第一章 3
その後二年の前期が始まっても、自分のポンコツぶりは治らなかった。
幸いリタがいないところであればいつも通りふるまえたのだが、食堂で彼女を見かけた時や図書館に入っていくところを目撃した時には動悸が止まらなくなり、食器を取り落としたり小さな段差でつまずいたり壁にぶつかったりした。
だからリタと鉢合わせないよう、極力気をつけていたというのに――。
(授業だけは……逃げられなかった……)
先ほど行われた魔女科との合同授業。
久しぶりに近くで見るリタは本当に可愛くて、でももしかしたらヴィクトリア様かもしれないと思うと背筋が伸び、結果「頑張ろうね」という彼女の言葉に対し、そっけない返事を返してしまった。
その後もリタから目を離すことが出来ず、ああ睫毛長いんだなとか本当にヴィクトリア様なんだろうかと考えているうちにいつの間にか試合が始まっていた。胸元にあった宝石がリタの土壁によって守られたのを見て、ようやく「はっ」と瞬く。
「ランスロット!」
ああ、怒っている顔も可愛い――とぼんやりしていると、すぐに真剣な声が飛んでくる。
「ランスロットしっかりして! もう試合始まってる‼」
「……‼」
そこでようやく試合中であることを思い出し、ランスロットは剣を握り直した。同時に「ヴィクトリア様に失望されたくない」という焦りが背筋を駆け上ってきて、作戦も戦略もなくとりあえず敵陣に向かって走り込んでしまった。
その結果があの惨敗――という体たらくである。
(リタが……ヴィクトリア様が怒るのは当然だ……)
しかし彼女はふがいないランスロットを叱責するどころか怪我の心配をし、あげく他人行儀にするのはやめてほしいと言ってきた。
ランスロットとしては、幼少期から憧れていた伝説の魔女ヴィクトリアに親しく話しかけるなど出来るはずがなかったのだが、これまでのリタに対する接し方を考えれば不思議に思われるのは当然だ。
どうしよう、どうしたらいいとひとり脳内で質疑応答を繰り返し、ランスロットはとりあえず無理やり以前の口調を再現した。リタもほっとした様子でこれまでの非礼を許してくれたが――正直、自分の中ではまだ何も解決していない。
(次の合同授業は一カ月以上先のはず。それまでにこの状態をどうにかしないと……)
しかしいったいどうすればいいのか。
女性から好意を持たれることは数えきれないほどあったが、自分から好きになるのはヴィクトリア以来初めてだ。おまけにヴィクトリアは書物や絵画の中の人物でしかなかったが、リタは今この場に実在している。いや、ヴィクトリア様も実在しておられるが。
(とりあえずまずは一度デートに誘ってみるか? そうやって少しずつ親交を深めていき、頃合いを見て好きだと告白……いや待て。出会ったばかりであればそれでいいのかもいれないが、リタとはすでにこの一年を一緒に過ごしている。今さらそんな相手として、意識してもらえるのかどうか――)
パートナーとしての信頼は得ている自負があるが、リタから異性として意識された記憶はあまりない。つまり現時点ではランスロットが一方的に好意を抱いている状態に過ぎないのだ。
それに何より――。
(もしも本当に、リタがヴィクトリア様だったら……)
見事な黒髪と青い瞳の美女が脳裏に浮かぶ。外見が違いすぎるのは特殊な魔法をかけているせいなのか。そもそもどうして外見を偽っているのか。年齢はどうなっている。史実通りであれば四百歳近いはずだが。
(たとえば『三賢人』のように多くの魔力を持つ魔女は老化が極端に遅く、長命だと聞いたことはあるが……)
国内で知らぬ者はいないとされる伝説の魔女がどうしてわざわざ見た目を偽り、学校なんかに通っているのか。彼女が望めば王族だろうと公爵家だろうと喜んで受け入れ、なんの苦労もない豪勢な生活を送れるはずなのに。
(もしかしたら何か大きな使命に挑まれているのか? それであれば俺に力添え出来ることがないかお尋ねしたいが……いや逆に俺などが出てきては迷惑になるか。しかしどうして正体を隠したりなんか――)
うんうんと唸っていたランスロットだったが、ふとある一つの可能性に気づいた。
その瞬間、困ったように笑っているリタの顔を思い出す。
(もしかして……)
ほどなくして、どこか寂しそうな目をしたヴィクトリアの姿が浮かんでくる。ランスロットはぐっと唇を噛みしめると、ようやくゆっくりと顔を上げたのだった。
・
・
・
波乱の合同授業を終え、二週間ほど過ぎたある日の昼休み。
リタはローラとともに食堂に向かっていた。
「はあ~お腹減りましたぁ」
「今日の授業、なかなか集中力がいる作業ばっかりだったものね」
「体を動かす系なら得意なんですけど、魔力操作とか調合とかはちょっと……。あーあ、あたしも騎士科だったらもう少しいい成績とれたのかな……」
よほど疲れたのだろう。普段元気いっぱいのローラが珍しくくたびれている。その様子をリタが微笑ましく見つめていると、ローラが「そういえば」と口にした。
「そろそろ学園祭の準備が始まるみたいですね」
「学園祭?」
「なんか三年に一度やるらしくて、今年がちょうどその年みたいです。日頃の勉強の成果をまとめて発表するとかで、王族の方や偉い貴族の方も見に来られるすっごい大規模なものになるそうですよ!」
「へえ、そんなのがあるのね」
学園祭。昔、偶然手に入れた小説の中で知った単語だ。
そこでは色々と珍しい料理が味わえる屋台が出たり、華やかな舞台で生徒たちによる演劇が披露されたりと、とにかく賑やかで楽しいものだと描かれていた。
(たしか小説では、学園祭の演劇でヒロインが王子様から告白されて……)
幸せいっぱいのラストシーンを思い出し、歩きながらついうっとりする。やがて食堂の出入り口が見えてきた――が、リタはその場でぴたっと足を止める。
(あ、あそこにいるのって……)
同じく昼食目当てに集まっている騎士科の大群――その中心にランスロットの姿を発見した。
他の生徒たちから頭一つ抜けた長身は嫌でも目立ち、リタは思わずそちらに目を向けてしまう。するとランスロットがいきなりこちらを振り返った。
「!」
しっかり一秒目が合い、リタはこくりと息を吞む。以前ならこんな時すぐに駆け寄ってきて「一緒に食べるか?」とか「ちゃんと肉を食えよ」と笑ってくれたのだが――。
「……悪い、俺はあとにする」
「え? 時間ねえぞ。午後からは実技だし」
「ちょっと用事を思い出した」
近くにいた男子生徒にそう伝えると、ランスロットはそのまま人ごみを抜けて食堂から離れていってしまった。それを見たリタは無言で床に視線を落とす。
(やっぱり……避けられてる)
こんなことがあったのは、実は今日が初めてではない。
以前も食堂で見かけ、その時はリタの方から声をかけたのだが――やはりランスロットは早々に食事を終え、逃げるように立ち去ってしまった。食堂以外でも同じようなことがあり、リタは完全に避けられていると絶望する。
(もしかして、もう好きな人に告白して……婚約してるとか……)
可愛らしい令嬢とランスロットが親しげに談笑している姿を想像してしまい、リタはその場で白目をむきかける。一方横にいたローラはそんなリタの動揺に気づくこともなく、あっけらかんと口にした。
「あれ、ランスロットさんお昼食べないんですかね?」
「そ、そうみたいね……」
「そういえば大丈夫でした?」
「なっ、何が⁉」
「ほら、少し前にあった合同授業でランスロットさん負けちゃったじゃないですか。あんな無茶な戦い方、今まで一度もしたことなかったのに」
的確に指摘され、リタは内心「うっ」と言葉に詰まる。
「体調でも悪いのかと思ったら元気そうですし、いったい何があったのかと」
「だ、誰でも調子が悪い時はあるわよ」
「まあ、そうですよね……」
やがて順番が来て、リタは食器とカトラリーを自分のトレイに乗せた。
王立学園に通う貴族の子女にとって、食事といえば一品一品サーブされ、ゆっくりと時間をかけて楽しむものだろう。だが二クラス三学年分もいる生徒、さらには教師陣という量をまかなうため、ここでは自分で料理を取るシステムが採用されていた。
スープ、野菜、卵料理、魚、肉と必要な量だけ皿に盛り、最後に数種類ある焼き立てのパンを食べられる分だけ取る。ちなみに厨房のシェフは全員、王宮から派遣されている腕利きの料理人たちなので味は申し分ない。
最後に飲み物を取り、空いている席に着く。ふんふーんと鼻歌混じりで隣に座ったローラがリタのトレイを見て「えっ」と絶句した。
「それで……足ります?」
「えっ?」
リタは自身の食器に目をやる。具材のないスープとサラダ、水というまるで囚人のような献立。
対するローラのトレイには大量の肉と魚、それに負けないくらいのサラダ、パンは用意されていた全種類が並んでおり、見るだけでお腹いっぱいになりそうなボリュームだ。
「もし必要ならあたしのから少し――」
「ありがとう。でもあんまりお腹空いてないだけ。さ、食べましょ」
まだ少し不安そうなローラを横目に、リタはサラダにフォークを差し入れる。作業のように淡々と口に運びながら、先ほどのランスロットのことを思い出した。
(結局あれから、一度も話せてない……)
合同授業のあと、リタはなんとかしてランスロットと会う機会はないかとそれとなく彼の姿を捜していた。寮の入り口で長い間見張ったり、騎士科生徒たちが集まっている所を見つけては勇気を出して近づいたりもした。
だがどれだけ頑張ってもランスロットを見つけることは出来ず――やっと今日、久しぶりに顔を合わせることが出来たというのに。
(もしかしたら、あんまり近づかない方がいいのかな……。迷惑に思われているのかもしれないし……)
シャク、と噛みしめた葉野菜で口内が瑞々しく潤う。
カラカラに干からびてしまった体にほんの少しだけ水分が戻った気がしたが、普段なら美味しいと感じる器官がまったく反応しない。この感覚、遥か昔にも覚えがあった。
(また失恋、しちゃったみたい……)
勇者ディミトリとエレオノーラ姫が恋仲だと知った時、いったい自分はどうやってこの感情を乗り越えたのだろうか。肉体再構築にかかった長い眠りの中で薄れてしまったその記憶を、リタはどこか他人事のように思い出すのだった。





