そこにある世界
初投稿です。
ジャンルはファンタジーですが、あまり派手さはありません。
ゆるく読んでいただけますと幸いです。
私は幼少期を田舎で過ごした。実家の周りは畑や田んぼばかりで、遊び相手といえば虫や蛙、魚などの小さな生き物たちばかりだった。学校に友達がいなかったわけではないが、誰かと遊ぶより一人で遊ぶ方が気楽だった。
そのせいもあってか、街に出て働き始めた今でも、休日に河原を散歩しながら種類も分からない魚を眺めたり、公園のベンチで蟻の巣をぼーっと見ていたりすることがよくある。人と違って動物たちは喋らない。見つめていても怒らないし、顔色を窺って気を使う必要もない。こちらに目もくれず、各々勝手に生きている。何も考える必要もなく、本能に従って毎日を生きていればよいのだ。もちろん彼らにしてみれば日々命がけなのだろうが、私には彼らの生活がうらやましく思えた。
夏のある日、私は仕事を終えて、夕暮れの道を歩いていた。周りはよくある住宅街だが、人影の一つもない。といっても、普段から人通りの多い場所ではないので私は大して気にしなかった。職場はそれなりに栄えた街にあったが、私が借りているアパートはそこから電車で数駅外れた場所だった。駅からも更にしばらく歩くから、周辺はベッドタウンといえるほど人も多くない、閑散とした場所だった。
ふと、私は道脇のコンクリート塀が目についた。背が高く、向こう側がどうなっているか見ることはできない。その一角がひび割れ、小さな穴が開いていた。普段通っている道で見慣れているはずだが、いつから空いていたのだろうか。私はなんとなく、穴を覗いてみた。人の家を覗いてやろうなどという気があったわけではなく、本当にただ何となくである。
穴の向こうには古めかしい家が見えた。いかにもな和風建築といった風貌で、建ってから相当な年月が経っていることは明らかだった。壁は薄汚れ、瓦屋根は一部が崩れ落ち、庭には草が茂っていた。手入れされているとは思えず、人が住んでいるようには見えなかった。周りには木々が茂り、森の一部と化しているようだった。
その時だった。視界が歪み、頭がぼおっとしてきた。壁の穴が段々と大きくなってくるように見えた。先程まで片目で覗くのがやっとだった穴が、今では体ごと入れそうな大きさに見える。私ははっきりしない意識のまま、穴に向かって一歩を踏み出した。
♢
どれくらいが経っただろうか。気が付くと私は田舎町に立っていた。辺りにはポツポツと家がある程度で、明かりは見当たらない。穴を覗いた時には暗くなりかけていたはずだから、もう夜になっていてもおかしくないが、辺りは明るく、視界に困ることはなかった。一夜を越してしまったのかとも疑ったが、確認しようにも携帯の電源が入らない。他に時間を確認できるものも持っていない。このままでは埒が明かない。私は人を探して歩き始めた。
しばらく歩いたところで、私は食堂のような建物を見つけた。看板などは出ていないが、中で何人かの男女が食事をしているのが見える。ちょうど腹も減っていたので、私は食事がてら、今自分が置かれた状況について尋ねてみることにした。
店に入ると、カウンターに食事が並べられていた。しかし辺りを見ても店員は見当たらない。これでは取り放題ではないかと、私は少々困惑した。
客は3人。1人は派手な紫色のジャケットを羽織った男性。小柄だが、ジャケットは不釣り合いに大きく見えた。2人目は金髪で、全身黄色い服を着た女性。大柄で、どこかイライラしているように見える。3人目は小柄な女性。茶色い服を着ている。いかにも大人しそうで、黙々と食事をしている。
私はまず、紫の男に声をかけてみた。
何と声をかけるか迷ったが、いきなり「ここはどこだ」や「元の街に戻りたい」などと言い出しても不審者だろうから、とりあえず注文の仕方について聞いてみることにした。
「こんにちは。ここの料理はどうやって取ったらいいのです?」
「どうやってって、好きに取ったらいいじゃないか。邪魔はしないよ」
「好きにって、勝手に取る訳にはいかないでしょう」
「勝手にも何も、料理なんていくらでも出てくるんだから構いやしないよ。なくなったら他のところに行けばいい」
この男は私に窃盗をしろと言っているのか。聞きたいことは山ほどあるが、男とこれ以上話す気にはなれなかった。
訳も分からずしばらく立っていると、黄色い女が早足でカウンターにやってきて、そそくさと料理を取っていった。それに続くように、茶色い女性も料理を取っていく。本当に勝手に取っていいのだろうか。
私は迷った末、激しい罪悪感を覚えながら料理を手に取り席に向かった。何とも形容しがたい、見たこともない料理である。黄色い女には話しかけ辛かったので、私は茶色い女性の横に座った。
「横、いいですか」
「ええ」
「つかぬ事をお聞きしますが、ここの料理は勝手に取っていいんですか?」
「勝手に?誰かに許可がいるの?」
「いや、普通は店の人に頼むでしょう」
「店の人?うーん...気にしたこともなかったわ」
女性は店の人とは何だといった様子で、首を傾げながら言った。皆がここまで言うのなら問題ないのだろう。郷に入りては郷に従え。私は料理に手をつけた。今まで食べたことがない不思議な味だったが、決して不味くはなかった。
「もう一つお聞きしたいんですが...ここはどこですか?」
「どこと言うと?」
「何々市とか、何々町とか」
「うーん...そういうのは聞いたことがないわね」
「あなたはこの辺の方ではないのですか?」
「いえ、この辺にいることが多いわよ」
一体何を言っているのだろうか。私が困惑していると、その表情が読めたのか、女性が口を開いた。
「あなたは他所から来たの?」
「はい。気がついたらここにいて...」
「記憶がないとか?」
「いえ、記憶ははっきりしています」
私は住んでいた街の名前や務めていた会社、実家の場所まで色々と説明した。しかし女性はあまりピンと来ていないようだった。
「よく分からないけど、あなたはどこか別の世界から来たみたいね。たまにそういう人に会うことがあるわ」
「別の世界...よくあるんですか?」
「さあ。私もよくは分からない」
「元の戻れる方法は...」
「さあ」
女性はあっさりと言った。
それからしばらく女性と話した。女性は深山さんと言うらしかった。私は彼女からこの世界のことを聞いた。
まず、この世界には通貨の概念がない。皆勝手に家に住み、勝手に店に来て、勝手に食事をする。食事についてのやり取りが噛み合わなかったのはそのためである。
仕事をしている者もいるが、大抵の者は食事をして、散歩して、寝るだけである。黄色い女は仕事をしているらしい。仕事がないというのは魅力的な言葉に聞こえたが、それはそれで物足りないような気がしたのは、私が仕事という概念に慣れすぎてしまったせいだろうか。
他にも色々と話したが、よく覚えていない。取り留めもない会話もした。しかし何となく、深山さんと話しているのは心地よかった。
♢
どれくらい経った頃だったか、ふと深山さんが言った。
「そろそろね」
「何が?」
「そろそろ家に戻らないと、暑くなるわ。干上がったら大変」
干上がるとは大袈裟な言い方だと思ったが、外を見ると日が昇りかけていた。それと同時に、辺りは光に包まれていく。普段であれば朝は心地よいはずだが、何故だか光が眩くて、外に出たいとは思えなかった。
「そう言えばあなた、泊まるところはあるの?」
「いえ...何せ来たばかりなので」
「空いている家に泊まればいいけど...不安ならうちに来るといいわ」
初対面の男に家に来いとは大胆なものだが、行く当てもなかったので厚意に甘えることにした。
深山さんの家は簡素なものだった。木造の家の中には一部屋だけ。部屋の中には布団が敷かれているだけで、生活感はほとんど感じられなかった。
「あなたの世界ではどういう決まりがあるのか知らないけど、好きに使っていいわよ。私はもう寝るわ」
彼女はそう言うとそそくさと布団に潜り込んで寝てしまった。素っ気ないというか、マイペースというか、他人がいることを気にしていないようだ。朝に寝るというのも学生時代以来であるが、知らない町を彷徨った上に夜通し話し込んで疲れていたので、私も床につくことにした。
♢
それから私と深山さんは仲良くなっていった。深山さんは夜に起きて、朝に寝る生活だった。私も特に抵抗はなかったので彼女に合わせた。
起きると2人で店に行き、食事をしながら話をした。気付くと朝になり、帰って眠った。何件かの店を訪れたが、どこも店員はおらず、料理が置かれているだけというスタイルは変わらなかった。夜にもかかわらず大抵どの店にも客はいた。1人の客が多かったが、我々のように2人で食事をしている客もいた。1人の客同士が話していることは稀で、皆黙々と食事をしていた。
何日経ったか分からない。今元の世界に戻ったらどうなるだろうか。行方不明者として扱われて、警察に取り調べを受けるだろうか。家族からの着信や仕事のメールが山になって、対応に追われるのだろうか。そもそも仕事には戻れるだろうか。そんなことを考えるとなんだか面倒臭くなって、このままの生活で良いような気がした。
♢
ある日、いつものように2人で店に入った時のことである。私が料理を取ろうとすると、後ろから声をかけられた。
「おい」
「え?」
振り向くと恰幅の良い男が立っていた。手には槍のようなものが握られている。私の世界の基準に照らし合わせれば、どう見てもまともな出で立ちではなかった。
「ここの飯は俺のもんだ」
飯ごときでそこまでムキになるものか。やはりどこかおかしいのだろう。深山さんを見ると、何を考えているのか分からない表情で私と男を見つめていた。状況を理解してはいるはずだが、言葉は発さなかった。
さっさと逃げた方が良いのは分かっている。しかし私は咄嗟に戦闘態勢を取った。何故そうしたのかは私にも分からない。だが戦わなければならない。そう思ったのだ。
気が付くと、私は手に大きなハサミを握っていた。どこから取り出したのかは覚えていない。ハサミで槍に勝てるとは思えなかったが、ないよりはマシだろう。
男は槍で突きかかってきた。私は咄嗟に避けたが、槍先が体を掠めた。一瞬怯んだが、擦り傷程度で唸っている場合ではない。私は男の懐に飛び込み、ハサミで男の顔を切り上げた。男は鬱陶しそうに顔をしかめ、後ずさりした。私はすかさず男に詰め寄り、胸元にハサミを突き立てた。
その瞬間、男は車にでもぶつかったように後ろに吹き飛んだ。確かにかなりの勢いで突き上げたが、ここまでの威力が出るとは思わなかった。そもそも普通なら刃が深々と刺さってもおかしくないが、男は胸に鉄板でも入れていたのだろうか。
「くそっ」
男は小さく呟くと、不機嫌そうに去っていった。
顔を切りつけられ、あれだけ吹き飛ばされれば重症を負いそうなものだが、足取りがふらつく様子もない。強靭な男である。
「やるじゃない」
振り向くと深山さんが立っていた。
「冷静だな」
「よくあることだもの」
よくあるとはどういうことだ。私が殺されていたらどうするつもりだったのだ。そんな言葉が浮かんだが、言わずに飲み込んだ。恐らく聞いたところで解決しないだろう。相変わらずこの世界のことは分からない。
ふと気がついて、先程男に槍で突かれたところを見た。皮膚どころか服にも傷一つない。確かに刃が掠った感覚があったのだが、運が良かった。
♢
その日は突然やってきた。いつものように深山さんと2人で食事をしていた時のことである。店にには我々以外誰もいなかった。
突然地面が揺れ始めたかと思うと、店に光が差し込んだ。驚いて見上げると、店の屋根がなくなっていた。深山さんの方を見ると、彼女もまた驚いた様子で見上げていた。流石の彼女もこの状況は初めてだったようだ。
2人で呆気にとられていると、屋根だった場所から巨大な手が伸びてきた。この世界が私の常識と一致しないことは理解していたが、ここまで意味の分からない出来事は初めてである。
逃げよう。そう思った時にはもう遅かった。巨大な手は私と深山さんの2人を捕え、檻の中に入れていた。外を見ると、巨大な手に相応しい大きさの巨人が檻を持って歩いていた。巨人は大小2人いるようで、何かを喋っているようだが理解できない。
放心していると、隣の深山さんが口を開いた。
「私たち、どうなるのかしらね」
思えば、彼女の方から質問されることは滅多になかった気がする。きっぱりと答えられる質問なら良かったのだが、到底私にも分からない。
♢
しばらくして、巨人の家のような場所に到着した。いよいよ何をされるのか、不安で仕方がなかった。しかしそれは深山さんも同じだろう。2人で肩を寄せ合ってその時を待った。
檻の扉が開いた。また巨人の手が入ってきて、2人を掴んだ。自分と同じような相手なら抵抗してやろうという気にもなるが、流石にスケールが違いすぎる。私は巨人の手に身を任せた。掴まれただけで潰されてしまうのではないかと思ったが、意外にも巨人の手は優しかった。
私は別の檻に移された。深山さんも横にいた。檻と言っても、先程と違いガラス製だ。上部には扉が付いているが、開けられそうにない。ガラスを叩いてみたが、到底割れそうになかった。
私は不安に駆られながら横を見た。そこには2人分の布団と、食事が置かれていた。巨人が私たちをどうするつもりなのかは相変わらず分からないが、とりあえずすぐに殺すつもりはなさそうだ。
「とりあえず、寝ようか」
「ええ」
話してもどうにもならないことは2人ともわかっていた。私は疲れからか、見知らぬ檻の中でもすぐに眠りにつくことができた。
♢
あれから何日経っただろうか。巨人は私たちに手出しをする様子はない。ただ布団と食事を取り替えて、しばらく檻を眺めて去っていく。たまに手で掴まれることもあるが、何をするでもなくすぐに解放された。最初は巨人が来る度に怯えていたが、段々と慣れてきた。むしろ毎日世話をしてくれる巨人に感謝の念すら覚えていた。それは深山さんも同じ様だった。
「今日のご飯、美味しいわよ」
「どれどれ」
町の中か檻の中かという違いはあれど、私たちは平穏な日々を取り戻していった。
それからしばらくして、私たちは子どもを授かった。病院などというものはないが、不思議と不安はなかった。この世界なら何とかなる。無責任と言われるかもしれないが、そんな根拠のない自信があった。
この世界に来てから様々な体験をしたが、今では恐怖や不安は消え去り、幸せな日々を送っている。小さな檻の中ではあるが、生活するには十分だ。異世界というのも、案外悪くないものである。
我々の身近にある世界をイメージして書いてみました。
伝わったでしょうか?