第六章 2
「手紙には以前と同じ筆跡で、『この植物を改良すれば、より多くの人々を助けられる薬になる』と書かれていました。改良に必要な手順や資材、地下の研究室も用意されていましたが、なんだか嫌な予感がして手を付けなかったんです……」
すると間を置かずして、二通目の手紙がシャーロットのもとに届いた。
「研究を始めないのであれば、今までわたしがしてきたことをすべてばらす。そのうえで――この『治癒の力』を返してもらう、と記されていました……」
すでに多くの患者を抱えていたシャーロットは焦り、不安を抱えながらも研究を始めた。そのうち植物から、なにやら『黒い靄』が発生するようになったという。
「するとある日突然、改良した植物の一部が研究室からなくなっていたんです。それからしばらく経って、謎の怪物が現れたという知らせを耳にして……。その生き物が『黒い靄』を生み出していると聞き、あの植物がそれに関連しているのではと怖くなって……」
事態の発覚と拡大を恐れたシャーロットは、すぐさまあの地下研究室を封印した。だが『冥獣』の出没は収まらず――ついに先般の事件が起きてしまった。
「あれは紛れもなく、わたしが改良した植物でした。ただ、どうしてあんな大きさにまで成長したのか、人に対して攻撃するようになったかまでは分からなくて……」
「ではあの襲撃は、シャーロットお姉様が企てたものではないと?」
「……ええ。信じてもらえないかもしれないけど……。封印を解いて地下室に行くと、ガラスケースの中の植物が一つなくなっていました。そこにお母様が来て、直後に地震が……」
「…………」
そこまで聞いたところで、ミリアが「はあ」とため息をついた。
「……どうしてもっと早く相談してくれなかったんです? どう考えても怪しいでしょう」
「そうですよ。言ってくだされば対策もとれたのに――」
エヴァンシーも複雑な表情を浮かべており、シャーロットはすぐにうつむく。
「ご、ごめんなさい……。でも、この話をすることであなたたちにも害が及ぶかもしれない、と思うと、怖くて……。それにあなたたちはちょうど、騎士団長と宰相になるために大切な時期だったから……」
「それは……」
シャーロットの告白を聞き、三人はしばし押し黙っていた。
見かねたミリアが静かに口火を切る。
「とりあえず、その真偽はこれからの調査で明らかになるでしょう。まあ、地下室が壊滅状態なので、どこまで調べられるかは分かりませんが……」
「そう……よね……」
それを聞き、シャーロットはぽろぽろと涙を零し始めた。
「本当に、謝っても許されることじゃないとは分かっています……」
「シャーロット……」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
「…………」
するとリタが立ち上がり、そっと彼女の頭を胸元に抱き寄せる。
「……つらい思いをしたのね、シャーロット。あなたは三人の中でもいちばん、人を助けることに心を砕いている魔女だったものね……」
小さい頃から精霊と会話できる、類まれなる才能を持った子ども。
自分の力で誰かを救いたい、喜んでほしい。その崇高な精神性で水の精霊と――非常に希少とされる光の精霊との契約を果たした。
「それに……お姉さんだったわ。あなたは誰より先に私のもとを離れて、魔女として立派に働いていた。あなたがそうやって頑張ってくれたからこそ、エヴァンシーとミリアがこうして今の地位に就けたのだと思うし……」
怪しい声に耳を傾けてしまったことは、決して許されることではない。だが人を救いたいという強い信念と、自分を追いかけてくる妹たちのために居場所を守らなければという思いだけは、きっと紛れもない本心だったのだろう。
「ごめんなさいね。……私がもっと早く、目覚めていればよかったのに……」
「お母様……違うんです、わたしが……弱かっただけで――」
そのあとはもう、言葉にならなかった。
幼い子どものように泣きじゃくるシャーロットを抱きしめ、リタは彼女の柔らかい髪を何度も撫でてやるのだった。
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再び学園、大ホールの入り口付近。
リタが回想にふけっていると、遠くで「キャーっ!」という黄色い歓声が響いた。はっと意識を取り戻してそちらを見る。すると女性陣たちの誘いを鮮やかに断りながら、エドワードが歩いてくるではないか。
「ごめんね、ちょっと遅くなってしまって」
「い、いえ。それより大丈夫なんですか? 参加して……」
「最後の記念にとお願いしたら、なんとか許可が出たよ。ただ、ご覧の有様だけどね」
エドワードが指さす先にはかつてない数の護衛騎士が控えており、いっせいにこちらを睨みつけた。その迫力に尻込みしつつ、リタはあらためてエドワードに話しかける。
「本当に辞めちゃうんですね……」
「元々、結構無理を言って入学させてもらったからね。あんな事件が起きたあとじゃ、父上や周りの人間が口うるさくなるのも仕方ないよ。警備も大変だろうしね」
「…………」
普段と変わらない様子のエドワードを前に、リタは静かに唇を噛みしめる。実は先日の襲撃事件をきっかけに、エドワードの休学が決定していた。正確には休みではなく、通学自体を断念したという形のようだ。
「短い間だったけど楽しかったよ。リタと二人で旅行もできたし」
「ただの実務研修ですけどね……」
「あーあ、でも残念だな。せっかくリタとパートナーになれたのに、すぐ解消させられてしまうなんて」
するとエドワードはリタの手を取り、口づけするかのように持ち上げる。即座に緊張するリタに対し、そのままにこっと『勇者の笑み』を披露した。
「仕方ないから、今度はリタの方から王宮に来てもらおうかな」
「へっ⁉」
「卒業したら王宮に勤めてもらって。その頃にはわたしも兄上の補佐役として、それなりの地位にいるだろうから一緒に仕事をして、最終的には結婚を前提と――」
すると繋いでいた二人の手を断ち切るように、すぱんっと誰かが手刀を落とし込んだ。驚いたリタが顔を上げると、そこには礼装姿のランスロット――その後ろに、同じく礼装を着たアレクシスが立っている。
「勝手に人のパートナーの進路を決めないでください」
「おやランスロット、遅刻とは余裕だね」
「こいつが『衣装がない』とモタモタしていたから貸していたんです」
こいつ、と親指でアレクシスを指し示したあと、ランスロットはさりげなくリタを自身の背後に庇った。それを見てエドワードが「ふーん」と半眼になる。
「元鞘に戻ったからってずいぶん強気だね。でもいいのかい? 君には――」
「……覚悟は、しました」
(……?)
一瞬、なにかピリッと火花が起きた気がして、リタは思わず二人の顔を見比べる。険しい顔つきのランスロットに対し、エドワードはいつも通りの柔和な笑みで口を開いた。
「ふうん、そうか。……じゃあ君とは正式なライバルだな」
「…………」
エドワードはそのままリタに向かって微笑んだ。
「それじゃあリタ、またあとでね。王宮勤めの話、わたしはいつでも歓迎だから」
ひらひらと優雅に手を振り、エドワードが会場へと入っていく。それを見ていたリーディアがリタたちに話しかけた。
「わたくしたちもそろそろ行きますわ」
「あ、リーディア!」
セオドアと連れ立って歩き始めたリーディアを、リタが慌てて呼び止める。
「何ですの?」
「ええと……指輪、とっても似合ってる!」
「!」
リタが自身の手を指差す形で指摘すると、リーディアは分かりやすく赤面した。その薬指にはシンプルな銀の指輪が輝いている。背後ではセオドアが珍しく微笑んでおり、それを見たローラがひそひそとささやいた。
「やっぱりあの指輪、セオドアさんがあげたんですかね⁉ 素敵です~!」
「きっとね。パートナーにも戻れたみたいだし」
「なんでも、セオドアさんの方から申し込んだらしいですよ! 控えめな方に見えたけど、意外と情熱的だったんですねえ~」
あの事件が終わってしばらくした頃、リーディアが前のパートナーとペアを組みなおしたという話が広まった。当時はランスロットが入院中で、試験に備えての一時的なものではないかと噂されていたが、ランスロットが復帰したあともしっかり継続している。
リーディアの取り巻きたちは「せっかくランスロット様のパートナーになれましたのに~!」と残念がっていたそうだが、リタだけは心の中でガッツポーズを取っていた。
(ちょっと出過ぎた真似かと思ったけど……。でも二人とも、幸せそうだし)
嬉しそうに入場するリーディアたちの背中を見送り、リタはうんうんと満足げに頷く。すると目の前にすっとランスロットの手が差し出された。
「ほら、俺たちも行くぞ」
「う、うん!」
ちょっとだけ緊張しながら彼の手を取る。
そうして二人もまた今日の会場に向かって、ゆっくりと歩いて行くのだった。
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学園長の挨拶が終わり、パーティーは厳かに始まった。
だが静かだったのは最初だけで、肉料理が運ばれてくるたびに男子生徒がテーブルに殺到し、可愛らしいケーキの皿が登場すれば女子生徒が我先にと駆けつける。
おまけに全学年合同ということもあり、普段交流できない上級生や下級生たちと話ができると、あちこちに人だかりができていた。
リタは適当に取り分けた食事を口に運びながら、ランスロットの方を見上げる。
「ランスロット、行かなくて良かったの? なんかいっぱい誘われてたけど……」
「別に。だいだい、パートナーを放置していく方がおかしいだろ」
「うっ、ソ、ソウデスネ……」
かつて二回ほどエドワードを置き去りにした覚えのあるリタは、こっそりと目をそらす。それを横目に見ていたランスロットが、突然「こほん」と咳払いした。
「お前の方こそ、良かったのか?」
「何が?」
「その……また俺が、パートナーになって」
「!」





