第五章 ずっとあなたが好きだった
いよいよ訪れた学園祭当日。
空は見事な秋晴れに恵まれ、吹き渡る風も心地よい。
開始を告げる鐘が高らかに鳴り響き、鐘楼から虹色に輝く魚たちが飛び出した。キラキラと光る鱗をひらめかせ図書館、学習棟、寮などの上空を優雅に泳いでいく。やがて再び鐘楼付近へと舞い戻ると、ふわっと色とりどりの紙吹雪へと変化した。
それと同時に、各所に設置された拡声器から実行委員長であるエイダの声が響き渡る。
『これより、オルドリッジ王立学園祭を開始いたします! この国の次代を担う、若き才能たちの活躍をどうぞしっかりと目に焼き付けてくださいませ!』
生徒たちの「おおおー!」という歓声とともについに学園祭の幕が上がった。生徒の家族やこの学園の卒業生らが続々と入場してくるなか、実行委員であるリタはなぜか全速力で回廊をひた走っている。
「あああ、始まっちゃった……!」
開始五分前になって講堂の照明が動作不良を起こしたという一報が入り、それを直し終わったと思ったら今度は屋台の調理器具から火が付かないというクレームが入ったのだ。
なんとか対処しているものの、体は一つしかないので全然追いつかない。
「どうしてこう……いっぺんに……」
ぜいはあと息を切らせながら中庭へと出る。そこでは騎士科二年による剣術大会トーナメントの予選会が実施されていた。一般の人も参加して順位を競うらしく、受付には腕に覚えのある男性たちが列をなしている。
横目で何気なく眺めていると、クラスメイトと話しているアレクシスの姿が目に飛び込んできた。その瞬間、リタは先週のやりとりを思い出す。
(アレクシス……)
自分は冥王の生まれ変わりである、と告白された。
彼の持つ畏怖にも似たただならぬ圧を見るに、おそらくそのこと自体は本当なのだろう。しかし人間社会で過ごしたことで改心し、冥府側にいる裏切り者を倒すことにしたという話をどこまで信じていいものか。
(嘘か本当かは分からないけれど……でも念のため、アレクシスの言っていた召喚? には気を付けておいた方がいいかもしれない)
やがて火が出ないと困っている屋台へと到着し、炎の精霊アルバンテールの力を借りて原因を突き止める。勢いのよい炎が上がったところで今度は実行委員一年の女の子、ユーリスがバタバタと駆け寄ってきた。
「リ、リタ先輩! 開会の時に使った魔法の魚がまだ一匹逃げてるみたいで」
「えっ、あれはエイダの担当じゃ」
「エイダ先輩、今来賓の接待をしていて抜けられないんです。だから――」
「あー分かったわ、悪いけどここのフォローお願い!」
リタはすぐさま踵を返し、学園内を一望出来る図書館目指して走り出す。
途中、回廊で魔女科有志によるウェルカムドリンクが配布されているところを目撃した。手に取るとその人の衣装に合わせてグラスの中の飲み物の色が変化するらしく、まだまだ知らない魔法があるものだとリタはひそかに感心する。
すると回廊を曲がったところで、リーディア・セオドアのペアと遭遇した。
買い食いなんて普段絶対にしなさそうなリーディアが、珍しく手に油紙にくるまれた揚げたてのドーナツを持っている。
「あらリタさん、随分汗だくですわね」
「リーディア……楽しそうでなによりだわ」
「あっ! こ、これは違いますのよ⁉ 知り合いが屋台に出店していて味見してほしいと頼まれただけで、けしてわたくしが食べたがったわけでは」
「セオドア、今日は人も多いからちゃんと守ってあげてね」
「承知いたしました」
「リ、リタさん⁉ ちゃんと分かってますの⁉」
真っ赤になって反論するリーディアが可愛らしく、リタはひらひらと手を振って再度図書館への道を急ぐ。中庭でちらっとローラの姿も見かけたが、焼いた鳥豚牛が刺さった三種串や燻製肉とチーズが挟まったホットサンド、極彩色の三色パスタに具沢山野菜スープといった品々を両手いっぱいに抱えているようだった。
(ローラすごい……私も何か食べたらよかったなあ)
くるるる、と寂しげに鳴く自身のお腹をさすさすと撫で、リタは引き続き目的地を目指してひた走ろうとする。すると回廊の向かいから、こちらも何かの対応に追われているらしきランスロットが現れた。
「あ、ランスロッ――」
「…………」
リタの声が聞こえたのか、ランスロットはすぐに顔を上げてこちらを見る。だがそのままふいっと顔をそむけると、立ち止まることもなくリタの脇を通り過ぎてしまった。
(また……)
立ち止まって振り返る勇気もなく、リタは息苦しくなった胸元をぐっと摑む。
ランスロットの態度がおかしくなったのは一週間ほど前。実行委員の仕事も大詰めで、毎日のように顔を合わせていた時期だった。
(話しかけようとすると避けられるし、用がある時は人づてに伝えてくるし……)
二学年が始まったばかりの時も同じようなことがあったが、あの時とはまたちょっと様子が違う気がする。何かやらかしてしまったのだろうかと心当たりを探すが、それらしい失敗は思いつかない。
(もしかして、私の好きがバレて避けられている……?)
仮にそうだとしたら、この反応はもはや嫌われていると言っていいのではないだろうか。
リタは半泣きになりながら図書館の上に出る階段を上っていく。ようやく屋根の上に辿り着くと、そこから学園全体をぐるりと見回した。
(多分あの魚は水と木の合成魔法よね……)
しばらく目視で探すが発見できず、リタは水の精霊エリシアを呼び出した。
『ごめんエリシア、混合だから難しいかもしれないけど』
『大丈夫! 呼びかけてみるね!』
リィン、と澄んだ鈴のような音が空中に波紋となって広がる。
ほどなくして実習棟の裏庭のあたりでぱちゃん、と小さな水しぶきが上がった。リタはそれを見逃さず、杖を掲げて詠唱を開始する。
「木の精霊よ、己が眷属をあるべき姿に戻せ」
あっという間に紙吹雪に変化したのを確認すると、リタは頭上に浮かんでいた水の精霊に声をかけた。
『ありがとう、助かったわ』
『いいよー! っていうか、今日なんだかいつもより人が多いのね!』
『お祭りなの。みんなも楽しんでね』
うん! と元気のいい返事を残し、青い光の玉がふわわわっと飛び去っていく。リタは手を振ってそれを見送ったあと、あらためて学園内の全景を眺めた。
(本当に……みんな楽しそう)
ヴィクトリアとして王宮に住んでいた頃も、街ではよくお祭りが開催されていた。
だが一緒に出歩く友人もおらず、特に見て回りたいところがあるわけでもない。正体がバレてもややこしいからと自分に言い聞かせ、結局一回も見に行ったことはなかった。
でも今ならきっと――。
「ランスロット……」
かつてこの場所でアニスと対峙したことを思い出す。あの時はまだ、自分が彼に対してこんな感情を持つなんて思ってもみなかった。でも。
(よく考えると……ずっと優しかったな)
見た目で馬鹿にされていたリタを見かねて王都に連れて行ってくれたし、過去の失恋を打ち明けた時も本気で心配してくれた。声が出なくなって魔法が使えなくなっても、けして見捨てようとはせず――とまで思い出したところでリタはじわじわと赤面する。
(もしかして私……結構前からランスロットのこと好き……?)
あらためて自覚すると恥ずかしくなり、リタはぶんぶんとその場で首を左右に振る。すると背後から大きな声で呼びかけられた。
「ここにいたのか、探したぞー!」
「ヴィクター……えーと先輩」
そこに現れたのは実行委員で騎士科三年のヴィクターだった。彼は屋根の上にひょこっと顔だけのぞかせるとのんきな口調で続ける。
「なんか至急、いや大至急の呼び出しだって」
「いったい今度は何ですか」
「よく分からんけど学園長室だって。じゃ、確かに伝えたからな!」
「えええ……」
休む間もなくリタはよろよろと下に向かう。大声で呼び込みをしている生徒たちや楽しそうに歩いている招待客らを器用に交わしながら、なんとか学園長室に到着した。
しかしノックをして扉を開けたところですぐさま閉口する。
「えーっと……」
「うおおおリタくん! よく来てくれた! 待っていたよ‼」
リタが状況を理解するより早く、学園長が必死の形相で飛び出してくる。
入学した当初は歴代最下位の成績だとさんざん嫌味を言われたものだが、最近ではすっかり「なんか知らんけど有名人と知り合いの生徒」という肩書きになりつつあった。
「予定より少し早いが、先ほど来られてね」
「やあリタ。大盛況だね、早く色々と案内してほしいな」
「すみません、弟が早く行こうと聞かなくて」
「エドワード殿下、ジョシュア殿下……」
そこには本日の最重要来賓である二人の王子殿下が予定時間より一時間も早く到着していた。
ソファに座ってにこにこと手を振るエドワードに対し、従者レオンとともに申し訳なさそうな顔をしているジョシュア。そして――。
「あのーそっちの二人は聞いてないんですが……」
「護衛です。我々のことはお気になさらず」
「は、はあ……」
ソファの後ろに立っていたのは『三賢人』のうち二人、エヴァンシーとミリアだった。学園祭の実行委員なんてやる気に満ち溢れている姿をかつての子どもたちに見られ、リタはなんとなく恥ずかしくなる。
するとミリアがそそそっと近づき、リタにこっそり耳打ちした。





