第六章 4
(どうして……)
ヴィクトリアとしてのプライドに傷がついたのか。
いや、ランスロットが好きなのはあくまでも『伝説の魔女』としての自分であり、彼が抱いているのは憧憬や尊敬なのだろうと思っていた。だからこそ、恋愛的な意味で彼の思いを受け止めることはない――と考えていたのに。
するとリタの脳裏に、かつてセオドアから言われた言葉が甦る。
――『自分はリーディア様のことをお慕いしていて、だからこそあの方の最善を守りたい、望みをかなえたいと考えました。だからてっきり、リタ様も似たようなお気持ちでそうされたのかと思っただけです』
あの時も最初、言われた意味が分からなかった。だがこのモヤモヤを自覚した今、リタはようやく自分の気持ちを理解する。
(私……ランスロットのことが、好きなの?)
そう考えるとすべての合点がいく。
今までは彼の過剰なヴィクトリア愛を知っていたから、無意識に安堵していたのだろう。しかし彼に他に好きな人ができた。しかもそれはヴィクトリアではない相手――。
さあああっと血の気が引き、リタは動揺を隠すかのように手にしていたグラスを一気に空にする。その瞬間、目の前の世界がぐらぁと歪んだ。
「……リタ⁉ おい、リタ‼」
(どうしよう……)
必死な表情の彼に抱き止められながら、嬉しさと悲しさを一度に味わう。もう二度と、恋なんてするはずがないと思っていたのに。
(おまけに私……失恋した……?)
ン百年ぶりに自覚した二回目の恋は、またも片思いになってしまったのだった。
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深夜。学生寮にあるリタの部屋。
扉を開けて中に入ると、ランスロットは横抱きにしていたリタをどさっとベッドに置いた。
「まったく……吞みすぎだろ」
思えば初めからお酒を吞むペースが速かった。何か考え事をしていたらしく、度数もさほど高くないのであまり気にしていなかったが――まさか意識を失うまで泥酔するとは。
「酒に弱いなら先に言っとけ。まったく……」
うーんうーんと苦しそうなリタを見て、ランスロットは彼女の胸元を締め付けている紐をほどこうとする。だが白くて細い首を目にした途端、真っ赤になって顔をそらした。
(くっ……無理だっ……!)
ドレスを緩めるのは諦め、近くにあった毛布をリタの体に掛ける。しばらくするとすうすうという穏やかな寝息が聞こえてきて、ランスロットはほっとした様子でベッド脇にあった椅子に腰かけた。
その横顔を眺めながら、ランスロットはひとり先ほどのやりとりを思い出す。
(良かった……。バレてなくて……)
黒い植物によって大ホールが襲撃されたあと、ランスロットは突如姿を消したリタを探して、館内中を走り回った。その結果、地下室にいる彼女を発見し、崩落の衝撃から庇うことができた。
そこまでは良かったのだが――。
(これで終わりかと思うと、どうしても伝えたくなってしまって……)
いっこうに救援が来ず、いよいよ生存を諦めたかけた時――ランスロットはリタに向かって告白めいたことを言ってしまった。普段あれだけ『ヴィクトリア様』『ヴィクトリア様』と熱く語っていたのにもかかわらず、だ。
(まだヴィクトリア様への気持ちに整理がついていないというのに……。いや、だがここまできてしまったら、自分の気持ちに嘘はつけん……)
エドワードからは牽制され、アレクシスからは挑発され――ランスロット自身、いったい誰のことが好きなのか分からなくなっていた。だからこそパーティーを口実にヴィクトリアに会い、そこできちんと本心を確かめようと思っていたのに。
あの事件が起き、話すこともままならなかった。そのうえ、リタに危険が迫っているかもしれないと思った瞬間、勝手に体が動いていた。
そこでようやく『リタのことが好きなのだ』と思い知らされたのだ。
「これからいったいどうしたらいいんだ……くそっ」
物心ついた時からヴィクトリアのことしか眼中になかったから、こんなに年の近い、普通の女性相手にどうやって好意を伝えればいいのか分からない。
(まずはデートか? いや、それより先にまずはヴィクトリア様に正式に謝罪を――だがこちらから一方的に好きだと言っておいて、突然違う人を好きになりましたなんて報告されても、俺でもどうすればいいか分からんぞ? それに……情けないが、俺の中にはまだ、ヴィクトリア様をお慕いしている気持ちも――)
脳内妄想エドワードとアレクシスが「二股?」「最低だね」と睥睨してくるのを、必死になって振り払う。いったん冷静になろうとリタの方を見ると、彼女は相変わらず気持ちよさそうに眠っていた。その顔を見ているだけで胸の奥が甘く痛む。
「リタ――」
手を伸ばし、そっと彼女の頬に触れる。
きめ細かい真珠のような肌。
そのままそうっと顔を近づけたところで――ランスロットは勢いよく後ろに身を引いた。
(……っ、やめろ! 何をしているんだ俺は‼)
このままここにいてはいけない、とランスロットはすぐさま立ち上がろうとする。だが脇にあった戸棚に腰をぶつけてしまい、はずみでぱさっと何かが床に落ちた。拾いあげたランスロットはその場でしばし押し黙る。
「……?」
それはかつてリタに託した、ヴィクトリア宛てのパーティーへの招待状だった。封蝋は割られており、中には自分が書いたカードが残されている。
(どうしてこれがここに? 渡したんじゃなかったのか……)
ランスロットは疑問符を浮かべつつも、元あった戸棚の上へそれを戻す。するとその引き出しから、またも見覚えのあるものがはみ出していた。
(これは……俺が以前、ヴィクトリア様にお渡しした花束の……)
それはシルクでできた青いリボン。両端には公爵家の紋章がしっかりと縫い取られており、見間違いようがない。
(あの時ヴィクトリア様に……。いや待て、もしかしたらどこかに落ちていたのをリタが拾っただけという可能性も――)
必死に理由を考えるが、名状しがたい確信の方が強くなってくる。さらにランスロットは、以前リタが言っていた言葉を思い出した。
あれはたしか、アレクシスとのことで喧嘩になりかけた時――。
――『ランスロットだって、ヴィクトリア様に出会ってすぐプロポーズしたくせに!』
(どうしてそれを……知っているんだ?)
ランスロットがヴィクトリアと出会ったのは、リタとはじめて王都に行った日のこと。あの時は『冥獣』から逃れさせるため、現場から離れた場所に避難するよう指示していた。実際ランスロットが迎えに行った時、リタはそれなりに離れた位置にいたはずだ。
つまりプロポーズを耳にしているはずはないのだが――。
(いや、あるな……。絶対に、聞けるところが……)
「……っ!」
思いついたまさかの可能性。
それに気づくや否や、ランスロットは一気に顔を赤くした。ふらつく足取りで戸棚や机にどかんばこんとぶつかりながら、なんとかリタの部屋をあとにする。静かに扉を閉めて二、三歩歩いたところで、がつん、と何もない床につまずいた。
すがるように壁に片手をつくと、床を見つめたまま呆然とつぶやく。
「まさか……そんな、はず……」
ヴィクトリアが好きだとはじめて打ち明けた日のことや、デートの相談をああだこうだと話し合ったときのことが次々と思い出される。
そして何より、公爵家の庭園でリタについて聞かれて、それで――。
「うわあああっ……‼」
ランスロットは廊下にしゃがみ込むと、両手で必死に頭を押さえた。顔が熱くて、頭がぐるぐるして、心音が異常に早くて、全身から湯気が立ち上っているかのようだ。
(もしかして……ヴィクトリア様、なのか……⁉)
おそるおそる、閉めた扉の方を振り返る。
部屋の主であるリタは、そんなこととは露知らず――ただ静かに眠り続けるのだった。





