第三章 4
(ランスロット……)
結局、好きな人って誰なんだろう。もう告白とかしたのかな。
多忙な学園祭準備で忘れていた気持ちが、夜の寂しさに誘われてどんどん呼び起こされてしまう。すぐ目の前にいるのになんだか遠い存在になってしまった気がして、リタは無意識に手を伸ばす――が、すんでのところで「はっ」と引っ込めた。
(わ、私、何を……)
一気に恥ずかしくなり、リタは急いでその場に立ち上がる。すぐさま立ち去ろうとしたもののこのままでは彼が風邪を引いてしまうかもしれないと考え、備品棚にあった毛布をすばやくランスロットの体に掛けた。
「(よ、よし!)」
彼が起きていないことを目だけで確認すると、リタは静かに逃げ出したのだった。
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リタが談話室を出てから数分後。
ソファに横たわっていたランスロットがむくりと起き上がった。体の上に掛かっていた毛布を手繰り寄せると、真っ赤になった顔をそこにうずめる。
「~~~~っ⁉」
いったい何の時間だったんだ。あれは。
鍛錬場使用の日程を融通してもらえないか、三年のヴィクターと交渉しようと談話室で待っていた。ただエドワードに振り回された昼間の苛立ちやここ数日の疲労が限界に達し、約束の時間まで少し休もうと横になっていたところで――。
(どうしてよりによってリタが……)
うとうとと気持ちよくまどろんでいると突然談話室の扉が開いた。今すぐ起きなければという気持ちとこのまま寝ていたいという誘惑が拮抗し、結局しばらく体を動かすことが出来なかった。そうしたら、リタが。
(びっ……くりした……)
彼女はそろそろとランスロットのもとに歩み寄ると、そのまますとんと顔のすぐ近くへと座り込んだ。起きるタイミングを失って焦るこちらの気持ちなどお構いなしに、ただ無言で熱い視線を送ってくる。そのうえ――。
(キス……されるのかと思った……)
しばしこちらの顔を眺めていたリタだったが、なぜかいきなり手を伸ばしてきた。心臓の音が聞こえてしまわないかとランスロットは必死に息をひそめていたが、結局こちらに触れることはなく、備品の毛布を掛けてあっさりと退室してしまった。
一応、彼女がいなくなったあとも「もしかしたら帰ってくるかもしれない」という期待を込めてしばらく寝たふりを続けてみた――が、その後リタが戻ってくることはなかった。我ながら完全に道化である。
「そんなわけない、か……」
わずかに残っていた期待の切れはしを捨て、ランスロットは肘置きに置いていた足を絨毯の上に下ろす。ぼんやりと座り込むと「はあ」と溜め息を吐き出した。
(やっぱり、リタの中で俺はそういう対象にはならないのか……?)
そこでふとランスロットの脳裏に、一年の時にリタと交わした会話が甦ってきた。
あれはたしか、ヴィクトリアとのデートプランについて相談していた時。なにげなく『好きな奴はいたんだろう?』という質問をしてしまいリタを泣かせてしまったことがあった。あの時は己の不躾さにひどく反省したが――。
(あれっていったい……誰だったんだ⁉)
今になって湧き起こる新たな疑問。
いったいどこの誰が彼女に惚れられ、あげく彼女を振ったというのか。
(この学園の奴か? いや、でも……)
あの時リタは『昔の話』と言っていた。まだ十六、七歳くらいの彼女が言う昔とは、と少し引っかかっていたが、ヴィクトリアのことだとすれば合点がいく。
(つまりヴィクトリア様には好きな人がいて、その相手からは、振られ、て……?)
そんな失礼な奴がいるのか⁉ とランスロットは一瞬頭の中が真っ白になる。だがすぐに大きなため息をつくと、体に掛かっていた毛布をぎゅっと握りしめた。
「情けないな、俺は……」
自分がもっと頼りがいのある男だったら、リタは正体を打ち明けてくれたのだろうか。
さっき彼女が伸ばしてきた手を強く握り返して、自分に何か力になれることはないかと尋ねたらよかったのだろうか。
考えれば考えるだけ正解が分からなくなり、ランスロットはそのまま背もたれに深く体を預けるのだった。
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談話室を逃げ出したリタは自分の部屋ではなく、寮の外にある回廊にいた。いまだ暴れ回っている心臓をなだめるようにはあ、はあ、と何度も大きく息を吐き出す。
(つい出てきちゃったけど……。よく考えたら、カレンダーに予定を書き込まないといけないんだった……)
がくりと肩を落としたあと、リタは回廊から一歩出てそっと空を見上げる。
吹き抜ける涼やかな秋風が心地よく、校舎の上に広がっている星空は見事なものだ。時折息をするように瞬くそれらを眺めたところで、リタはあらためて大きく深呼吸する。
(とりあえず戻って、万一起きてたらいつもの感じで――)
しかしその瞬間、背後から聞き覚えのある声に呼びかけられた。
「やあリタ、こんばんは」
「ア、アレクシス……」
現れたのは騎士服を着たアレクシスで、リタの方を見てにっこりと微笑む。
「実行委員の仕事? 遅い時間までお疲れさま」
「う、うん……」
ついこないだ告白のお断りをしている手前、どんな顔をして応対すればいいか分からない。一方アレクシスは振られたことなどすっかり忘れているかのように、いつもと変わらない態度で話を続けた。
「今日、なんか偉い人でもいた? すごい護衛だらけだったけど」
「えっと、エドワード殿下が視察に来てたの。ジョシュア王太子殿下と一緒に」
「へえー。王族って結構暇なんだな」
「暇ではないと思うけど……」
しばらく警戒していたが、以前と変わらないアレクシスだ。話しているうちに少しずつ緊張が解けてきて、リタは安堵からか少しだけ顔をほころばせる。
するとそのわずかな隙をついて、アレクシスが言い放った。
「ところでさ」
「うん?」
「リタって、伝説の魔女ヴィクトリアだよね?」
「――‼」
刹那、すべての色彩が奪われたかのように世界が真っ白になる。何かの冗談だろう、とわずかな期待をこめてアレクシスを見るが、彼は先ほどより柔和に――しかし妖しい笑みを浮かべたまま口を開いた。
「あはは、やっぱり当たってた?」
「な、なにが?」
「ごまかしてもダメだよ。君のことはずっと昔から知っているんだから」
「昔って……」
言葉を失うリタの様子を見て、アレクシスがさらに続けた。
「ああ、言いふらすつもりはないから安心して。でも、黙っている代わりにちょっとお願いしたいことがあってさ」
「お願い……?」
知らずリタは眉根を寄せる。ヴィクトリア時代にも散々聞かされてきた言葉。
魔法で労せずして巨万の富を得たいだとか、自分だけ立身出世したいだとか、そのために邪魔な奴を魔法で消してほしいだとか。とにかく滅茶苦茶なことを依頼された。もちろんよほどの事情がない限り断ってきたが、はたして何を頼まれるというのか。
リタは警戒心もあらわに唇を噛みしめる。するとアレクシスがあっさりと口にした。
「僕とデートしてくれない?」
「……は?」
思わず変な声が出てしまった。デート。デートとは。
二秒近く硬直したあとリタはようやくその単語を認識し、じわじわと顔を赤くする。そんなリタの両手をそっと持ち上げると、アレクシスが無邪気な顔で小首をかしげた。
「別に断ってもいいよ? でもその時は……ランスロットにバラしちゃおうかなあ」
「そ、それは……」
「ふふ、どうする?」
星のない夜空のようなアレクシスの瞳が迷えるリタの姿を映し出す。
リタはその手を振り払うことが出来ず、ただ呆然とその場に立ち尽くすのだった。





