第三章 7
外の回廊を渡った先にある、別棟の大浴場。
扉を開けたリタとローラは「ほわあああ」と揃って感嘆を漏らした。
「す、すごい……まるで王宮みたいですっ……!」
「これは確かに豪華ね……」
ピカピカに磨き上げられた白い大理石に毛足の長い純白の絨毯。すうと息を吸い込むと、かすかな湯気の湿り気と甘い香料が鼻をくすぐる。おまけに出入り口付近には、揃いの制服を着た女性使用人たちがずらりと並んでいた。
緊張で立ち尽くす二人の前に、いちばん手前にいた女性が歩み出る。
「ようこそいらっしゃいました。リタ・カルヴァン様、ローラ・エマシー様ですね」
「は、はい」
「入浴のお手伝いをさせていただきます。どうぞこちらへ」
ローラと別れて連れてこられた先は、小さな照明が置かれた個室だった。一人用――といってもそれなりの大きさがあるバスタブに休憩用の木製椅子。近くのテーブルには氷の入った水差しにフルーツの盛り合わせ。戸棚には湯上りに肌につける薔薇水の瓶が十数種類並んでおり、まるでお姫様のような待遇だ。
「まずはこちらで御髪とお体を清めさせていただきます。ご希望の香りはございますか?」
「あ、いえ、特には……」
「かしこまりました。必要なものがございましたら、なんなりとお申しつけくださいませ」
そう言うと三人の女性がリタの周りにかしづき、慣れた手つきで服を脱がし始めた。久しぶりの手伝いにやや身構えながらも、リタはぼんやりと昔を思い出す。
(王宮にいた時、こんな感じだったなあ……)
あっという間に裸にさせられ、たっぷりのお湯が張られた浴槽へ足を入れる。ほどよい暖かさがじんわりと全身に広がり、リタは「ううーっ」と思わず目を瞑った。
(生き返るぅ……)
髪や肌を洗ってもらったあと、リタは幸せそうな笑みを浮かべて浴槽のへりにもたれかかる。一日中馬車に乗っていた疲れがお湯の中に溶けていくかのようだ。
「しあわせ……」
浴槽から出てまどろんでいるうちに全身をタオルで優しく拭かれ、薔薇水を含んだコットンが肌に押し当てられる。どこに行っても人がいる王宮暮らしは少々苦手だったが、この時間だけは大好きだったことをリタはあらためて思い出した。
こうして艶々に仕上げてもらったところで、体を隠すための大きなタオルを渡される。
「それでは大浴場にご案内いたします。ただその……」
「?」
「実はお連れのローラ様が部屋でお休みになられたまま、どうしてもお目覚めにならないらしくて……体調を崩されたなどではないようですが」
「きっと気持ちよくて寝ちゃったのね。いいわ。少しゆっくりさせてあげて」
かしこまりましたと頭を下げる女性にローラを頼み、リタは建物の奥にある大浴場へと向かった。白い大理石でできた見上げるようなアーチを何個もくぐっていくと、次第に湯気の濃度がもわっと濃くなる。
やがて一度に五十人は入れそうな広大な浴槽が現れた。壁には獅子の頭を模した彫刻があり、その口から大量のお湯が注がれている。
(わーっ! 気持ちよさそー!)
いそいそと浴槽に向かい、肩までちゃぽんとお湯に浸かる。だがほっと一息つく前に、濃い湯気の向こうから聞き覚えのある「あら?」という声が聞こえてきた。
「リタさん。あなたも来たんですの?」
「リ、リーディア……」
そこにいたのは結い上げた髪をタオルで覆ったリーディアで、リタはなんとなく気まずさを覚える。それとなく離れた位置に移動していると、リーディアが「ふふん」と鼻息荒く話しかけてきた。
「そろそろ、新しいパートナーにも慣れてきた頃かしら?」
「はあ、まあ」
「最初のうちは難しいかもしれませんけど、どんな相手とも合わせられるのが優秀な魔女というものですわ。ランスロット様の時と同じやり方ではなくて、その方にあった戦い方をしないと一流とは言えませんわよ」
(あれ? 意外と優しい……)
てっきり、『わたくしはもうとっくにランスロット様との戦い方を体得しましてよ。きっとこれから先もずっと、ランスロット様はわたくしをパートナーに選ばれるでしょうね! おーっほっほっほ!』みたいな高飛車笑いを聞かされると思っていたリタは、ひとりぽかんとする。
そういえば学園にいる間は終始ランスロットにべったりな彼女だが、この移動中はあまり彼と絡んでいない気がした。
(パートナー……ねえ)
そこでリタは彼女の元パートナー――セオドアのことを思い出した。
「リーディア、その……以前のパートナーは大丈夫なのかしら?」
「……どういう意味ですの?」
「セオドアさん、困っているんじゃないかなって」
その名前を聞いた途端、リーディアは「むっ」と眉をひそめた。
「あなたには関係ないことですわ」
「それはそうなんだけど、でもほら、一方的にパートナーを解消されたらびっくりするというか。セオドアさん、リーディアのことすごく大事に思っていたみたいだし……」
いつものリタであれば、ここまで突っ込んだ話をしようとは思わなかっただろう。ただあのパーティーの夜――『リーディア様がそれで幸せになられるのなら、いっこうにかまいません』とつぶやいた彼の横顔が、どうしても忘れられなかった。
(だって、後悔してほしくないし……)
誰よりも傍にいて、誰よりも好きだったのに、最後まで思いを伝えられなかった。そうして結局、相手に好きな人ができて――そんな自分とセオドアの境遇を重ねてしまい、リタの口調につい熱が入る。
「もう一度、二人で話すことはできないかしら。きっとセオドアさんだって――」
「――彼は、わたくしのことなんてどうだっていいのですわ」
「え?」
返ってきたリーディアの言葉に、リタは思わずぱちくりと瞬いた。だが聞き間違いではなかったらしく、リーディアはやや苛立った様子で続ける。
「一方的とおっしゃいますけどね。わたくしはちゃんと『解消したくなければこのままでいてあげてもよい』と申し上げましたわ。それなのにあの男、『リーディア様のお望みのままに』といってあっさり引き下がったのです!」
「それはきっと、リーディアのためを思って」
「わたくしのことを大切に思うのであれば、いきなり他の男と組むと言われてはいそうですかと引き下がる方がおかしいでしょう! だからわたくしは宣言通り、ランスロット様のパートナーに立候補したのです!」
(ええと……これって――)
ぷんすかと頬を膨らませるリーディアを前に、リタはしばし頭の中を整理していた。もしかして、いや違うかも、でもやっぱり――と逡巡したあと、一つの結論にたどり着く。
「リーディア……セオドアさんのことが好きなの?」
「すっ……⁉」
真っ白な湯煙の中、リーディアのすっきょんとうな叫びが浴室内にこだまする。びっくりしたリタがそちらを見ると、彼女の顔は分かりやすく真っ赤になっていた。
「そっ、そんなはずありませんわ! たっ、たかがパートナーでそんな――」
「でも、さっきの言い方だと引き留めて欲しかったのかなと」
「わ、わたくし用事を思い出しましたの。お先に失礼いたしますわ!」
そう言うと、リーディアはバタバタと慌ただしく浴室から出て行ってしまった。ぽつんと取り残されたリタは何度か目をしばたたかせたのち、顎ギリギリまでお湯に浸かる。
(これは……どうしたら……)
セオドアに伝えるべきか。だがあの四角四面な彼があっさり信じるとは思えない。とはいえリーディアにもっと素直になるよう促すのは、それ以上に難しいだろう。
(うーむ、若いっていいわ……)
自身の本来の年齢をあらためて思い出し――リタはしみじみと目を閉じるのだった。
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その後、十分ほどしてローラが大浴場に現れた。
しかしその時にはリタはすっかり温まっており、恐縮する彼女に断りを入れて先に浴室をあとにする。先ほどの個室に戻ると女性たちが待機しており、仕上げのオイルや香水を吹き付けられたのち、真っ白なナイトドレスを着せられた。
女性使用人たちにお礼を言い、リタは外の回廊でひとりローラを待つ。
「ふう……気持ち良かったぁ……」
晩春とはいえ夜風はまだ少し肌寒く、火照った頬を適度に冷やしてくれる。ナイトドレスに使われている絹布も最高級のものらしく、腕や足に触れるひやりとした感触が心地よかった。
やがてどこかから甘い花の香りが漂ってきて、リタは「そういえば」と首を巡らせる。
(中庭、近くでは見てなかったわ。ミリアが設計したと聞いたし、せっかくだから行ってみようかしら?)
回廊を出て、中庭にある植え込みの奥へ。
夕方は赤銅色に輝いていた庭園だったが、今は月光が降り注いでいるせいか青や白といった寒色系の色合いに変化している。花垣に添って歩いて行くと目の前に立派な噴水が現れ、リタは噴き上がる透明な水をうっとりと見上げた。
「綺麗……」
噴水の中央には愛の女神・アロレイアの彫刻が飾られており、月明りに照らされた凛々しくも美しい横顔にリタはしばし見惚れてしまう。
すると背後から「リタ?」と馴染みのある声で呼びかけられた。振り返ると、そこには剣を携えたランスロットが立っている。
「ランスロット、どうしてここに?」
「どうしてって……おまえこそ、こんな時間に何してるんだ」
「何って、お風呂から出たところだけど」
「そ、そうか……」
はてと小首をかしげるリタを前に、ランスロットはなぜかもごもごと言いよどんだ。だがすぐに真面目な表情になると、「こほん」と咳払いする。





