第五章 自覚、無自覚、恋は盲目
実務研修を終え、学園に帰ってから数日が経過した。放課後、中庭を歩いていたリタは「ほう」とため息をつく。
(ようやく日常が……って思いたいけど、問題はこれからなのよね)
空間の精霊から教えてもらった『王族の紋章をつけた者』。『冥王教』に繋がる重大な情報なのだが――いかんせん特定する方法が思いつかない。
(ミリアたちに頼んで調べてもらう? ただ――)
少しだけ引っかかっていることがあり、リタはうむむと眉根を寄せる。すると目の前に突然、黄色の花を集めた巨大な花束がばさっと差し出された。驚いて顔を上げると、満面の笑みを浮かべたエドワードが立っている。
「はい、リタ。今日のプレゼントだよ」
「あ、ありがとうございます……。でもあの、こんなに毎日いただいても、正直もう部屋に飾る場所がないと言いますか……」
「これは失礼。じゃあ明日はお菓子にしよう」
(そういうことじゃないんだけど……)
この学園に編入してきた頃から積極的なエドワードだったが、実務研修以降、さらにアプローチが激しくなっている気がする。
「殿下、あの、何度も言いますが、こうしたお気遣いは本当に不要ですので」
「遠慮しなくていいよ。わたしがしたくてしているだけなんだから」
「ですが……」
「言っただろう? わたしは君のことを、もっとよく知りたいと」
ディミトリに瓜二つの顔がリタを見つめる。
それだけで胸の奥が痛み――同時にリタは大きな罪悪感に襲われた。
(こんなに思ってくれているのに、私は……)
エドワードを前にすると、どうしてもディミトリのことを思い出してしまう。その面影を重ねてしまい、まるで彼から愛を囁かれているかのように錯覚しそうになるのだ。
それだけで、ほんの少しだけ心が動きそうになる時もある。でも――。
(殿下はディミトリじゃない。血が繋がっていても、顔が同じでも……。エドワードとディミトリは違う人なのよ……)
もしこれで彼の好意を受け入れてしまったら、それが本当にエドワードに対するものなのか――ディミトリに選ばれなかった雪辱を、子孫である彼で果たそうとしているだけなのか、分からなくなりそうで。
「ですから殿下、私は――」
するとリタの発言に重なるようにして、背後からとげとげしい声が飛んできた。
「殿下。いったい何をなさっているんです」
「ランスロットか。何って、わたしの大切なパートナーに贈り物をしているだけだけど?」
「どこからどう見ても迷惑そうにしてるじゃないですか。リタ、お前も嫌なことは嫌だとちゃんと言え」
「……っ!」
先ほどまでエドワードに抱いていた複雑な気持ちから一転、ランスロットの姿を見た途端、リタは自分の心臓が大きく跳ねたのが分かった。綺麗な顔立ちはもう充分見慣れているはずなのに、ここ最近妙に眩しく見える。
(ど、どうして……)
どんどん顔が熱くなってきて、リタはさりげなく明後日の方を向いた。
「おい、リタ。聞いているのか」
「き、聞いてますけど……」
(ど、どうしてこんなにドキドキするの……?)
いますぐここから逃げ出したい――という願いもむなしく、今度はローラの「リター!」という元気な声が聞こえてくる。
「ここにいたんですね! この前の実務研修のレポート、期限が明日までだってイザベラ先生が言ってましたよ」
「あっ、いけない! 早くまとめないと」
これ幸いとばかりにリタはこの場を立ち去ろうとする。しかしそれを実行する前に、ローラについて来ていたアレクシスがひょいと顔をのぞかせた。
「良かったら手伝おうか?」
「ア、アレクシス……」
「僕も自分のレポート仕上げたいと思ってたからさ。これから一緒に図書館で――」
しかしアレクシスが言い終えるよりも早く、ランスロットが彼の肩をがしっと摑んだ。
「そういうことなら、俺が手伝ってやろう」
「え? いいよ、自分で出来るし」
「遠慮するな。ほら、殿下もまだ提出してなかったでしょう。行きますよ」
「ええー」
唇を尖らせるエドワードの後ろ襟に手を伸ばし、ランスロットは二人をずるずると引っ張っていく。それを見たローラがほんわかした様子で目を細めた。
「あの三人、研修のあとからすごく仲良くなった気がしますね!」
「そ、そうかしら……」
いまいち不安を残しつつも、リタはほっと胸を撫で下ろす。そこでふと、外の回廊を歩いているセオドアの姿を発見した。ローラに一言断りを入れ、ひとり彼のもとに駆け寄る。
「あの、セオドアさん」
「これはリタ様、お久しぶりです」
「あの、リーディアのことなんですけど……」
「そういえば、ご一緒の研修先でしたね」
大浴場で話したことを思い出しながら、リタは慎重に口を開いた。
「念のため確認したいんですけど……もしかしてパートナーのこと、『解消したくなければこのままでもいい』ってリーディアから言われませんでしたか?」
「言われました。ですから自分は『リーディア様が望むのであれば、喜んでパートナーを解消いたします』とお伝えしました」
(ああー……)
引っ込みがつかなくなったリーディアの姿が目に浮かぶ。リタは言葉を選びつつ、なおもセオドアに語りかけた。
「えーっと、すごく難しいと思うんですけど、多分その時リーディアは『パートナーを解消したくない』って言ってほしかったと思うんです」
「なぜです?」
「ほら、自分のことを大切に思うなら、他の男と組めとか言ってほしくないというか……」
「ですがリタ様もランスロット様に『パートナーを解消した方がいいと思う』と言っておられましたよね」
「うっ、それはその……」
なぜか反撃をくらってしまい、リタは言葉に詰まる。だがここで言い負けてはならないと、必死になって思いを口にした。
「と、とにかくもう一度だけ、リーディアとちゃんと話をしてもらえませんか? 多分二人はお互いに誤解しているだけだと思うんです」
「…………」
リタの懸命な口ぶりに、セオドアはひとり思案していた。やがて、あまり変わらない表情のまま不思議そうに首をかしげる。
「……どうして、そこまで気にされるのです」
「え?」
「仮に我々がすれ違っていたとしても、リタ様には何の関係もないことです。それなのにどうしてそこまでおっしゃられるのかと」
「それは――」
その瞬間、勇者ディミトリの笑顔が脳裏に浮かんだ。
同時に、それが自分ではない――王妃様に向けられていた場面が甦る。
「……後悔、したからです」
「後悔?」
「私は……好きな人に思いを伝えられずに、ずっと後悔してきました。だからセオドアさんとリーディアにはそうなってほしくないんです」
「…………」
「言えなくなってからじゃ遅いから。どうか……お願いします」
これ以上の説得が思い浮かばず、リタはただ黙って頭を下げる。セオドアはすぐに「顔を上げてください」と言い、その場で静かにうつむいた。
「分かり……ました。善処してみます」
「ありがとうございます……!」
それを聞いたリタはほっと胸を撫で下ろす。
するとそれを見たセオドアが、いつになく深刻な表情でリタに謝罪した。
「それにしても……すみませんでした。大変不躾なことを聞いてしまい……」
「えっ?」
「リタ様がそのように思いを秘しておられたというのに、自分はそんなことにも気づかずランスロット様と恋仲かなどと踏み込んだ話を」
「ちょっ、ちょっと待ってください⁉ 誰が何を秘してるって⁉」
いきなり情報が錯綜し、リタは頭上に大量の疑問符を浮かべる。一方セオドアは、どこかきょとんとした顔つきのまま淡々と続けた。





