第四章 2
「きいーっ! なんなんですのあなた‼」
「わたくしは事実を申し上げたまでですわ。まだ何かあるのでしたら――」
「リ、リーディア! そのへんで……」
次々と交わされる挑発的なやりとりに、リタはたまらず待ったをかける。だが怒りが頂点に達したのか、ブリジットは悔しそうに黒貂のローブの胸元を握りしめた。
「あ、あたくしの高祖母――ひいひいおばあ様は『冬の魔女』クラリッサ・エリンコットよ!」
「なっ……⁉」
「若い頃、あの伝説の魔女・ヴィクトリア様にお会いしたこともある、北の大地を守り続けてきた氷結魔法の天才……。あなたにそんな高名な身内がおられるのかしらぁ⁉」
「くっ……それは……」
歯噛みするリーディアの一方、突然引き合いに出されたリタは「えっ」と目を見開いた。
(『冬の魔女』クラリッサ……。……って誰?)
あのリーディアが驚愕している以上、おそらく名の知れた魔女なのだろうが――。
王宮を出て森に隠居してからは、とにかく色々な魔女がヴィクトリアのもとを訪れてきたので、正直名前くらいでは思い出せそうにない。
(クラリッサ、クラリッサ……えーと……)
リタがひそかに記憶を手繰っている間に、二人の言い争いが再開される。
「ずるいですわよ! あなたの功績ではないじゃありませんの!」
「あーら魔女は血統が重要なのをご存じないのかしらぁ? ま、たまたま魔力をたくさん持って生まれただけの一代魔女には関係ない話かもしれませんけどぉ?」
「き、きいーっ‼」
今度はリーディアが金切り声をあげ、ブリジットがようやく勝ち誇ったように片笑んだ。
「それじゃ、それぞれに課題を与えるわ。まずはあなた」
「あ、あたしですか?」
いきなり指差され、ローラがびくっと飛び上がる。
「あなたは厩舎に行って馬の世話をしてちょうだい。体が大きいからちょうどいいでしょ」
「えっ……」
ぽかんとするローラを無視し、今度はリーディアの方を振り返った。
「あなたは畑仕事。今ちょうど収穫シーズンで人手がほしいのよね。雑草も多いし」
「畑仕事ですって……?」
「文句があるなら拒否してもいいわよ? ただオルドリッジには、それに見合った評価をお伝えしないといけないけどね」
ふふんと意地悪く笑みながら、ブリジットは最後にリタの方を向く。
「そしてあなたは――城中のトイレ掃除、すべての客室の清掃、ごみの処理、あと城壁周りの雑草むしりをお願いしようかしら」
「……っ!」
ローラとリーディアの二人が弾かれるようにリタの方を見た。自分たちに出された課題もおよそ『魔女』の仕事とは思えないものだったが――リタに与えられたそれはどう考えてもメイドの、しかも過酷な雑用ばかりだ。
「あ、あの、リタだけひどくありませんか⁉」
「そうですわ。わたくしたちは『魔女』としてここに学びに来ているのです。こんな非合理な命令、聞く必要――」
すると反論する二人を前に、ブリジットが冷たく言い捨てた。
「だぁかぁら、嫌だったら帰っていいのよ? ま、今期の成績は期待できないでしょうけど」
「……最っ低」
リーディアが静かに怒りを漏らす。ブリジットはそれを見て満足そうに微笑んだ。
「なんとでも言いなさい。それであなた、やるの? やらないの? まさか、エドワード殿下のパートナーのくせに『できない』だなんて言わないわよねえ?」
(あー……なるほどね)
複雑な表情の二人をよそに、リタはあっけらかんと軽く応じた。
「分かりました。やらせていただきます」
「リタ⁉」
「リタさん、こんな方の言うこと、真に受ける必要はありませんわ。こんなの――」
「大丈夫よ。頑張れば今日中には終わるでしょ」
のんきなリタの返答にローラとリーディアは不安げに口を閉じる。ブリジットもまたそれを耳にしていたが、すぐに「ふんっ」と三人に背を向けた。
「それじゃ、さっさと始めてちょうだい。終わったらあたくしの部屋まで報告に来ること。ちゃんとできていなかったら、容赦なくやり直させるからね」
やがてブリジットがいなくなり、リーディアが再度リタに進言する。
「リタさん、本当にいいんですの? あんなひどい命令、エドワード殿下に告げ口すればすぐにでも止めさせられますわよ」
「まあでも、騎士科の男性陣も忙しいだろうし……。それよりリーディア、私の代わりに怒ってくれてありがとね」
「そ、それは……。あ、あの女に腹が立っただけですわ!」
赤面するリーディアを見て、リタは嬉しそうに破顔する。
「それじゃ、早いとこ始めましょうか!」
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十数分後。二人と別れたリタは、ひとり玄関ホールに立っていた。
周囲に誰もいないことを確認し、そっと杖を取り出す。
「えーっと、まずはトイレと部屋の掃除ね」
コンコンと杖の先で床を叩くと、魔力を最小限に絞って詠唱する。
「水の精霊よ、この地に溜まる悪しきものを洗い流せ」
「風の精霊よ、小さき体ですみずみまで走り回りなさい」
ぴちゃん、ふわっ、とそれぞれの合図を確認し、リタは「ふう」と小さく微笑む。普通の魔女であれば何部屋あるのか、どの程度の力がいるのかなど細かく指示しなければならない難しい魔法なのだが、精霊と契約しているリタであればこのくらい造作もない。
「次はごみの処理っと」
出入りの商人が使う商用門に移動すると、城内のごみをまとめている一角があった。足が折れた椅子や割れた花瓶のガラス片など、普通に処理していたら一週間はかかりそうな量である。
(まだ使えそうなものもあるわね……。それなら――)
いくつかの精霊に依頼し、修繕できそうなものは修繕を、それ以外のものは高温の炎で焼却する。山と化していたごみがあっという間に片付き、リタはやれやれと肩を叩いた。
「直した家具はあとで城に戻すとして……最後は雑草ね」
とことこと門の外に出る。城壁と地面の境に青々とした雑草が生い茂っており、リタはトン、と杖の先を地面に叩きつけると、そのまま歌うように詠じた。
「草の精霊よ、あなたの眷属を暮らしやすい場所に移動させなさい。ここじゃ、すぐに引っこ抜かれちゃうわよ」
その瞬間、雑草が生えていた地面がぼこぼこと小さく隆起し始めた。かと思えばまるで生きているかのように一帯がごそごそと動いていく。掘り起こされて柔らかくなった土を魔法で押し固めたのち、リタはまた先ほどのごみ捨て場に戻ってきた。
新品同様になった椅子と花瓶を「よいしょ」と抱えて城内へ入っていく。
(えーっと……どこに置いたらいいかしら?)
メイドを探すが、タイミングが悪いのかいっこうに見つからない。すると廊下の向こうから、一人の女性が分厚い本を読みながらすたすたと歩いてくるではないか。
「あの、すみません」
「? なにかしら」
歳は三十代くらいだろうか。青みがかった銀髪を後ろで綺麗に編み込んでおり、その瞳は薄氷にも似たアイスブルー。足首まである暖かそうなブラウンのワンピースを身にまとい、肩には白い毛皮でできた薄手のボレロを羽織っていた。
「これ、修理したものなんですが……どこに置いたらいいでしょうか?」
「修理? もしかしてあなたが?」
「あ、はい」
すると女性はわずかに目を見開き、読んでいた本をすぐに閉じた。そのままリタが持ってきた椅子と花瓶を手に取ると、しげしげとその細部を確認する。
「全然継ぎ目が分からないわ。どうやったのかしら」
「簡単ですよ。素材にもよりますけど、くっつけたい面同士に魔法をかけて――」
リタがすらすらと説明するのを、女性はぽかんとした顔つきで聞いていた。それを見たリタはようやく「あっ」と口をつぐむ。
(うっかり語っちゃった……魔女じゃないと意味分からないわよね)
えへへとごまかし、運び込む先を尋ねる。女性に教えられた部屋にそれぞれ置いたところで、リタは窓の外を眺めた。
「よし、ほとんど時間も経ってないわね。これなら――」
人気のない部屋へと移動し、そうっと窓を開け放つ。
「土と水の精霊よ――」
ぽん、ぽんと自身の髪や体に両手を押し当てる。髪の色、目の色、顔の造りや体格を男の子のように作り替えて変装したところで、リタはひょいと杖に腰かけた。
(ちょっと街に下りて、調査してみよう)
そのままふわりと浮かび上がると、リタは城下町へ飛んでいったのだった。





