第五章 2
「? 自分と同じではないのですか」
「同じ……?」
「相手のことを思って、パートナーから退いた……。リタ様は、ランスロット様のためを思ってペアを解消されたのですよね?」
「それはそうですけど……」
「自分はリーディア様のことをお慕いしていて、だからこそあの方の願いをかなえたい、負担になりたくないと考えました。だからてっきりリタ様も、似たようなお気持ちでそうされたのかと思っただけです」
失礼いたしました、と頭を下げ、セオドアはその場からいなくなった。ひとり回廊に取り残されたリタは、先ほどの言葉の意味を脳内で何度も反芻する。
(私が、ランスロットのことを好きだから、パートナーを解消した……?)
たしかに彼のためを思って、他の相手と組んでほしいと申し出た。そう言われてみればセオドアとリーディアの状況と近いといえなくもない。
(いやいやいや! でもあれは好きとか嫌いとかじゃなくて、次期公爵としての彼の立場を守りたかっただけというか! ……あれ、でもたしかそのせいでランスロットは、私から嫌われたんだと思ったと言っていたような……)
「……? ……⁇」
頭の中がごちゃごちゃして、心臓の音がうるさくて、リタは思わず自身の胸元を摑む。とりあえず今は絶対ランスロットに会いたくない――と思った。
・
・
・
翌日。リタは中庭のベンチにぐったりと座り込んでいた。
「うう……疲れた……」
あれからずっとセオドアの言葉が頭から離れず、結局レポートを徹夜で仕上げるはめになってしまった。両手で顔を覆い、頭を後ろにやるようにして背もたれにもたれかかる。
(いい加減、『冥王教』の調査を始めないといけないのに……)
だがここ最近、放課後や休み時間はエドワードかランスロットかアレクシスの誰かが常に傍にいる、という状態が続いていた。要はひとりで動ける時間がほとんどないのだ。
(どうにかして王宮に入りたいけど……)
するとそんなリタの鼻先にふわんと甘い匂いが漂ってきた。顔に置いていた両手をずらすと、籐のバスケットを手にしたエドワードが真上からリタをのぞき込んでいる。
「でっ、殿下⁉」
「やあリタ。今日は随分お疲れだね」
慌てて片方のひじ掛け側に身を寄せると、エドワードが空いたスペースに腰かけた。
「約束通り、今日はお菓子を持ってきたよ。はい」
「あ、ありがとうございます……」
受け取るとわずかな熱が籠越しに感じられる。どうやら焼き上がったばかりらしい。あとでローラとリーディアを誘って食べよう――と考えたところで、リタははたと妙案を思いついた。
「殿下、王宮で働き手を募集しているところはありませんか?」
「働き手?」
「はい。厨房でも小間使いでもいいんですけど」
下働きとして潜入すれば、『冥王教』に繋がる人物を探し出せるかもしれない。わくわくと目を輝かせるリタをよそに、エドワードは珍しく難色を示した。
「王宮に入るには伯爵位以上からの推薦が必要で、まあそれはわたしが言えばどうとでもなるからいいんだけど……」
「では……!」
「でもやっぱり無理かな。ここの学生って働いちゃいけない決まりになっているし」
「え?」
きょとんとするリタをよそに、エドワードは遠くにある校舎をひょいと指差した。
「ほら、ここの学費ってすべて国が出しているだろう? 国家に有益な才能の育成を目的とするとかで」
「そういえば……」
「だから在籍中は勉学に集中するため、極力他のことはしてはならないって決められているんだ。もちろん、わたしやランスロットのように家の都合は仕方ないけどね」
言われてみれば、この学園に連れて来られてからお金を払った記憶がない。制服や杖などはそれぞれでという形のようだが、基本的には授業の費用から寮費、食費まで全部国が負担しているのだろう。
「それとも特別に、わたしの付き人に任命しようか? それなら多分、学園も文句言わないと思うけど」
「エ、エンリョシテオキマス……」
「なんだ、残念。もしかして王宮に興味があるのかな?」
ふふっと無邪気に笑ったあと、エドワードは一通の手紙を取り出した。
「それじゃあ、これはどうだろう」
「これは?」
「来週末、ジョシュア兄上の誕生日なんだ。年代が近い友人たちを招いて、夜にパーティーをするんだけど……兄上がリタをパートナーとして連れてきたらどうかって」
一角獣の紋章が刻まれた封蝋を見つめ、リタはこくりと息を吞んだ。
(たしかにこれなら、疑われずに王宮に入れる……)
リタはすぐさま顔を上げると、エドワードに向かって勢いよくうなずいた。
「行きます!」
「ああ良かった。断られたらどうしようかと思ったよ」
そう言うとエドワードは安堵の笑みを浮かべ――そのままリタの片手を取ると、その甲にチュッと口づけた。あまりに手慣れた動きだったため、リタは終わってからようやく気づく。
「……⁉」
「兄上が『まるで妹ができたみたいだ』と喜んでいてね。この分だと次は、リタのご家族に挨拶に行かないとかな」
「あ、挨拶……」
「当日の夕方、寮まで迎えに行くよ。それじゃあ」
颯爽と立ち去るエドワードの背中を見送ったあと、リタは口づけされた手の甲をさすりながら、急に不安になり始めた。
(誕生日って言ってたけど……もしかしてすごく重要な会だったりする……?)
ランスロットの顔がふわわんと浮かんできて、リタはひとりぶんぶんと首を振った。
(で、でもこれは『冥王教』を調べるという目的のためで……。そもそもパーティーに招待されたからといって絶対に恋人とか婚約者になるわけじゃ――)
「――リタ?」
「うわぁ⁉」
背後からいきなり声をかけられ、リタは大慌てで振り返る。そこには想像ではない本物のランスロットが立っており、今は大きく目を見開いていた。
「ど、どうしたの、いきなり⁉」
「いきなりって……お前がぼーっとして気づかなかっただけだろ」
やれやれと呆れた表情を浮かべたランスロットだったが、リタの手中にあった手紙にふと視線を落とした。
「……それ、殿下から貰ったのか?」
「う、うん。今度のパーティーに来ないかって」
「……行くのか?」
ためらいがちにうなずいたリタを見て、ランスロットはわずかに視線をそらした。だがすぐに短く息を吐き出すと、どこか緊張した様子で口を開く。
「ちょっと、お前に確認したいことがあるんだが」
「う、うん」
「前期の終わり――ヴィクトリア様からの伝言を言いに来てくれたことがあると思うんだが……あの伝言、どうやった受け取ったんだ?」
(うっ!)
今さらの追及を受け、リタは背中に一筋の汗を流す。
あの時はランスロットの気持ちを踏みにじってしまったと、とっさに自分の思いを伝えに行ってしまったが――よく考えてみれば、ヴィクトリアとなんらかの繋がりがあるのではと邪推されても仕方がない。
「あれは、その……たまたま、お会いすることがあって……」
「それはどこでの話だ? お前がここや寮から出ることはほとんどないと思うが、ひょっとして定期的にこの学園を訪れておられるのか?」
「そ、それは……」
今にも摑みかかってきそうなランスロットを前に、リタは必死に言い訳を考える。しかしランスロットはそれ以上問い詰めることなく、やがてぐっと唇を噛みしめた。
「っ、わ、悪い……。そんなの聞かれても困るよな」
「い、いや、いいけど……。でもどうしたの、突然……」
「…………」
長い沈黙のあと、ランスロットはおずおずと一通の手紙を差し出した。封蝋には公爵家の紋章がくっきりと刻まれており、リタはためらいがちにそれを受け取る。
「もし……もしもまた、偶然ヴィクトリア様にお会いすることがあったら……これを渡してもらえないか?」
「これって……」
「――っ、な、中は見るな! 無理はしなくていい。ただ俺よりもお前の方が、ヴィクトリア様と会える可能性は高いのかと思って……」
そう言うとランスロットはふいっと顔を背け、足早にその場からいなくなった。あまりの勢いに呆然としていたリタだったが、あらためてランスロットからの手紙を見つめる。
(見るなって言われたけど……ヴィクトリア宛てなら私が見ていい、わよね?)
若干不安になりながら、リタはそろそろと封蝋を割る。中から現れたカードにはランスロットの綺麗な筆致で『ヴィクトリア様』と始まっていた。
『ヴィクトリア様 突然このようなお手紙を差し上げることをお許しください』
『願わくは 今度のパーティーにパートナーとして同行していただけないでしょうか』
(今度のパーティー……?)
なんだか嫌な予感がしつつも、そのまま続きを読み進める。そこには来週末の日付と王宮のことが書かれており――リタはじわじわと青ざめた。
(もしかして……エドワード殿下に誘われたのと同じパーティー……⁉)
なにか見落としがあるのではと、何度も何度も読み返す。しかしどれほど見直したところで、書かれている情報は変わらなかった。
「ど、どうしよう……!」
まさかのダブルブッキング。しかも別人としてのご招待。すっかり冷めた焼き菓子入りバスケットと二通の手紙を抱えながら、リタの頭の中は真っ白になるのだった。





