第三章 3
話を終えた四人は学園長室をあとにし、そのまま玄関に向かって歩いていく。その途中シャーロットが「そういえば」とリタに話しかけた。
「お母様、あの方は大丈夫でしたか? バートレット公爵家の……」
「ええ。あなたの処置が正確で助かったわ」
冥獣の襲撃直後、一瞬だけ目覚めたランスロットだったが、その後しばらく立ち上がれない状態が続いた。ミリアによると『冥獣』が発する『瘴気』を近距離で浴びると、意識混濁や気絶といった症状が現れるらしい。
ただし今回は少量だったため、後遺症もなく翌朝には回復することができた。負ったはずの打撲痕も綺麗になくなり、ちょっと驚くほどの回復力だ。
「でも良かったんですか? 本当のこと、秘密にしたままで」
「うっ、それは……」
シャーロットの指摘に、リタはぎくっと顔を強張らせる。治療を終えたランスロットはすぐさま『冥獣はいったい誰が退治したのか』という疑問をリタにぶつけてきた。焦ったリタはそこでとっさに『三賢人が倒してくれた』と嘘をついてしまったのである。
(私がヴィクトリアだと分かったら、また気絶しそうだし……)
ちなみに、はぐれたままになっていたエドワードとも事件後すぐに再会した。最初の襲撃の際に護衛騎士らから無理やり避難させられていたらしく、人ごみの中リタの姿をずっと探し回ってくれたらしい。
すると先頭を歩いていたエヴァンシーが小さく笑った。
「いずれにせよ、お母様があの場にいてくださって助かりました。もし我々だけだった場合、あやうく二カ所から前後挟み撃ちにされるところでしたので」
「それはそうね。私も、あなたたちが無事で良かったわ」
四人で過ごしていた頃をなんとなく思い出しかけたところで、学園の玄関先に到着した。ミリアとシャーロットは待機させていた馬車に乗り込み、それを護衛するかのようにエヴァンシーが別の馬に騎従する。そのままリタに向かって馬上から敬礼した。
「それではお母様、またご報告にあがります」
「ええ。あ、そうそう。私とあなたたちとの関係は王宮には内緒にしておいてね。念のため、私自身の正体も」
「心得ております。伝説の魔女が存命とあれば、妙な画策をする者がいてもおかしくはありませんからね。では」
エヴァンシーは爽やかに微笑むと、鮮やかな手綱さばきで馬車を先導し始めた。さすが、男性陣を差し置いて、王都の女性人気一位を誇る騎士団長様というだけのことはある。
離れていく車輪と蹄の音を聞きながら、リタはようやく「ふう」と一息ついた。
(あの子たちに見つかった時はどうしようかと思ったけれど……。またこうして、ちゃんと話すことができるなんてね)
子どもたちの成長を噛みしめるように、リタはうんうんと深くうなずく。するとその背中に聞き覚えのある声が飛んできた。
「へえ、今のが噂の『三賢人』?」
「ア、アレクシス⁉」
いったいどこから現れたのか。
エントランスの柱にもたれかかるようにして、アレクシスが立っていた。リタがそそくさとその脇を通り抜けると、すぐにとことこと後ろをついてくる。
「すごいね。知り合いなんだ」
「し、知り合いというか、この前のパーティーで助けてもらって、その時の話を聞きたいって訪ねてきただけで、特に何も……」
曖昧に微笑みながらリタは懸命に距離を取る。
だがストライドの違いからか、いっこうにアレクシスを引き離せない。
「パーティー? そんなの参加したんだ」
「エ、エドワード殿下に招待されて……」
「いいなあ。僕もリタのドレス姿見たかったのに」
「こ、今度ある時、お願いしてみるわね!」
なんとか話を切り上げようとするも、アレクシスはなおも追いかけてくる。やがてリタの胸中に一抹の不安が湧きおこった。
(というか、さっきのエヴァンシーとの会話、聞こえてたんじゃ……)
周囲には十分警戒していたはずなのに、なぜか気づくことができなかった。焦りと不安が限界に達したリタはその場でぴたっと立ち止まり、くるっと彼の方を振り返る。こうなれば直接確認するしかない。
「アレクシス、もしかして――話聞いてた?」
「えっ?」
「さっき、玄関にいた時……」
ドキドキしながら返答を待っていると、アレクシスが「うーん?」と首をかしげた。
「ううん。ついさっき来たから、特に何も聞こえてないよ」
「ほ、本当に?」
「うん。……それとも、なにか聞かれちゃいけない秘密の話でもしてたのかな?」
「!」
ぐいっと顔を近づけられ、何かを探り出すように眼鏡の奥から見つめられる。黒曜石のような瞳から段々と目がそらせなくなり――なぜか危機感を覚えたリタはすぐさま目を閉じると、そのまま首をぶんぶんと左右に振った。
「し、してないよ! ただの雑談!」
「ほんとに?」
「わ、私、エドワード殿下と明日の合同授業の約束してるから、もう行くね!」
とっさに嘘をつき、リタはアレクシスと向かい合った状態からじりじりと後退する。そうしてある程度の距離を取ったところで、すばやく踵を返して走り出した。
(見たところ、嘘をついている感じはないけど……)
ちらっと後ろを見るが、アレクシスは先ほどの場所から動いていない。どうやら追いかけてくる気はなさそうだ、とリタはそのまま全速力で逃げ出すのだった。
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リタが見えなくなったあと、アレクシスはかけていた眼鏡をそっと外した。つるの部分を指先でなぞりながら、ぼんやりとこれまでのやりとりを思い出す。
(あれが噂の『三賢人』か……。ヴィクトリアに比肩する実力の持ち主と聞いていたから期待していたけど、全然大したことなさそうだな)
青いのと白いのは問題外。
赤いのはそこそこ戦えそうだが、ヴィクトリアほどの能力は持っていないとみえる。
「というか、聴覚遮断くらいはした方がいいと思うけどね」
『三賢人』がわざわざ訪れる理由なんて、リタ――ヴィクトリア以外にありえない。
案の定、彼女たちは人払いをした学園長室でなにやら話し始め、アレクシスはそれを少し離れたところから盗聴していた。本の内容までは分からなかったが、『瘴気』『冥府』といった会話だけである程度の予測はつく。
(やはり、冥府の者が動いているのは間違いないか……。しかし……『冥王の復活』とはどういう意味だ?)
折りたたんだ眼鏡を手に持ち、トントンと肩のあたりを叩く。だがすぐに身を翻すと、眼鏡をかけながら廊下を歩き出した。
「とりあえず少し、調べてみるか」
誰ともなしにつぶやきながら、先ほどのリタの様子を思い出す。こっそりと魅了の技を使ってみたが、あっさりとブロックされてしまった。やはりなかなかガードが堅いようだ。
「さすがだね――ヴィクトリア」
そう言うとアレクシスは、にやっと口の端を上げるのだった。
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翌日。
合同授業を終え、中庭で騎士科と魔女科の生徒が整列していた。列の後ろの方にいたリタは教師に見つからないよう「ふわぁ」とこっそりあくびをする。
(なんか色々ありすぎて、全然眠れなかった……)
実は昨日アレクシスを振り切ったあと、今度は魔女科のクラスメイトたちに捕まってしまった。どうして『三賢人』に呼び出されたのか、彼女たちとどんな関係なのか、良かったら今度紹介してほしいといった話題を適当にいなし、そのまま図書館に逃げ込む。
しかし安息を得たのもつかの間、その直後エドワードに見つかってしまい、「リタ! 明日に向けて特訓しよう!」と実習棟に連れていかれてしまったのだ。
再度「ほわぁ」とあくびをかみ殺しながら、『三賢人』との会話をあらためて思い出す。
(当然だけど、シメオンの資料以上の情報は図書館にはなかった……。『冥王教』についてはミリアたちの調査待ちね。あと私ができるとしたら――)
かつての戦いの日々を思い出す。襲いかかってくる『冥王』のしもべたち。彼らがまとう黒い靄。惨劇を物語る村々。三人が目指した――。
(『冥王』の、拠点……)
北の城塞都市アルバ・オウガ。
近くの森が『冥府』との接合点となって以降、『冥王』の根城とされた街だ。同時に『冥王』が最期を迎えた因縁の場所でもある。
(あの街なら、なにか『冥府』や『冥王』の痕跡が残っているかもしれない……)
だが王国のもっとも北に位置しているため、ここから馬車で移動するだけで一週間はかかるだろう。魔法で飛んでいけなくもないが、あのあたりは気候が不安定で、春から夏にかけての数カ月以外は常に突風か大雨か吹雪という有様。無事にたどり着ける保証はない。
(うーん、どうやって行こう……)
リタがひとり眉間にしわを寄せていると、列の前方に立っていた騎士科担任が手にした資料を読み上げた。
「それではこれより、実務研修についての説明を行う!」
「……実務研修?」
初めて聞く単語にリタが頭を上げると、後ろにいたローラがこそっと補足してくれる。
「なんでも、魔女や騎士が実際にどんな仕事をしているか、現地に行って勉強するらしいです。ペアごとに何グループかに分かれて、泊りがけで二週間くらいやるみたいで」
「へえ。結構長いのね」
「中には相当厳しい講師役の方もいるらしくて、これで自信を無くす人もたくさんいるそうです。できれば優しい人に当たりたいですよね……」
「ふふ、そうね」
(懐かしいわ。なんだか師弟制度みたい)
かつてのヴィクトリア時代を思い出す。
あの頃も若い魔女は先輩魔女の弟子となり、色々な魔法を習っていたものだ。騎士も未熟なうちは従卒として年嵩の騎士について回ると聞いたことがあるから、先輩魔女たちの働きぶりを見るというのは、それらのやり方を踏襲してのことかもしれない。
(私もそうだったけど、なかなか弟子を取らない気難しい魔女も多くて……。でもまさかこの歳になって、誰かの弟子になる機会があるなんてね)
やがて騎士科担任が、いくつかの棒が入った木筒を頭上に掲げた。
「これから組み分けをする。騎士候補たちは順番にこのくじを引くように。引いたら同じ色の者を探して、パートナーの魔女候補とともに合流しろ」
しばらくすると青色が塗られたくじを手にしたエドワードがリタの元を訪れ、まるでダンスの誘いでもするかのように手を差し出した。





