第五章 6
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いっさいの光が差し込まない、真っ暗な暖炉の奥。ズキズキと痛む肩を押さえながら、リーディアはずるりと壁にもたれかかった。
(いったい、何が起きているのです……)
せっかく勇気を出してセオドアに代役を頼んだのに、彼はリーディアが他の男性に囲まれても不満一つ言わず、ただ遠くで眺めているだけ。
腹が立ったリーディアはわざと彼から身を隠し、会場を離れてひとり大ホール奥の廊下を移動していた。そうしたらいきなり――。
(黒い何かが、襲ってきて……)
肩を負傷したリーディアは急いで逃げ出し、近くにあった控室へと駆け込んだ。とっさに暖炉の中に逃げ込んだものの、扉の向こうからは恐ろしいほどの悲鳴や破砕音が聞こえてきて――と思い出しているうちに、なぜかどんどん息が苦しくなってきた。
(毒でも撒かれた? いえ、そんな様子どこにも――)
すぐに助けは来るだろうが、果たしていつここを発見してもらえるか。最悪、建物が崩壊すればそのまま瓦礫の下敷きになる可能性だってある。
(誰か――)
前期の終わり、『冥獣』が学園を襲った時の恐怖が甦った。あの時はリタとローラに運よく助けてもらったが、今回はさすがに厳しいだろう。あとは――。
(……セオ、ドア……)
こんなことなら、もっと素直になれば良かった。
リーディアは薄れゆく意識のなか、彼と出会った日のことを思い出していた。
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セオドアは、とても素敵な男の子だった。
「はじめまして、リーディア様。セオドアと申します」
「……ふうん」
お砂糖をいっぱい溶かした、甘いミルクティーのような髪と目。同年代の男子の中でもとびきり落ち着いていて、いろんな女の子たちが噂しているのは知っていた。
「リーディア、仲良くするんだよ」
「べつに、いいけど」
お互いの父親がいなくなったところで、リーディアはセオドアに向かって「ふんっ」と両腕を組んだ。
「あなた、強いの?」
「はい?」
「わたくしはねえ、魔女になるすばらしいそしつがあるのよ」
「はい。そのようにお聞きしております」
「知ってる? 魔女は騎士をたすけ、騎士は魔女をまもるものなの。あなた、わたくしのそばにいるつもりなら、せいぜいりっぱな騎士になってくださらないと」
「……承知しました」
彼はリーディアの命令ならなんでも聞いた。
追いかけっこでもかくれんぼでも嫌な顔ひとつせず付き合ってくれたし、どんな無理難題を言っても必死に叶えてくれようとした。
でも、彼から何かを求められたことは一度もなくて――。
「聞いてセオドア、今日ランスロット様にお会いしたの。本っ当に格好良かったわ!」
「それはようございました」
「早くオルドリッジに入学して、ランスロット様のパートナーになりたいわ。お父様、いつになったら許してくださるのかしら」
自分でも、相当ひねくれているのは分かっていた。
ただ彼のムッとした顔が見たくて、不機嫌になってほしくて、たびたび彼を挑発するような振る舞いをした。でも彼は一度としてリーディアに怒ることはなかった。
(それなのに、指輪は嫌がるなんて……)
書庫にあった本の中に、王子様がお姫様に指輪を贈ってプロポーズした、という物語があった。真似してみたいと思ったリーディアは、母親に頼んで銀の指輪を一つ譲ってもらい、それをセオドアに渡して「つけなさい」と命じたのだ。
しかし普段どんなわがままでも断らない彼が、はじめて「受け取れません」と拒絶した。引っ込みがつかなくなったリーディアは、なかば無理やりに彼に押しつけたものの――結局、彼の指に指輪がはめられていたことは、ただの一度もなかった。
(きっともう、捨ててしまったのでしょうね……)
やがて二人は成長し、リーディアはオルドリッジへの入学を許可された。
その際、セオドアも騎士科を受験すると聞かされたリーディアは、優秀な彼であればきっと入試の成績も一位だろうと必死になって勉強した。学内のパートナーは成績上位者同士で組む、という噂を耳にしていたからだ。
その結果、無事一位を勝ち取ったのだが――騎士科の一位はセオドアではなかった。
(パートナーになれた時も、本当は、嬉しかったのに……)
絶望的な気持ちになったリーディアだったが、なんの因果か騎士科一位のランスロットはリーディアを選ばなかった。おかげで奇跡的にセオドアとパートナーになれたのだ。
だがせっかくペアを組めたというのに、彼の態度は変わらなかった。
(やっぱりセオドアにとってわたくしは、ただの幼なじみに過ぎないのかしら……)
じれったくなったリーディアはなんとか彼を嫉妬させようと、ランスロットへの好意をいっそうあからさまに演じた。
そのせいで周囲が誤解し、彼がいないところでまでやれ「ランスロット様を独占するなんて許せませんわよね!」とリタを攻撃するように仕向けられたのは大きな誤算だったが――そこまでしても彼はリーディアのよき従者であり続けた。
そして『再選考』――パートナー解消、である。
(あなたがあの時、嫌だと言って下さったら、わたくしは――)
げほっ、と強く咳き込む。
先ほどから肺が変な音を立てており、いよいよ意識を保つのが難しくなってきた。どこかからザワザワと嫌な気配もし、リーディアは静かにうなだれる。
(なんて……。すべて、わたくしが悪いだけなのに――)
バタン、とどこかで冥府の扉が開いた音がして、リーディアはそっと目を閉じる。だが次の瞬間――がくん、と強い力で揺さぶり起こされた。
「リーディア様‼」
「……セオ、ドア……?」
そこに現れたのは、間違いなくセオドアだった。
彼はリーディアを暖炉から引っ張り出すと、抱きかかえて近くのソファへと移動させる。テーブルに置かれていた水差しを持つと、「すみません」と謝罪しながらリーディアの口に水を注ぎこんだ。
「――っ、かはっ、なっ、何をするのです!」
「し、失礼しました! ですが自分もこれで回復したので……」
普段、無表情の彼がこのうえなくうろたえた様子で謝罪してきたのが珍しく、リーディアは体を起こしてぱちぱちと瞬く。荒療治だったがたしかに呼吸は楽になっており、リーディアはおずおずと口を開いた。
「あ、ありがとうございます……。ですがどうしてここが?」
「リーディア様が敵から隠れるとすれば、半地下の倉庫か暖炉の隅が定石でしたので」
「そ、それはいつの話ですか⁉」
まさかそんな昔の頃を覚えていたなんて、とリーディアは赤面する。セオドアはそれを見て、心から安堵したように微笑んだ。
「ご無事で、本当に良かったです」
「セオドア……」
「もう二度と、あなたと会えなくなるのかと……」
セオドアがリーディアの手をぎゅっと包み込む。その手がかすかに震えていることが分かり、リーディアもまた彼の手を強く握り返そうとした――ところで、聞き覚えのある声が響き渡る。
「セオドア――って、リーディア! 無事だったのね!」
「リタさん……それにランスロット様まで」
そこでリーディアは「はっ」と目を見開き、慌ててセオドアの手を振り払った。すぐにいつもの調子を取り戻すと、リタに向かって偉そうに口を開く。
「あなた、ランスロット様に何をさせていますの⁉」
「へっ? あっ、いや、これはその、やむにやまれぬと言いますか、ええと」
見ればリタはランスロットにお姫様抱っこされており、リーディアの指摘を受けてバタバタと足を動かす。一方、まったく下ろす素振りを見せないランスロットを前に、リーディアは呆れたような顔で笑ったのだった。
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リーディアとセオドアに瘴気よけの魔法を施し、リタは「ふう」と額を拭った。
「とりあえずこれで大丈夫。でも二人とも怪我をしているから、早めにちゃんとした治療を受けた方がいいと思うわ」
「しかしこの状況でどうやって脱出しましょうか」
「これだけの騒ぎだし、もう王立騎士団が動いているとは思うけど――」
すると大ホールの方でけたまましい音がし、部屋を出た四人は警戒しながら様子を窺う。先ほどと反対側の壁はまだ形を成しており、半壊状態の扉の向こうに槍――杖を構えたエヴァンシー、そしてミリアとシャーロットの姿があった。
「皆さま、ご無事だったのですね!」
気づいたエヴァンシーが杖を下ろし、すぐさま四人のもとに駆け寄る。大ホールの中はあちこち破壊され凄惨たる状態だったが、参加者はみな意識がある状態だった。どうやら『三賢人』の働きにより、早急に対処されたようだ。
「良かった。姿が見えないので捜していたのです」
「ありがとうございます。それより、今の状況を教えていただけますか?」
ランスロットの質問に、奥にいたミリアが口を開いた。
「まだ正確なことは言えませんが、おそらく『冥獣』の襲撃かと」
「冥獣? しかしあの形は――」
「はい。植物に間違いないでしょう。ですのでこれまでとは違う、新しい性質の『冥獣』ではないかと見ています」
ミリアの説明によると、突然大ホールの照明が消え、あの黒い植物らしきものが天井から壁まで一気に這い降りてきた。逃げようとした参加者の攻撃に反応し、瘴気を噴出。とっさに防御したものの行き届かず、その場にいたほとんどが昏倒したという。
「すぐにエヴァンシーとシャーロットを救出し、攻撃と回復、瘴気からの防毒を分担して行いました。軽症の方には自力で外に出ていただき、内部の安全が確認でき次第、重・中傷者を騎士団の助けを借りて運び出す予定です」
「ジョシュア王太子殿下とエドワード殿下は?」
「すでに王宮に移動させております。治癒魔法を専門とする魔女と医官による治療を受け、お二人とも命に別状はないそうです」
「そうか、良かった……」
ランスロットがほっと胸を撫でおろしたところで、エヴァンシーが杖を肩に担いだ。





