第四章 デートという名の脅迫
学園祭開催が来週に迫った週末。
リタはアレクシスとともに馬車で北へと向かっていた。向かいの席に座るアレクシスをじいっと見つめていると、その視線に気づいた彼が眼鏡越しににこっと微笑む。
「どうかした?」
「べ、別に」
「でも嬉しいな。まさか本当にリタとデート出来るなんて」
「…………」
脅したくせに、という言葉を呑み込み、リタは馬車の小窓から外を見る。
まだ陽が登る前の早朝に学園を出て、最初のうちはいくつかの町や村を通過した。だが段々とそれらしき集落も無くなり、かれこれ二時間以上鬱蒼とした森の中を走っている。
それもそのはずこのあたりは昔、冥王の配下による被害が特に甚大だった地域だ。さらに高い山々に囲まれているせいか気候が非常に不安定で、そのうえ主要な交易路から外れていることもあり、他の地域よりもかなり発展が遅れている。
(デートって言うから、てっきり王都とかだと思ったんだけど……)
昼食代わりに持ってきたビスケットと干しブドウを食べながら、リタはぼんやりと外を眺め続ける。やがて木々の合間から見える空が藍色に変わり始めた頃、一生このまま続くのでは思われていた森がようやく終わりを迎え、少し開けた場所へと出てきた。
道沿いには家畜が逃げ出さないための柵があり、進行方向の先に村の入り口らしきものが現れる。ふたりが乗った馬車はそのまま井戸がある広場のあたりまで進んでいき、そこでようやくガタンと止まった。
「さあリタ、手を」
アレクシスにエスコートされ、リタは客車を下りる。石畳の通りもレンガ造りの建物もないさびれた村。活気のある酒場や宿屋も見当たらず、日が落ちたこの時間ともなると外を出歩いている人の姿すらない。
リタが周囲を観察していると、隣に立ったアレクシスが「ふふっ」と笑った。
「何もなくてびっくりした? ここはランドール。僕が育った村だよ」
「ランドール……」
「ま、とりあえず行こっか」
そう言って案内されたのは村のはずれにある古びた木の家だった。何度も修繕された跡のある扉をアレクシスがノックすると、中から背の高い男性が現れる。年齢は五、六十代。白髪交じりの髪を短く刈っており、とても威圧感のある顔立ちだ。
「おう、早かったな」
「学園の馬車を使わせてもらったから」
「そうか」
背後にいたリタに向かって、アレクシスがその家主らしき男性を紹介した。
「リタ、こちら僕のおじいちゃん」
「ベイリーだ。よく来たな。長旅で疲れただろう」
「いえ……」
もっと怖い感じの人かと思ったが意外に優しく、リタは少しだけ拍子抜けしてしまう。
家の中はそれなりの年数を感じる古さではあったが、使い込まれた暖炉やテーブル、手作りの木の椅子などどれも綺麗に手入れされており、どこかほっとする空間が広がっていた。ヴィクトリア時代、森で過ごしていた家に近いかもしれない。
「飯の支度だ。アレクシス、手伝え」
「はいはい。ごめんリタ、ちょっと座って待っててくれる?」
「う、うん」
食卓らしきテーブルを指差され、リタは借りてきた猫よろしくちんまりと端の席に座る。
暖炉の方を見ると、アレクシスとベイリーが網で鹿肉を焼いているようだった。馬車移動でほとんど食べていないところに加え、美味しそうな肉の匂いがリタのお腹を存分に刺激する。
ほどなくして鹿肉、パン、スープといった夕食が目の前に並んだ。
「大したものじゃなくて悪いが」
「い、いえ! ありがとうございます」
「それじゃ、食べよっか」
先に二人が食べ始め、リタもそれを見てそろそろと口に運ぶ。焼き立てのパンは小麦が甘く香り、香辛料をまぶした鹿肉は臭みがなく食べやすい。野菜のうまみが溶け出したスープは飲むだけで疲れた全身に染み渡るようだ。
「おいしい……」
「ふふ、良かった」
思わず漏れ出た感想をアレクシスに聞かれ、リタはちぎったパンを片手に「うっ」と赤面する。それと同時にここに着くまでものすごく警戒していたことが、なんだかだんだんと恥ずかしくなってきた。
(だって『僕の家に来ない?』って言われたら、さすがに身構えるっていうか……)
デートと称して自宅に呼び出し、そのまま親族への挨拶、無理やり結婚――その時はどんな魔法を使ってでも逃げ出してみせる、などと考えていたとはとても言えず、リタは罪悪感をごまかすかのようにいつも以上のペースでパンを口に運ぶ。
すると食事を終えたベイリーが食後酒のグラスを手にして二人を見た。
「で、いつ結婚するんだ」
「はいい⁉」
「なんだ違うのか。わざわざ連れてくるからにはそういう相手かと」
「い、いえ、私たちはただの友人で……」
一体どう伝えているのか、とちらっとアレクシスの方を窺う。だがアレクシスは否定するどころか「面白い」とばかりに養祖父の話に乗っかった。
「僕の方はいつでもしたいと思ってるけど?」
「ア、アレクシス! そのことは」
「人の気持ちなんて変わるものだよ。だいたいリタがその『好きな人』と両想いになれるかなんて分からないんだしさ」
「そ、それは……」
向かいに座るアレクシスからじっと見つめられ、リタはたまらず目をそらす。微妙な沈黙が続いたところで、グラスを空にしたベイリーが「ごほん」と咳払いした。
「よく分からんが、とりあえずそれを食べたら今日は休め」
「す、すみません。ありがとうございます」
「アレクシス、あとで部屋に案内してやれ」
「はーい」
アレクシスの追及から逃れられたことにほっとしつつ、リタは急いで食事を終えて使った食器を片付ける。ベイリーが暖炉の火の始末をしている間に、蝋燭を手にしたアレクシスから「ついてきて」と奥の部屋に連れてこられた。
室内には簡素なベッドと毛布、小さなテーブルと椅子があり、アレクシスは持っていた蝋燭をベッド脇にあった棚の上に置いた。
「今日と明日はここを使って。ちなみに向かいがおじいちゃんの部屋」
「あ、ありがとう……」
素直に礼を言い、リタは旅行鞄を壁際に下ろす。だが振り返るとアレクシスが堂々とベッドに腰かけており、リタはいぶかしむような顔つきでおそるおそる尋ねた。
「あのー、アレクシス?」
「ん?」
「そこにいられると寝れないんだけど……」
するとアレクシスは「ああ」と嬉しそうに目を細めた。
「一緒に寝れば大丈夫だよ」
「はあ⁉」
「だってここ、昔僕が使っていた部屋だし」
「なっ……!」
言われてみればわざわざ客室を作るはずはなく、リタは「これはまずい」とうろたえた。
「じゃ、じゃあ私、向こうのリビングで寝るよ」
「暖炉の火も落としちゃったし寒いよ? ソファもないし」
「魔法でなんとかするから。だからここはアレクシスが――」
使って、と言おうとしたところで、アレクシスがベッドから立ち上がりリタの前に立った。そのまま壁に手をつくと、緊張からか必死にうつむくリタの顔を覗き込む。
「まさか怖いの?」
「べ、別にそういうわけじゃ」
「伝説の魔女ってのも、意外と初心なところがあるんだね」
「なっ……!」
からかわれた怒りと恥ずかしさで頬がかっと熱くなる。それを見たアレクシスは「ごめんごめん」と腕をどかし、あっさりと出入り口の方へ退散した。
「冗談だよ。元々、僕が向こうで寝るつもりだったしね」
「ほ、本当に?」
「うん。これ、体を拭く用のお湯。それじゃ、また明日」
お湯が入った桶とタオルをリタに渡し、アレクシスがリビングの方に戻っていく。その背中が完全に見えなくなったところで、リタは桶を両手に持ったまま一気に脱力した。
(び、びっくりしたぁ……)
入学した頃の気弱な彼はいったいどこに行ってしまったのか。そもそもどうして実家に来てなどと言い出したのか――リタはまだ自身の頬が熱いことを確認しつつ、とぼとぼと寝る支度に戻ったのだった。





