第四章 2
翌日。朝食を終えたリタはアレクシスとともに村を回っていた。
頭上には澄み渡った青空が広がっており、ひんやりとした秋風が眠気を晴らしてくれる。
「昨日はよく眠れた?」
「う、うん」
「良かった。寝顔、可愛かったよ」
「部屋に入ったの⁉」
「冗談だよ」
あはは、と笑うアレクシスを見てリタはわずかに眉根を寄せる。そのまま家の周辺、広場、麦畑と歩いて行き、やがて教会と思しき建物へと辿り着いた。王都で見るような荘厳なものではなく、長年の風雨で色褪せた外壁の素朴な建物だ。
「これがこの村唯一の教会。といっても普段は誰もいなくて、結婚式とか葬式がある時だけ近くの村から呼んでくるって感じかな。ほら、入り口に階段があるでしょ、僕はあそこに捨てられていたらしいんだ」
「あそこに……」
「冬のすっごく寒い日だって言ってた。この辺りって結構雪が降るから、おじいちゃんが見つけるのがもう少し遅かったらきっと危なかっただろうね」
壮絶な過去の話を軽く語られ、リタは返事に窮する。一方アレクシスはまるで昼ごはんのメニューを相談するかのように続けた。
「村には他に子どもがいなくて、近所の人には可愛がってもらったなー。貴重な梨を譲ってもらったり、王都に行ったからっておもちゃを買ってきてくれたり」
「……優しい人たちばかりだったのね」
「うん。こんな親も分からない子どもなのにね」
教会の傍には大きな木が立っており、ふたりはそのまま木陰に入る。アレクシスは幹にそっと手を伸ばすとそこにあった古い疵を優しく撫でた。
「おじいちゃんが仕事をしてる時はよくこの木を相手に剣術の練習をしてたなあ。ほら見て、ここにある疵、倉庫から勝手に持ち出した銅剣をぶつけて出来たやつでさ。あの時はおじいちゃんにめちゃくちゃ怒られたなー」
小さなアレクシスがふらふらしながら剣を振るっている姿を想像し、リタは少しだけ口元をほころばせる。だがこのまま雑談を続けていても仕方がない――と本題を切り出した。
「アレクシス。どうしてわざわざ私をこの村に呼んだの?」
「単純なことだよ。リタ――いや伝説の魔女ヴィクトリア。君にだけは僕が育ったこの場所を知ってほしくて」
もはやごまかしきれないか、とリタは静かにアレクシスを見上げる。
「……いつ、私がヴィクトリアだと気づいたの?」
「だから最初からだよ。どうしようもない奴らからいじめられていた僕を、君が颯爽と助けに来てくれた時。……いや、実際はもっと前なんだけどね」
「見た目が全然違うのに? ほら、街中に飾られている銅像とは――」
「あんなの、君の本当の姿とは似ても似つかないって知ってるよ。それにまあなんていうか、僕が見ているのは外側の部分じゃなくてその人間の中身というか。要は、君がどれだけ魔法で外見を変えても意味がないって感じかな」
「それなら、どうして今まで黙っていてくれたの?」
「わざわざ言う必要もないかなって。姿を変えているのはきっと何か目的があるからだろうと思っていたし、僕だけが知ってるっていう優越感? もあってさ」
「それならなんで今さら……」
「少し状況が変わったんだ」
「……?」
雨雲を予感させる湿った風が吹き始め、二人の頭上に広がる枝葉をざわざわと揺らす。険しい表情で続きを待つリタに向けて、アレクシスがどこか満足げに目を細めた。
「さて、それじゃあ本題に入ろうか」
「本題って……」
「僕の正体。……それを確かめるために、ここまでついてきたんじゃないの?」
「…………」
アレクシスが眼鏡の向こう側からこちらを見つめる。まるで心まで見透かされているような居心地の悪さを覚えながらも、リタはこれまでに気づいた違和感を口にした。
「……最初にひっかかったのは壊れた眼鏡を直した時。普通、眼鏡といえば視力を矯正するものなのに、あなたの眼鏡はそれとは逆――『見えにくくする』ためにわざと度数をずらしているように見えた」
「へえ。思っていたよりすぐだね」
「その時はたまたまかなと思ってそこまで気にしてなかったわ。でも一年生前期の終わり、学園が冥獣に襲われた時――あなたは、私がランスロットを助けたことを知っていた。そのことがずっと引っかかっていたの」
「それくらいのことで?」
「あの時私は、禁忌ともされる時間をさかのぼる魔法を使っていた。だから冥獣が襲撃していた現場のことを記憶していた人はいないはずなのに……。あなただけがなぜか、中庭にいた私のことをはっきりと覚えていた」
「…………」
「決定打となったのはこの前、あなたの告白を断った時。とてつもない悪寒に襲われてその場に立っていることすら出来なくなった。あの時はたまたまランスロットが来てくれて助かったけど……あの感覚に覚えがあったの」
「覚えって?」
「……ヴィクトリアだった時に」
それは冥王討伐に向かう旅の道中。敵の本拠地であったアルバ・オウガの領内に入ったあたりからそれは起こった。
「いきなり、動けなくなるほど気持ち悪くなったことがあって。その時はシメオン――修道士だった彼の祈りで回復したの。その時の感じとすごく似ていて……」
「……ふうん」
精霊の力を借りて魔法を使う魔女とは異なり、修道士である彼らは神様への祈りを力の源としていた。神に祈りを捧げることでその人自身の持つ回復力をぐんと高め、傷ついた人を癒すという能力だ。
一応、魔女にもシャーロットが得意としていたような『治癒魔法』と呼ばれるものはある。だが足りなくなった血液を追加したり、皮膚の再生速度を無理やり上げたりといった強引なやり方が多く、患者の中には不安を覚える者も多い。
そのためいまだに魔女は攻撃や防御、補助。対する修道士は回復という考え方が主流だ。実際、冥王討伐の際もシメオンは回復役で、ヴィクトリアは攻撃と補助に徹していた。
「なるほど。神への祈りねえ」
「それ以降もシメオンから定期的に『神様の加護』を授けてもらった。そのおかげでなんとか冥王のもとに辿りつくことが出来たんだけど――」
そこまで口にしたところで、リタは自身の服の下にある護符について思い出した。
ランスロットが貸してくれたシメオンの護符。これを触った途端、あの不気味な感覚が一気になくなった。今アレクシスと普通に話せているのはこれのおかげかもしれない。
(……ありがとう。ランスロット、シメオン)
ふたりが守ってくれる。大丈夫。胸元でひそかに輝く護符を服越しにぎゅっと握りしめると、リタは大きく息を吐き出してアレクシスの方を見る。ようやく、答えを出す時が来た。
「アレクシス、あなた――冥王なの?」
「…………」
「正直、そんなことあり得るのかっていまだに信じられない。でももしあなたが人間ではないとしたら私の魔法の効果対象から外れたことにも説明がつくし、ヴィクトリアだった頃の私の容姿を知っていたことにも――」
「うん。せーかい」
「……えっ?」
「だから正解。僕は君たちでいうところの『冥王』だ」
あっさりと肯定され、リタは頭の中が真っ白になる。一方、自らを冥王だと明かしたアレクシスは特段変わった様子もなく、掛けていた眼鏡をひょいと顔から外した。顔立ちの綺麗さが一気にあらわになり、リタはなんとなく身構える。
「まあ正確に言うと人間ではない――というのは微妙なところかな。今のこの体は紛れもなく、脆くて弱い人間のものだから」
「体は人間……?」
「うん。でもこの心が――僕らで言うところの『魂』が覚えている。自分が、こことは別の世界の住人であったことをね」
「魂……」
まるで物語を語っているかのようなアレクシスを前にリタはしばし口をつぐむ。だがすぐに持っていた杖の先を彼の眼前に突きつけた。
アレクシスは微動だにすることなく、どこか楽しそうに目を細める。
「僕をどうするつもり?」
「……冥王であると分かった以上、あなたは私たちの敵だわ。だいたい、今起きている冥王教の事件だってあなたがそそのかしたんじゃ――」
「おっと。そこは誤解されたくないなあ」
「……?」
「確かに僕は冥王――いや、その生まれ変わりと言った方がいいのかもしれないな。だけどそのことを思い出したのは数年前のことで、能力だって昔のように使えるわけじゃない。せいぜい君を脅すくらいしか出来なかっただろ?」
「それは……」
「それに君たちと敵対するつもりなら、こんなところでのんきに世間話なんかせずとっとと世界征服に乗り出せばいいと思わない? でもそうしないのには理由がある。聡明な君ならその違和感に気づいていると思ったけど」
もちろんリタとて、その可能性に気づかなかったわけではない。
しかしまさか当の冥王からそのことを指摘されるなんて――と複雑な心境になっているとアレクシスが長い前髪を煩わしそうに掻き上げた。
「結論から言うと、今の異常な状態を作り出しているのは僕じゃない。かつて冥王の側近だった公爵・セュヴナル・クアントリルだ」
「ちょ、ちょっと待ってセブ……? それに公爵ってどういう」
「ああ、まずはそこから説明する必要があるか」





