第五章 4
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パーティーが始まってしばらく経った頃。
他の参加者のジロジロとした視線に耐えかね、ランスロットはひとり中庭に移動していた。月明りもない暗闇の中、光を求める虫のように唯一の灯りがある噴水へと歩み寄る。
(やっぱり、無理だよな……)
前回はちゃんとヴィクトリア本人に伝えることができたので、どれだけ嘲笑されても待つことができた。だが今回はそもそも用件が伝わっていないのだ。
(だいたい、お誘いしたところで来ていただけたかどうか……)
エドワードから「あの時の彼女を連れて来なよ」と先手を打たれ、悩みに悩んで手紙を書いた。その後も休みのたびに王都に出てはヴィクトリアの姿を探したが見つからず、藁にも縋る思いでリタに手紙を託したのだ。
結果は聞けていなかったが――そもそも人前に出るのを厭っていたヴィクトリアが、わざわざこんな衆人環視の前に出てきてくれるとは思えない。
(リタは……殿下と一緒だったな)
はじめて目にした若草色のドレスも可愛らしかったが、今日のドレスもよく彼女に似合っていた。目立つことが苦手な彼女にしては珍しい派手さだったので、エドワードが自分の好みを指定したのかもしれない。
そう気づいた途端、胸の奥に不可解なモヤモヤが湧きおこった。
(赤……まあ大人びていて悪くない色だが、リタにはもっと淡い色合いの方が似合うと思うんだよな……黄色とか、水色とか……。くそっ、事前に俺が見立てていればもっと――)
わなわなと拳を握りしめ、ぎりっと奥歯を噛みしめる。だがそこでふと、手を繋いでいた二人の姿を思い出してしまった。
(……違う。俺は、何を考えて――)
握りしめていた手を開き、ぼんやりとその手のひらを眺める。するとその瞬間、初夏の強い風がざあっと近くの花垣を揺らした。ランスロットはわずかに目を眇め、その場でゆっくりと顔を上げる。
その直後、目の前に信じられない光景が広がっていた。
「ヴィクトリア……様……?」
そこに立っていたのは伝説の魔女・ヴィクトリアだった。
星空を溶かし込んだような艶やかな黒髪に、噴水のかすかな灯りを受けて輝く青色の瞳。夜会にふさわしい漆黒のドレスは体のラインに添った優美なデザインで、妖艶な彼女の美しさを際限なく引き立てている。
彼女はランスロットを見ると、伏し目がちに口を開いた。
「ごめんなさい、あの、遅くなって……」
「い、いえ‼ とんでもありません‼ というより、その、どうしてここに……」
「え、ええと、リタから手紙を受け取って、それで」
何ということだろう。まさか本当に渡してくれていたなんて。
いきなりの登場に動揺し、ランスロットはしばし言葉を失う。だがすぐに姿勢を正すと、顔を真っ赤にしたまま口を開いた。
「来てくださり、本当にありがとうございます。実は、その――」
だがそんなランスロットのもとに、タイミング悪く見知った顔が現れる。
「ランスロット、こんなところにいたのか」
「エ、エドワード殿下……」
「おや、これはこれは。以前もお会いしましたね」
ヴィクトリアの前に立ち、エドワードが恭しく頭を下げる。そんな悪友の姿に、ランスロットは焦燥のまま眉根を寄せた。
「いったい何しに来られたんです⁉」
「いや、リタがこっちに来ていないかと思ってね」
「……? 一緒ではないのですか?」
「少し目を離した隙にはぐれてしまって、ずっと探しているんだけど……。このまま見つからないようなら、護衛騎士たちにも捜索してもらわないといけないな」
邪魔をして悪かったねと言い残し、エドワードはあっさりと立ち去った。ランスロットはなおも警戒するようにその背中を目で追っていたが、すぐに視線をヴィクトリアに戻す。
「すみません、失礼いたしました。それで――ええと、ヴィクトリア様?」
「…………」
見れば心なしか、ヴィクトリアの顔色が悪い気がする。やがて彼女は怯えた様子で、おずおずと片手を上げた。
「あ、あの、ちょっと用事を思い出してしまって……」
「ヴィクトリア様?」
「す、すぐに戻るので、ちょっとだけ待っていてもらえますか!」
そう言うとヴィクトリアは一瞬でランスロットの前から姿を消した。仕組みは分からないが、おそらく魔法によるものなのだろう。
「ヴィクトリア様……。まさか本当に来てくださるなんて……」
自分でもびっくりするほど、心臓がせわしなく動いている。ランスロットは知らず震えていた手のひらを、ぎゅっと固く握りしめた。
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その数分後、大ホールの廊下。
たくさんの護衛騎士を招集しているエドワードを発見し、リタは大急ぎで駆け寄った。
「エ、エドワード殿下! ここにいらしたんですね!」
「リタ! ずっと探していたんだよ。どこに行っていたんだい?」
「ちょ、ちょっと会場の熱気にのぼせてしまったので、外で涼んでました……」
ぎこちなく笑うリタを見て、エドワードはほっと安堵の表情を浮かべた。
「良かった。てっきり君が変な男にさらわれたんじゃないかと心配で」
「え、えへへ……」
もういいよと解散させられる護衛騎士を確認し、リタは密かに胸を撫で下ろす。するとエドワードが嬉しそうに微笑んだ。
「そういえば中庭に、ランスロットとパートナーの方がいたよ」
「へ、へえー」
「年上で黒髪の――あれ、そういえばリタ、髪はどうしたんだい?」
「えっ?」
「さっきまできちんと結い上げていたと思ったんだけど……」
(ま、まずい……)
さっき変身した時に緩んでしまい、仕方なく全部ほどいてしまった。どう言い訳しようと思案していると、エドワードがリタの髪を一房手に取る。
「ふふ、下ろしていても可愛いね」
「!」
ゆっくりと持ち上げられ、そのまま優しく髪に口づけられる。まるでディミトリからそうされているかのようで、リタは一気に赤面してしまった。
(だ、だから、エドワードはディミトリじゃ――)
するとエドワードはそのまま、リタとの距離をぐいっと詰めてきた。あれだけいた護衛騎士は気づけばひとりもいなくなっており、他の参加者の姿もない。
「え、あの……」
窓際に追い詰められる体勢になったところで、エドワードが甘く囁いた。
「ねえリタ、まだ気持ちは変わらない?」
「で、殿下……?」
「わたしは絶対に君を傷つけないと誓う。だから――」
「……っ!」
ディミトリに瓜二つの美貌が迫ってきて、リタはたまらず顔をそらす。するとその窓越しに、中庭で寂しそうにヴィクトリアを待つランスロットの姿を目撃してしまった。リタはとっさに両手を伸ばし、エドワードの口をむぐっと塞ぐ。
「す、すみません! 私……」
「……リファ?」
「ちょ、ちょっとお腹が痛いので、失礼します!」
ぐいっと彼の顔を押し返し、慌ただしくその場から逃げ出す。幸いエドワードは追いかけて来ず、リタは半泣きになりながら杖を取り出した。
(どうしてこんな……ややこしいことにっ……!)
自業自得――という言葉がちらっと頭をよぎる。詠唱とともに茶色の髪が黒く染まり、赤いドレスは漆黒の装いに変化する。
リタは息を切らしながら、中庭目指してひた走るのだった。
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再び現れたヴィクトリアを前に、ランスロットはやや困惑していた。
「ヴィクトリア様、その……大丈夫ですか?」
「へ……平気よ……」
よほど慌てていたのか髪は乱れ、頬は紅潮して赤くなっている。伝説の魔女の意外な姿に、ランスロットはドキドキしながら手を伸ばした。
「失礼、御髪が――」
だがヴィクトリアの髪に触れる直前、なぜかリタのことを思い出した。癖の強い茶色の髪。でも触れるととても柔らかくて――。
「……ランスロット?」
「いっ、いえっ! なんでもありませんっ‼」
いつの間にか止まっていた手を急いで引っ込める。不思議そうに見つめてくるヴィクトリアの視線を避けるように、ランスロットはぎこちなく顔をそむけた。
(どうして俺は、こんな時にまであいつのことを……!)





