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最下位魔女の私が、何故か一位の騎士様に選ばれまして  作者: シロヒ
第三部

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第四章 5



「そうだな、今さら何を言っても遅いよな……」

「…………」


 やがて雨脚が一気に強まり、二人は泥を跳ね上げながら家へと転がり込む。中にベイリーの姿はなく、アレクシスがすぐさま暖炉に手をかざした。ボン、と小さな爆発音がし、あっという間に薪に火が灯る。


「だいぶ濡れちゃっただろ? これ」

「…………」


 差し出されたタオルを前にリタはしばし逡巡する。するとアレクシスがいきなり頭に被せてきて、そのままわしわしと髪を拭かれた。ぽかんとして顔を上げると、同じくタオルを被ったアレクシスが鍋を片手に暖炉の前に立っている。


「すぐにお茶を淹れるよ。そこに座って待ってて」

「う、うん……」


 先ほど自らが冥王だと名乗ったとは思えないほど、普段どおりのアレクシスだ。

 パチ、と薪の爆ぜる音がする。焼けた木の匂い。暖炉の中に吊るされた鍋からは湯気が立ち上り、冷え切った室内をゆっくりと温めていた。雨だれが窓を叩く軽やかな音が心地よい。


(ここが、アレクシスの育った場所……)


 さっきまでのあれそれがすべて夢の中の出来事のように感じられて、リタはタオルを被ったままそっとうつむく。やがて香ばしい茶葉の香りが漂ってきて、リタの前にあったテーブルにコトンとカップが置かれた。


「おじいちゃん秘蔵の紅茶。黙っててね」

「…………」


 濃い琥珀色の水面をリタは静かに見つめる。冥王、と意識した一瞬は手が上がらなかったが、わざわざ淹れてくれたアレクシスの厚意を無下にすることも出来ず、そろそろとカップに両手を伸ばした。温かさがじんわりと指先に伝わってきて、そのままこくりと一口嚥下する。


「おいしい……」

「良かった」


 その穏やかな返事を聞き、あらためてアレクシスの方を見る。そこにいるのはどう見ても今まで学園で一緒に過ごしてきた優しい彼でしかなく、リタは自らの思考を整理するかのように紅茶をもう一度口へと運んだ。


(冥王は敵で……悪い人で……)


 実際に被害に遭った人たちはみんな口を揃えてそう言うだろう。

 でも長い年月を経たせいで、当時の悲惨さを覚えている人がすっかりいなくなってしまった。残されているのは勇者と伝説の魔女の逸話ばかりで、誰がどんな風に殺されたかなんて残っていない。だからこそ人々は『冥王教』などにすがるようになったのだ。


(それなのに今さら改心した、なんて……)


 嘘だ、とリタの中のヴィクトリアが必死に訴えている。

 そうだ嘘だ。彼らは悪なのだから。

 でも――。


(アレクシスも騙されて、苦しんでいた……?)


 もちろんそれは戦争を止められなかった理由にはならない。だが彼がもし本気で過去の行いを悔いたとしたら――その償いはいったいどうやったら出来るものなのだろうか。


(私、何を迷っているの? 一体どうしたらいい? 私――)


 ランスロット、と思わず心の中で呼びかける。清廉潔白な彼ならきっと冥王を許すとは言わないだろう。だが同時に罪を認めている者は受け入れろ、とも言うはずだ。そんなこと分かっている。分かっているのに――。


「――リタ」

「!」


 いきなり名前を呼ばれ、リタは弾かれるように顔を上げる。いつの間にかアレクシスが目の前に立っており、彼はそのまますとんとその場にしゃがみ込んだ。長身な彼の視線がリタよりもぐっと低くなる。


「いっぱい話しちゃってごめん」

「…………」

「この話をしたら君が気分を害することは分かっていた。だからずっと言えなかった。ちゃんと伝えないと……と思ってはいたんだけど、どうしてもからかうような、ごまかすような言い方しか出来なくて」

「もしかして、今まで『私をパートナーに』って言っていたのはこれのことだったの?」

「それ……は……」


 するとなぜかアレクシスが言葉を濁し、視線をふいっと明後日の方向に向けた。そのままぎゅっと強く目を瞑ったかと思うと、ゆっくりと押し開いてあらためてリタの方を見る。


「これは出来れば言わないでおこうと思ったんだけど……。実は、君に打ち明けたのにはもう一つ理由があって」

「……?」

「好きなんだ。君が」


 大きな雨粒がバタバタ、と窓を不規則に叩いた。

 頭は正常に稼働している。だが周囲の音だけがぽっかりと切り取られたかのような感覚に陥り、リタは椅子に座ったまま硬直した。好き。君が。好き。――好き?


「なっ、だっ……⁉」

「そんなに驚く? それっぽいこと何度も言ったと思うけど」

「あ、あれは冗談っていうか、からかっているんだとばかり……」

「ほら。こうなるから言いたくなかったんだ」


 微妙に片頬を膨らませているアレクシスを前にリタはいよいよ混乱する。だってさっきの話が本当ならアレクシスは冥王で、私は冥王を――。


「おかしいでしょ……。私、あなたを倒した人間よ?」

「何もおかしくないよ。だって僕が君を好きになったのは、その戦いの中だったんだから」

「戦いの……中?」

「そう。力しか能のない奴らとは違って、君の持つ力は色鮮やかで本当に美しかった。生み出される炎も水もすごく綺麗で……。敵対していなければ、あれが戦いの場でなければ――いつまでも眺めていたいと思ったんだ」


 最初にその姿を目にした時『かわいそうに』と思った。

 愛らしくて、華奢で、きっとすぐに命を落としてしまう。こんなところに来なければ良かったのに、と哀れみの感情さえ浮かんだ。

 だが彼女は強かった。

 今まで見たことがないような技を行使し、勇者と修道士と呼ばれる仲間たちを守り続けた。同時にとてつもない破壊力をもって冥王の命を削り、勇者がトドメを指す最後の瞬間まで呪文を唱え続けた。


「顔も体も傷だらけで本当は今すぐ逃げ出したいくらい怖いはずなのに、青い瞳だけが燃えるように爛々と輝いていて。爆風でたなびく長い髪が大きな黒い翼に見えて――戦いの最中だと分かっているのにどうしても目が離せなかった」


 今までここを訪れた人間は、冥王である自分を殺すために戦っていた。

 だが彼女だけは、そこにいる人間を『守る』ために力を振るっていた。しかしそれに気づいたのは勇者によって心臓を貫かれたあとだった。


「灰になって消えていく時、君と一瞬だけ目があった。君はどこか悲しそうな、申し訳なさそうな表情をしていて……どうしてそんな顔をするんだろうって不思議だった。同時に――もしも生まれ変われるならその時は、君と敵ではなく、仲間として戦えたらと思ったんだ」

「そんな……」

「だから言っただろ? ひと目見た時から、ずっと好きだったって」


 アレクシスがしゃがみこんだまま、にこっと柔らかく微笑む。その言葉に今までのような怪しさやからかいはなく、リタはそれ以上顔を上げられなくなってしまった。

 だってそんな。三百八十年も前から好きだった、なんて。


(私、どうしてこんなに動揺してるの……?)


 雨に打たれたせいか頬が熱い。黙り込むリタをしばらく見つめていたアレクシスだったが、やがて静かにその場に立ち上がった。


「これでもう、本当に僕の話は終わり。嘘だと思うならぜぇんぶ忘れてくれていいし、ランスロットたちに話すならそれでもかまわない。でもセュヴナルは僕が必ず仕留める。もし危険が及ぶようならすぐに逃げてほしい」

「……アレクシスはそれでいいの?」

「……実はね、もうよく分からないんだ。自分が犯してしまった罪の大きさとか、今さらそれを後悔してどうなるのか、とか……。でもこの世界を守りたい気持ちは間違いなくあるし、君に好きになってもらいたいって気持ちも――本物だったよ」


 再びバチ、と薪が大きく爆ぜる。雨は相変わらず激しく降り続いており、リタはまるでアレクシスと二人だけしかいない世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥った。


(好きになって、もらいたい……)


 リタ自身も覚えのある、切実で救いのない願い。

 もしも何も知らずにアレクシスのことを好きになっていたら、自分は彼の仲間になっていたのだろうか。三百八十年――気が遠くなるほどの長い時間、思ってくれていた彼のことを。


(でも、私は……)


 リタ、と呼ぶランスロットの優しい声と表情が頭をよぎる。

 幾度となく窓を打つ雨の音が、ざあざあとノイズのように鳴り続けるのだった。





 その後、出かけていたベイリーが戻ってきて三人で夕食を取った。

 昨日と同じ部屋で眠り、翌朝まだ太陽が昇りきる前にアレクシスと馬車に乗り込む。


「アレクシス、今度はいつ帰るんだ」

「うーん、多分冬季休暇かな」

「そうか。体に気をつけてな。リタさんも」

「は、はい。ありがとうございます」


 客車の扉が閉められ、眠っていた車輪がゆっくりと回り始める。荒れた道を走るガタゴトという強い揺れに耐えながら、リタはそっと向かいに座るアレクシスを見た。昨日のことが嘘のように思えるくらい、いつも通りのアレクシスだ。


(結局あれから、何も話してないけど……)


 途中の街で休憩を挟み、ベイリーが持たせてくれたパンとジャムを口にする。やがて太陽が沈み切ってしばらく経った頃、ようやく二人は学園へと到着した。

 学習棟の前に馬車を停めると、アレクシスが先に客車から下りる。


「随分遅くなっちゃったね。大丈夫?」

「う、うん」


 差し出された手を取り、そのまま外に出る。頭上にはいくつもの星が輝いており、リタはそれらの瞬きをぼんやりと見つめていた。するとアレクシスはすぐにリタに背を向け、寮のある方向へと歩いていく。


「先に戻るよ。こんな時間に二人でいて何か噂されたら困るだろうし」

「あ、あの、アレクシス」

「ん?」

「ごめんなさい。私……」


 何か言わなければ、と思うけれど言葉が出ない。

 そんなリタの内心を察したのか、アレクシスは「ふふ」と柔らかく笑った。


「どうして謝るのさ」

「だ、だって……」

「謝るのは僕の方だ。こんな泊りがけのデートに付き合わせてごめんね」

「アレクシス……」

「昨日のことは全部忘れて。それじゃ」


 ひらひらと手を振りながら、アレクシスが去っていく。

 その背中が完全に見えなくなったことを確認すると、リタはその場にうずくまった。


(忘れてって言われても……)


 何が本当で、何が嘘かも分からない。

 クラスメイトのアレクシスと、冥王の生まれ変わりであるアレクシス。


「いったい、どうしろっていうのよ……」


 善人のリタや冷静なリタ、慈悲深いリタや怒れるリタなどが頭の中で好き勝手にわあわあと騒ぎたてる。いよいよ訳が分からなくなり、リタはふらつく足取りで寮へと向かったのだった。





 数分後、誰もいなくなった学習棟の玄関先。

 夜闇のなか、太い柱を背にしてランスロットが立っていた。


(どうして、リタとアレクシスが一緒に……?)


 ここに居合わせたのは偶然だった。普段ならとっくに部屋に戻って休んでいる時間なのだが、横になっても全然眠気が訪れず、仕方なく学園内を散策していたのだ。


(アレクシスは『泊りがけのデート』と言っていた……まさかふたりで?)


 彼がリタに対してたびたび好意を示していたことは知っている。しかしリタの方はどちらかというと敬遠していた印象だったのに。


(何度も迫られて気持ちが変わったのか? しかし相手はいきなりプロポーズまでするような男だぞ⁉ そんな奴とデートなんかしたら本気に――)


 嫌な汗が全身から滝のように流れ落ち、ランスロットはその場で蒼白になる。そこでふと以前アレクシスに絡まれた時のことを思い出した。


(そう言えばあの時……『どっちの彼女』に対してか、と聞かれて……)


 やはりアレクシスも、リタが伝説の魔女ヴィクトリアだと知っているのだろうか。

 いったいどうやって。合同授業でも実務研修でもそんな機会はなかったはず――と考えたところですべてを解決する答えに気づいてしまう。


(もしかして、リタから直接……?)


 心臓に極太の杭を打ち付けられたような衝撃が走り、ランスロットの顔が土気色になった。

 立っているのがやっとになり、近くにあった柱によろよろと片手をつく。アレクシスには教えているのか。なぜ。どうして。


(俺には、打ち明けてくれていないのに……)


 リタからも、ヴィクトリアからも見捨てられたような気持ちになり――ランスロットはしばらくその場から動けなくなってしまったのだった。



 

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