第四章 9
「それなりに名も知られてきたかと思っていたけど、わたしもまだまだね」
「し、失礼いたしました! ほら、リタさんも!」
「す、すみません……」
「ふふ、いいのよ。わたしも久しぶりに忌憚なき魔法談義ができて楽しかったわ」
上品な笑みを浮かべるクラリッサを前に、リタは「なるほど」とひとり納得する。
(ブリジットがひいひいおばあ様と言っていたからぴんと来なかったけど……。よく考えてみればシャーロットたちと同世代だものね)
多くの魔力を持つ魔女は不老長命である――自分自身もそうであったはずなのに、すっかり失念してしまっていた。やがてクラリッサがパン、と軽く手を叩く。
「それでは課題を始めましょう。ブリジット、あなたは分かっているわね?」
「は、はぁい……」
「よろしい」
そう言うとクラリッサはべそべそと泣いているブリジットを玄関に残し、リタたち三人を連れて中庭へ出て行ったのであった。
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こうして怒涛の二週間が経過し、実務研修の最終日を迎えた。
晴れ渡った青空の下、クラリッサが満足げに微笑む。
「これで課題はすべて終了です。皆さん、よく頑張ったわね」
「こちらこそ、貴重なご指導ありがとうございました!」
「リーディア、あなたの魔法センスには目を見張るものがあります。これからも慢心することなく、地道な努力と研鑽を続けていきなさい」
「は、はい!」
「ローラは色々な魔法を習得するより、火の魔法に特化した方がいいかもしれないわ。運が良ければ火の精霊と契約できる可能性もあるわね。なによりその強靭な体は、他の魔女にはない素晴らしい宝物よ。鍛えてくださったご家族に感謝なさい」
「あ……ありがとうございますっ!」
「そして――リタ」
「!」
ばちっと目が合い、クラリッサが困ったように眉尻を下げた。
「正直なところ、あなたには特にアドバイスがないのよね。目立った得意不得意もないし、あえて言うなら治癒系魔法が苦手そうなのと、魔力の出力を無理やり抑えている? と感じたことくらいで……」
(うーん鋭い……)
「あなたと話していると昔を――ヴィクトリア様のことを思い出すわ。素晴らしい魔女なのに本当に謙虚で、聡明で……。出来ることなら、お元気なうちにもう一度だけお会いしたかったのだけれど……」
「ソ、ソウデスネ……」
もしどこかでヴィクトリアとして再会することがあれば、その時はちゃんと名前を覚えておこう――と強く誓ったリタであった。
そしてその日の午後。
帰りの荷物をまとめたリタは、二週間過ごした部屋をあらためて見回した。
(一時はどうなることかと思っていたけど……すごく良い研修だったわ)
クラリッサからの魔法講義はもちろん、リーディアやローラとも楽しい時間を過ごすことができた。特にリーディアは、以前のような強い物言いがぐっと減ったような気がする。
そして何より、冥王教に繋がる重要なヒントを得られた。
(王族の紋章……いったい誰が……)
最後の戸締りをし、玄関ホールに続く階段を下りていく。すると下にいたアレクシスから声をかけられた。
「リタ、久しぶり」
「アレクシス……」
階段の途中で思わず足を止める。
温室での一件以降、こうして面と向かって話すのは初めてだ。
どうしよう、とリタが口を閉ざしていると、アレクシスは敵意がないことを示すように自身の両手のひらを上げて見せた。
「そんなに怯えなくても大丈夫。何もしないよ。ランスロットからも怒られたしね」
「…………」
「ただ謝りたかったんだ。急にあんなことを言って、ごめん」
「……?」
まだ少し不安そうなリタを見上げながら、アレクシスが口を開く。
「ちょっと焦っちゃったんだ。僕はまだ君の正式なパートナーになれたことがないし、ランスロットやエドワード殿下のように優秀なわけでもないから」
「そ、そんなこと」
「いいんだ。分かってる。でも――あの時伝えたことは、本気だから」
眼鏡の奥の黒い瞳が、まっすぐにリタを見つめた。
「この学園を卒業したら――いや、君が許してくれるならいつでも、僕は君と生涯をともにしたいと考えている。それにふさわしい男になる自信も、選ばれる自信も、ある」
「アレクシス……?」
「覚えておいてリタ。君が本気で望むなら、僕は僕が持つ、すべての力を君に貸してあげる。だから――」
しかしアレクシスが言い終えるより先に、立派な旅行鞄がドン、とリタの前に置かれた。慌てて横を向くと、不機嫌を露わにしたランスロットが立っている。
「アレクシス、俺の忠告を忘れたのか」
「少し話をしていただけだよ。手は出してない」
「口も出すな。ったく……」
やれやれと頭を掻きながら、ランスロットがリタに尋ねた。
「リタ、本当に何もされてないな?」
「う、うん」
「…………」
(……?)
じいっと見つめられたまま不自然な沈黙が流れ、リタは思わず目をしばたたかせる。するとその直後、二人の間ににょきっと手のひらが差し込まれた。
「ランスロット、それ以上見つめちゃダメだよ」
「エ、エドワード殿下……」
「やあリタ。研修中、あんまり会えなくて寂しかったな」
そう言うとエドワードはすっとリタの手を取り、階下まで優雅にエスコートする。ようやく玄関ホールについたところで、階段の途中に立ち尽くしたままのランスロットをエドワードが余裕の笑みで見上げた。
「悪いね。でもリタのパートナーはわたしだからさ」
「…………」
「君が不誠実な男でないことを、心の底から願っているよ」
(な、なんだか不穏な空気が……)
ランスロットにエドワード、そしてアレクシス。
三人の男たちがリタを取り囲んで、無言で互いを睨み合っている。
その光景にたまらない息苦しさを覚えたリタは、「ローラとリーディア、早く来て……」と必死になって祈りを捧げていた。
こうして二週間の実務研修は、先輩からの有意義な教えとともに――男性陣の心に小さな軋轢を生み出したのだった。





