第一章 すれ違うふたり
秋風が気持ちの良いある日。中庭では二年最初となる合同授業が行われていた。
地面には競技用の白いラインが引かれており、がやがやと騒ぐ生徒たちの前で騎士科担任が大きく叫ぶ。
「それでは一試合目、ランスロット、リタ!」
「は、はい!」
いきなり指名され、後ろの方にいたリタは慌ただしくライン際に走り出る。そこにはすでにランスロットが立っており、リタは隣に並ぶとそうっと彼の顔を見上げた。
「ランスロット、頑張ろうね」
「は、はい……」
(……?)
いつもであれば「ああ」だの「よろしくな」と朗らかに返してきた彼が、なぜか難しい顔で口をもごもごさせている。リタはけげんな顔をしつつもそれ以上の会話を諦め、すぐに試合会場の方に目を向けた。
だが視線をずらした途端、隣にいるランスロットからじりじりとした熱い眼差しが注がれる。気のせいかと思ってしばらく我慢してみたが、いっこうに収まる気配がない。
(ど、どうしてずっと睨んでくるのよー⁉)
いったい私が何をしたというのか。まったく身に覚えがない。
だいたい、さっき初めて話したくらいで――。
(まさか、それがまずかった……⁉)
もしかしたら今この場に『好きな人』がいて、その人に誤解されまいと牽制されているのだろうか。そんな大した会話はしてないのに。ちょっと頑張ろうねって言っただけなのに。
うっかり横を向いてランスロットと目が合ったら――と考えるだけでも恐ろしく、リタは滝のような汗を流しながら必死になって目をそらす。そんなリタの心境を知る由もなく、騎士科担任がもう一組の名前を読み上げた。
「セオドア、リーディア、前へ!」
「はい」
冷静な返事のあと、名指しされた二人がリタたちの向かいにあるラインに並び立つ。その佇まいはまるで女王陛下と護衛騎士のように堂々としており、リタは杖を握りしめながら思わずこくりと息を吞み込んだ。
やがて騎士科担任が手にしたマニュアルを読み上げる。
「えー二年からは対人戦がカリキュラムに加わる。武器は木剣を使用。魔法の暴発・暴走時にはすぐに対応するつもりだが、各々今まで以上に注意するように」
そう言うと騎士科担任は、隣にいた魔女科担任のイザベラに目で合図をした。
イザベラが杖を振るとリタとランスロットの胸元に青い宝石、対するリーディアたちの方に赤い宝石がふわんと浮かび上がる。大きさはどちらも赤ちゃんの握りこぶし大だ。
「人体への直接的な攻撃を避けるため、今回はその宝石をターゲットとする。自分たちの宝石を守りつつ、相手の宝石のどちらか一方を破壊したチームの勝利だ」
(宝石を壊せばいいのね。それなら――)
ルールを頭に叩き込みつつ、リタは隣に立つランスロットの様子をそっと窺う。
さすがに少し落ち着いたのか睨まれている感じはない。だが有無を言わさぬなんとも重苦しい空気が漂っており、リタはそのまま静かに口をつぐんだ。いつもであれば一緒に作戦を立てたりしていたのに。
そうこうしているうちに、騎士科担任による試合開始の号令が響き渡る。
「それでは、始め!」
「氷の精霊よ、青き宝石を打ち砕きなさい!」
開戦の瞬間、リーディアの詠唱とともに尖った氷片が勢いよく飛来してきた。リタはランスロットの前に出ると、杖を構え、恐ろしいほどの早口で詠唱を開始する。
「土の精霊よ、我らを守りし盾となれ」
リタとランスロットの前に土壁が出現し、ぶつかった氷片がカシャン、パリンとあっけなく砕け散った。リーディアの魔法の腕は本物。無闇に突っ込むのは危険――と伝えるべく、リタはすぐさまランスロットの方を振り返る。
「ランスロ……ット?」
だが焦るリタとは対照的に、彼は剣を体の前に構えたままなぜかぼーっとリタの方を見つめていた。まさに心ここにあらずといったその様子にリタが大慌てで叫ぶ。
「ランスロットしっかりして! もう試合始まってる‼」
「‼」
ようやく我に返ったのか、ランスロットは弾かれるようにリタから顔をそむけた。
だがほっとしたのもつかの間、あろうことかリタの指示を待たずして、敵陣に向かって一直線に突っ込んで行く。なんという暴走ぶりだ。
「ラ、ランスロットー⁉」
当然セオドアが立ちはだかり、ランスロットが真正面から木剣を振り下ろす。他の騎士候補であれば押しきれそうな勢いだったが、さすがに騎士科二位の相手とあってかそう簡単には膝をつきそうにない。
(え、えーと、とりあえず援護しよう!)
筋力増強、いやあれは調整が難しいし学生が使うレベルの魔法じゃない。ならば剣戟の隙をついてセオドアの宝石を魔法で破砕するか。しかしさすがに騎士候補二人の動きを完璧に予測など出来ないし、万一ランスロットに当たってしまったら元も子もない。
悩んでいる間にもランスロットは剣を振るい続け、一瞬体勢を崩したセオドアが自身の木剣を取り落としてしまった。好機、とばかりにランスロットが顔を上げる――。
「っ‼ ランスロット、だめ!」
リタの制止も虚しく、ランスロットはそのまま両腕を大きくふりかぶった。
その瞬間、目にも止まらぬ速さでリーディアの氷の矢が飛来する。リタによる土の防御壁がせり上がるのと、ランスロットが気づいて体を反らしたのがほぼ同時。矢は土壁に激突し、青い宝石は守られたかに見えた――が。
「失礼」
「……っ‼」
セオドアが右手を突き出し、ランスロットの胸元にあった青い宝石を摑む。バリンという音とともに粉々になり、それを見た騎士科担任が「終了!」と手を上げた。
「勝者、セオドア、リーディア!」
見ていた生徒たちから驚きと困惑の混じった声が上がり、中庭は一時騒然となる。騎士科二位のセオドアに魔女科一位のリーディアという優等生ペアだが、ランスロットがそれを上回って勝利すると予想されていたからだろう。
ざわめきの中、リーディアが「ふふん」と得意げに髪を掻き上げた。
「セオドア、よくやりましたわ」
「リーディア様の援護あってのことでございます」
胸に手を当て、セオドアがリーディアに恭しくお辞儀する。一方、敗者となったランスロットは愕然とした表情で立ち尽くしており、リタは慌てて彼のもとに駆け寄った。
「ラ、ランスロット……」
「……っ!」
しかしリタの姿を目にした途端、ランスロットはいきなり明後日の方向に向かって逃げ出した。予期せぬ行動の連続にリタはいよいよあっけにとられ、同時に怒りが湧いてくる。
(だから、どーして逃げるのよ⁉)
苛立ちがピークに達し、リタは走り去ったランスロットをすぐに追いかけた。観戦中の生徒たちをかき分け、中庭から回廊を抜けて校舎の裏庭へ。だがなかなか距離を縮めることが出来ず、リタは仕方なく手にしていた杖の先をびしっとランスロットに向けた。
「草の精霊!」
もはや命令すら省略し、しゅるりと地面から蔦を呼び起こす。
案の定、ランスロットは突然出来た草の罠に足を取られ、その場にずべしゃっと顔から倒れ込んだ。今までのクールでスマートなランスロットからはとても想像出来ない。軍神エルディスも化身のこんな姿を見たら泣いてしまうのではないか。
「ご、ごめん……。でもどうしても話がしたくて……」
さすがに申し訳なさが勝り、リタはもじもじと彼のもとへ歩み寄る。しかし怒られる――と覚悟したリタの予想とは裏腹に、ランスロットはすばやく立ち上がると、そのままリタに向かって深く頭を下げた。
「申し訳ございません、その、リタ様っ……!」
「リタ様⁉」
「今後あのような無様な姿はお見せしないと約束します! ですのでどうかご慈悲を――」
「ちょ、ちょっと、ランスロット?」
いったい何が起きているのだ。そんなに顔が怖かっただろうか。
だがここでからかってはいけない気がして、リタはこくりと息を吞む。うつむき続けるランスロットの頬に手を伸ばすと、そうっと彼の顔を上げさせた。
「ランスロット、私、別に怒ってないよ」
「で、ですが……」
「ここまで追いかけたのは、ああいう戦いの場では集中していないと危ないよってことを言いたかっただけ。木剣とはいえ、当たり所が悪いと大怪我することもあるし」
「は、はい……。申し訳ございません……」
「…………」
ランスロットは殊勝にリタの話を聞いている。だがその視線は完全にふよふよと泳いでおり、リタは彼の両頬を手で挟んだまま、じーっと半眼で睨みつけた。
「……どうしてずっと他人行儀なの?」
「えっ?」
「この前の式典ではすぐいなくなるし、帰りは無視するし、今日だってずっと敬語じゃない。おまけに『リタ様』だなんて」
「それは……その……」
ランスロットの青い瞳を覗き込んでいると、だんだん彼の顔が赤くなってきた。首も、耳も、リタが手を当てている両頬も熱くなってきて今にも湯気が立ち上りそうだ。
「私たち、パートナーじゃないの? 私……前みたいに普通に接してほしいんだけど」
「そ、それは……」
「……お願い」





