第三章 2
「突然すみません。実は、来月に行われる学園祭の視察に伺ったんです」
「本当はわたしだけの予定だったのだけど兄上も来たいとおっしゃられてね。それで急遽一緒に訪問することになったんだ」
「な、なるほど……」
この仰々しい警備はそのためか、とリタは曖昧に微笑む。やがて実行委員長であるエイダが駆けつけ、二人の王子殿下を前にすぐさま膝をついた。
「ご挨拶が遅くなり大変申し訳ございません。今回の学園祭実行委員長を務めます、エイダ・ラクラーエンと申します。このたびはオルドリッジ王立学園へお越しくださり、心より感謝申し上げます」
「頭を上げてくださいエイダ嬢。こちらこそ押しかけてしまってすみません」
「とんでもございません。両王子殿下にご覧いただけるなど光栄の極み。私でよければどことなりとご案内いたしますが」
するとエイダの申し出を、エドワードがやんわりと断った。
「付き添いは結構だよ。ついこないだまでここに通っていたから、わたしがだいたいのことは分かるしね。それに今日の案内はそこにいるリタに頼もうと思っているんだ」
「えっ⁉」
突然指名され、リタは目を丸くする。するとソファに座っていたエドワードがおもむろに立ち上がりリタの前に立った。
「久しぶりだね。少し見ないうちにまた綺麗になったんじゃない?」
「き、気のせいだと思いますけど」
「なかなか会いに来られなくてごめんね。短い時間だけど今日は――」
たじたじのリタの両手をエドワードがそっと持ち上げようとする。だがそんな二人の間に割り込むようにして、ランスロットがずずいっと進み出た。
「殿下、案内でしたら俺がいたしましょう」
「ランスロット、君は眉間の皺がだいぶ深くなったね」
「誰のせいだと思っているんです」
二人の間に雷の精霊が走ったような幻を見つつ、リタは「いったいどうすれば」と視線を動かす。エドワードはしばらくランスロットと睨み合っていたが、やがて何かを見出すように目を細めると、ようやくリタの前から一歩引いた。
「仕方ないな。じゃあ今日はリタとランスロット、ふたりに案内してもらおう。……ちょっと以前とは状況が違うようだしね」
「殿下?」
「それでよろしいですか、兄上」
「ああ。すみませんお二人とも。お忙しいところなのに」
「い、いえ……」
結局断るチャンスもないまま王子様二人の案内係になってしまった。本来の目的であった試薬の調達を別の生徒に頼んでいる間に、エドワードたちが扉の方に向かっていく。
「それじゃあ行こう。まずは学園演劇が見たいな」
「は、はい!」
先ほどから不機嫌なランスロット。それとは対照的に上機嫌なエドワード。そして第一王子と大勢の護衛というとんでもない一団を引き連れ、リタは実習棟の一角へと向かう。実習室の中でもいちばん大きなその部屋は、今は生徒有志による学園演劇の練習場となっていた。
中に入ると、台本の読み合わせをしていた生徒たちが一斉にこちらを振り返る。
「えーっと、実行委員会です。本日ジョシュア王太子殿下とエドワード殿下が視察に見えられまして、少しの間見学したいとのことで……」
リタの説明を聞いた生徒たちが、小さく息を吞んだのが分かった。エドワードは少し前までこの学園に通っていたのでそれほど緊張しないで済みそうだが、やはり第一王子となるとそうはいかないようだ。
するとジョシュアが歩み寄り、近くにあった台本に目を向ける。
「今回の脚本はどなたが?」
「ぼ、ぼくが書きました、が……」
「少し拝見しても?」
学園演劇の担当者とされる男子生徒の一人が震える手で台本を差し出し、ジョシュアが「ありがとう」と受け取る。彼が目を通している一方で、エドワードが無邪気に首をかしげた。
「それで、いったいどんな話なんだい?」
「え、ええと、勇者ディミトリと伝説の魔女ヴィクトリアのお話をベースにしているんですが、ちょっと独自の解釈というか新しい展開を盛り込んでいまして――」
(新しい展開?)
いきなりもう一つの名を呼ばれ、リタは思わずそちらを見る。遅れて配られた台本を受け取り、内容を確かめてみると――。
(こ、これって……)
物語の始まりは約三百八十年前。アルバ・オウガに冥王と呼ばれる敵が出現する。
苦しむ民たちを救うために勇者とその幼なじみである修道士が立ち上がり、伝説の魔女の助けを借りて見事冥王を討伐するという、この国の人間なら誰でも知る英雄譚だ。
問題はそのラストの部分――。
(勇者様が私に……『告白』してる⁉)
この国に平和が戻った最後の場面に、勇者ディミトリが伝説の魔女ヴィクトリアに愛を伝えるというシーンがしっかりと描かれていた。独自の解釈というのはつまり、『もしもこの二人が恋仲だったら』ということだろう。
当然、そんな事実はまったくない。むしろ一方的な片思いで終わりましたが何か⁉ などと反論するわけにもいかず、リタは台本を開いたままぶるぶると小刻みに震える。
すると同じく台本を読み終えたエドワードが「ふむ」と目を輝かせた。
「いいね。すごく面白いよ!」
「あ、ありがとうございます」
「せっかくだからちょっとやってみたいな。ねえリタ?」
「はい?」
そう言うとエドワードは台本を片手に持ち、リタに向かって恭しくもう一方の手を差し出した。そのまま美しい美貌に笑みを浮かべると、勇者役の台詞を口にし始める。
『ヴィクトリア、君のおかげでこの世界が救われたよ。最後にもう一つだけ、君に助けてもらいたいものがある』
「えっ……と……?」
『私の心だ。ともに戦う中で、私は君から目が離せなくなってしまった』
(ひ、ひいいい……‼)
エドワードが緑色の目をほんの少しだけ細める。その笑い方が本物のディミトリにそっくりだったため、リタは一瞬呼吸するのを忘れてしまった。
(おお、落ち着くのよリタ、いえヴィクトリア! これはただのお芝居。だいたい、顔が同じだけでディミトリとエドワード殿下は別人だって何度も言っているのに――)
しかし三百八十年拗らせまくった初恋の傷は根深く、リタはたまらずその場から逃げるようにじりじりと後ずさりする。一方それを見たエドワードは、面白がるように逆にどんどんと距離を詰めてきた。
『愛している、ヴィクトリア。どうか私と結婚してくれないか?』
(ど、どうすれば……!)
その瞬間、困惑するリタの前にランスロットが割り込んだ。
すばやく手を伸ばすと、エドワードがリタに向けて伸ばしていた手をがっしりと握り返す。そのままどこか座った目ではっきりと口にした。
「お断りします」
「ランスロット……いつからヴィクトリアになったんだい」
「たった今です」
ギリギリギリ、とここまで音が聞こえてきそうな力強いふたりの握手を見ながら、どうやらランスロットに助けられたようだとリタは胸を撫で下ろす。やがて「仲がいいね、ふたりとも」とジョシュアがその場を収めた。
「素晴らしいお話でした。当日、楽しみにしていますね」
「あ、ありがとうございますっ……!」
練習場をあとにした一行は、その後屋台出店のメイン会場となる中庭の視察、当日警備の予定や移動経路の確認をこなし、最後の見学場所へと向かっていた。するとその途中、クラス発表の準備をしていた騎士科二年の団体と遭遇する。
「あれっ⁉ エドワード殿下⁉」
「来られてたんですね! クラスに顔を出してくださればよかったのに」
「悪い悪い。ちょっと先に回るところがあってね」
半年という短い在籍期間ではあったが、クラスメイトたちとかなり親しくなっていたのだろう。わいわいと思い出話と雑談に花を咲かせる一方、ランスロットの方は実行委員としての質問と回答に追われている。
「この日なんだけど、鍛錬場って押さえられるかな」
「確かそこは騎士科三年が予約していたな。夕方からではダメなのか?」
「うーんそれだと――」
(なんだか、こうして騎士科にいる二人を見るのは初めてかも……)
同じ学園に通っていても魔女科と騎士科がお互いの授業を見る機会はほとんどない。合同授業はあるが、やはり男だけで話している時はだいぶ感じが違うものだ。
王子様だというのに誰にでも気さくにふるまうエドワードと、生来の真面目さでクラスメイトたちに頼られているランスロット。対照的な二人がたくさんのクラスメイトたちに取り囲まれている姿を見て、リタはなんだか嬉しくなる。
すると同じく隣でそれを見ていたジョシュアがこそっと話しかけてきた。
「リタさん。良かったら、わたしたちだけで先に向かいませんか?」
「えっ? でも……」
「お話も盛り上がっているようですし、せっかくなら気が済むまで話させてあげたいなと」
「それは……」
ちらりとエドワードの方を見る。普段はずっと王宮にいるのだろうし、こんな風に同世代の友人たちと気兼ねなく話す機会は今後どんどん少なくなるだろう。リタは一瞬だけ迷ったものの、すぐに「そうですね」と頷いた。
「お時間もないですし、残りの見学に進みましょうか」
「はい。お願いします」
そうしてジョシュアとともに向かったのは、学園の中でいちばん奥にある講堂だった。
玄関ホールを通って中に入ると、頭上に創世神話の一幕を描いたステンドグラスたちが現れる。正面の舞台に向かって赤い絨毯が敷かれた通路があり、左右には教会の身廊のようにずらりと長椅子が並べられていた。
「こちらが講堂で、普段は式典などで生徒たちが使用します。学園祭当日、演劇はこちらで行う予定です」
「なるほど」
講堂に入る際、剣や装備で内装に傷をつけないようにと、護衛騎士たちはあらかじめ外で待機されられていた。そのためここにいるのはリタとジョシュアの二人だけだ。





