢いで歓声を上げる。
アウェーの空気を吹き飛ばしたのは間違いなくCRYSTAΛの四人の努力で、耕造の気持ちを動かしたのも、彼女らが精いっぱい奮闘したからだ。
耕造はシルクハットを被り、表情を見えなくした。
されどその口元は確かに緩んでいて。
周りの興奮に流されず会場を後にする背中は、「東恩納家の当主」ではなく、至る所に居る普通の父親のものだった。
◇
ライブの興奮がまだ尾を引いている。
「わ、私たち凄かったよね!?」
「何言ってんの、凄かったなんてものじゃないわよ! 超超超超凄かった!!」
「だよねー!?」
紗英と実千が熱烈に抱き合った。
少し前までの軋轢など忘れたように、往年の幼馴染らしく、互いに頬を染めて鼻を啜りながらのハグ。
普段であれば鬱陶しそうに、しかし微笑ましそうに眺めているはずの亜咲も、先程のライブを想起するように瞼を瞑っていた。
「……うん。上出来だよね」
「なーに格好つけてんのよ亜咲!」
「うわ!? 実千、鼻水が酷いことに!」
「乙女の尊厳を傷つけるようなデマは止めて!!」
「デマじゃないって、ボクの肩に鼻水がぁ!? 煌びやかな衣装がぁ!?」
きゃあきゃあと年相応のはしゃぎようだ。
さもありなん、絢華の曲と振り付けを携えて飛び出したステージは、予想以上の大成功だったのだから。
ここで喜びを爆発させない者は、おそらく人間的感受性が欠落しているだろう。
「…………」
そして、ここに一人。
澄まし顔で着替えている少女が居た。
人間的感受性が欠落しているのだろうか?
──否。
彼女は、東恩納映莉子は、ひたすらに今しがたの舞台を繰り返し思い返していた。
わたくしはお父様に認められただろうか。お父様に認められるだけの、特別な何かを見せられただろうか。
歌い終わった後は自信満々だったが、時間が経つにつれて、どんどん灯が小さくなる。今では風前の灯火だ。掻き消えるのも間近。
映莉子は沈鬱なため息をつく。
そんな彼女の背中を、実千が力いっぱい叩いた。
「──えい!」
「痛ぁ!?」
「辛気臭い顔しないでよね。こっちまで気分が下がっちゃうわ」
「で、ですが……!」
文句、あるいは弱音を紡ごうとした映莉子の唇に、そっと指を添える実千。
「大丈夫だって。安心して。さっきのステージは大成功だった。ううん、大成功って形容するのも足りないくらい。超超超超超超超……とにかく言葉が足りなくなるくらいの大成功だったんだから」
「……ふふふ。実千、なんだか馬鹿みたいですよ?」
「はぁ!? 私はアンタの心配をしてあげてるのに!!」
あははははは、と映莉子は噴き出す。
その肩にはもう固さは宿っていない。
不満を漏らそうとしていた実千は、「まいっか」と苦笑した。
「安心なさいよ。絶対に映莉子のお父さんはアイドル活動を認めてくれるし、絢華さんだって……さすがに認めてくれるわ」
「後者は確信がないんですのね」
「絢華さんのハードルって高そうだもの。百点満点のテストで、常に百二十点を要求されるような恐ろしさがあるわ」
腕を組んで震える実千。
心底恐ろしい、と言いたげな格好だ。
「そうだよ。ボクたちは全身全霊のライブをした。結果は大成功だった。何も気にすることなんてないさ」
「亜咲……」
「うんうん! 私たち、限界の向こう側のライブができたよね!」
がばっと紗英は映莉子の手を取った。
輝く双眸には一切の心配がない。
そんな彼女らを見ていると、なんだかこんなに不安に襲われている自分が馬鹿らしくなって、映莉子は涙を浮かべながら笑った。
「え、え!? ごめん、私何かしちゃったかな!?」
「うふふふふふ、心配しないでくださいまし。肩の荷が下りたというか、気が抜けてしまっただけですから」
軽くなる空気。
そこに、扉の開く音が響く。
運営スタッフが来たのだろうか──と一同が振り向くと。
はたして、東恩納耕造が立っていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
唐突な闖入者に誰も言葉を発せない。
地獄のような空気を作った張本人も話さない。
ゆえに会場の喧騒からは遠く離れて、この控室だけが、氷河期のような沈黙に包まれていた。
「……お父様」
ところが救世主現る。
真っ先に思考が回復した映莉子が、おずおずと前に出た。
「先程のステージ……見ていて、くれましたか」
「ああ」
「──そうですか……」
それだけ? それだけしか、感想はないの?
感想とも表現できぬ相槌のみで終了した会話に、映莉子は歯噛みした。
なんというか、この反応は駄目だ。
大成功だと浮かれ騒いでいたけれど、認めてくれないかもしれない。
映莉子は重たく眉を伏せる。
──しかし。
「私は勘違いをしていたようだ」
「お父様……?」
「アイドルなど東恩納の人間に相応しくない。ありふれたことだ。無駄に歳を食った老人が凝り固まった思想に固執する。そんな老人になりたくないと願っていたのだがな、どうやら、私はその類の人間になっていたらしい」
白髪の増えた東恩納耕造。
されど今の瞳には張りのある光が宿り、衰えを感じさせない力強さで、映莉子の身体を抱きとめた。
「……ッ!」
「認めよう、映莉子。お前はアイドルをやりなさい」
「お父様……っ」
「ただしやるからには全力だ。誰にも追いつけない、天上に光る星になりなさい。東恩納の名を背負って、歴史に名前を刻みなさい」
「もちろんです……っ!!」
映莉子も耕造を抱きしめ返した。
いったいどれほど久しい親子の交わりだろうか。
記憶が薄れるほど昔のことだ。
けれども、輝かしい今が灰色の道程を塗りつぶす。
「いい話だねぇ……」
「なんだか私、前が見えないわ……」
「ボクも涙が溢れてきたよ……」
それを傍から眺めるCRYSTAΛの三人。
ハンカチで以て涙を拭いつつ、たまに鼻をかむ。
アイドルにあるまじき粗相だが、まあ、今回ばかりは許されるだろう。
ここに広がるのは温かい家族団欒。誰が無粋に水を差せようか。たとえ悪魔でも気を遣って退散するだろう。
「…………」
固く瞼を瞑った耕造。
彼の脳裏に焼き付いたCRYSTAΛの『絶対』という曲。
「……あれは」
何処かで聞いたことのあるような曲調だったような。
数年前に耳にして、こびりついた。
「……いや」
気のせいだろうな。
誰にも聞こえないようひとりごちて、彼は腕の力を強くした。
◇
いやー凄いライブでしたね(適当)。
俺みたいな初心者には全然上手い誉め言葉が見つかりゃせんが、とりあえず感動したとだけ言っておこう。
これで霜月絢華の才能ボディも浮かばれよう。
会場を後にする観客の波に飲み込まれ、あれよあれよと運ばれるうちに辿り着いたは河川敷。
現在地点が何処なのかまったく判らんし、道中でスマホを落としたらしく、救助を呼ぶことも叶わない。
ひとまず大ピンチであることは確実なのだが、今は泣きわめく気分でもないし、堤防に転がって空でも見上げよう。
「……綺麗な空」
吸い込まれるような青。
ずっと眺めていると気が狂いそうだ。
目を瞑って、深呼吸する。
「──あの子たちなら、成し遂げるかもね」
小さく小さく、自分にすら聞こえないくらい小さく囁いて。
俺は一発昼寝をかますことにした。
河川敷で昼寝するとか全人類の夢だろ~?
これにて第一章完結です。
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