第二章 6
リタが動揺している間にも『冥獣』は耳をつんざくような奇声を発しながら、天井のシャンデリアをとがった嘴でつつく。壊れたクリスタル・ガラスが大粒の雹のようにバラバラと降り注ぎ、現場は阿鼻叫喚の地獄と化していた。
リタはドレスの下に隠し持っていた杖を取り出すと、ランスロットの方を振り返る。
「ランスロット、みんなを――」
「落ち着いて! 全員、会場奥の控室へすみやかに避難してください!」
リタの言葉を打ち消すようにして、堂々とした女性の声が飛んできた。現れたのは『赤の魔女』を筆頭とした『三賢人』だ。
「今からここの指揮は私が取ります。ミリア!」
「風の精霊リンドビットよ、我らを守るベールを」
『ほいほーい』
眼鏡をした小柄な女性――『青の魔女』が指揮棒ほどの杖を振る。ぶわり、とエントランスホールの大気がうごめき、落下していたクリスタル・ガラスがまるで網に掛けられたかのように中空で停止した。再び『赤の魔女』が振り返って指示する。
「シャーロット」
「はぁーい」
名指しされたたおやかな女性――『白の魔女』は柔らかく微笑むと、手にしていた杖の先をトン、と床についた。そこを基点にして、金色に発光する魔法陣がホール一面に広がる。
「光の精霊アロランシア、傷ついた者たちに癒しと愛を」
ふわっと足元の光が強まり、すぐに収束する。どうやらエントランス内にいた怪我人の傷を一瞬ですべて治してしまったようだ。並の魔女では考えられない能力である。
(すごい……)
リタが感心している間にも『白の魔女』が『赤の魔女』のもとに歩み寄り、杖の頭の部分を彼女の背に押し当てた。
「必要ないかもしれないけど、継続治癒魔法をかけておくわね」
「ああ。ありがとう」
そこに『青の魔女』も近づき、冷静に眼鏡を押し上げる。
「エヴァンシー、以前の報告によると弱点は目らしい」
「了解」
『青の魔女』からの助言にそれだけ答えると、『赤の魔女』は冥獣の方を振り仰いだ。その手には、先端が鋭利に研ぎ澄まされた身の丈ほどもある深紅の杖――もはや槍が握られており、彼女はそれを天井に向かって掲げた。
「炎の精霊アルバンテールよ、我が声を聞き、我が願いに応じよ」
『俺を呼ぶのは久しぶりだな、エヴァンシー。いいぜ!』
詠唱を始めるとともに、槍の矛先からぼわっと紅蓮の炎が立ち上る。『赤の魔女』はなおも精霊に祈りを捧げながら、半身をぐぐっと大きく後ろにひねった。
「真に猛き炎の力、我が手に宿れ――熱熾繚乱っ!」
猛烈な勢いで槍が投擲され、シャンデリアに留まっていた冥獣の目に突き刺さった。
直後、この世のものとは思えないほどの雄叫びがエントランスホールに響き渡り、冥獣は苦しさのあまりさらに暴れ回ろうとする。すると『赤の魔女』が続けて呪文を唱えた。
「雷の精霊よ、鉄槌をくだせ!」
その瞬間、ドバシャン! という派手な落雷音が生じ、シャンデリアにともっていた灯りがいっせいに消えた。真っ暗になったその場所に冥獣の巨体がどしゃっと落ちてきて、足の部分からサラサラと崩れていく。鮮やかな手際だ。
(エヴァンシー……元々攻撃魔法が得意な子ではあったけど、まさかあのサイズの冥獣を一人で倒せるなんて……)
それにミリアの魔法も繊細な大気圧の調整が必要なものだし、シャーロットの治癒魔法にいたってはヴィクトリア時代の自分よりもよほど上を行っている。精霊たちとのコミュニケーションもよく取れているようだ。
愛弟子たちの成長を肌で感じ取り、名状しがたい感慨に包まれていたリタだったが――その背後でまたも叫声が巻き起こった。
「こ、今度は何⁉」
「大ホールの方だ!」
見ればランスロットはすでに走り出しており、リタもまた彼のあとを追う。ようやく大ホールに戻ったものの、先ほどの雷魔法のせいでこちらの照明も全壊しており、フロアを照らすのはわずかな月明りだけとなっていた。
そんななか、先ほど二人がいたテラスとその窓に大量の鳥型冥獣が群がっている。
「な、なんなの、この数!」
「ちっ!」
ランスロットはすぐさま窓を手で押さえつけると、近くにあった長い燭台を摑んだ。そのまま背後にいるリタに向かって叫ぶ。
「リタ! 俺の後ろに壁を! 絶対に室内に入らせるな!」
「――っ!」
ランスロットに指示されたのとほぼ同時に、リタは杖の先で絨毯をトンと叩く。大ホール内の大気の一部がぐぐっと凝縮され、逃げまどう参加客らを守る透明な障壁と化した。ミリアが作り出した魔法の応用編といったところか。
ランスロットはそのまま窓を閉め切り続けたものの、いよいよ限界を迎えたのか、ガラスを破砕して冥獣たちがなだれ込んできた。
「くっ!」
ギャア、ギャアと襲いかかってくる冥獣たちに向かって、ランスロットは手にした燭台を振り回す。一匹、二匹と昏倒させていくがいかんせん数が多く、あっという間に劣勢に持ち込まれた。リタはそれを見てすぐさま杖を構える。
だがその時、遠くからまた別の叫び声が聞こえてきた。
「大変だ! エントランスにまた化物が――」
「――っ⁉」
一匹でも持て余す『冥獣』が、二カ所同時に襲撃している。やがて冥獣の体当たりを受け、ランスロットが会場の壁に叩きつけられた。
「……ぐっ‼」
「ランスロット‼」
真鍮製の燭台がガランと音を立てて床に落ち、彼の体も壁に添ってずるりと滑り落ちる。それを見たリタは即座に詠唱を開始した。
「雷の精霊よ、我が声を聞き、我が願いに応じよ――」
足元に生み出される青色の魔法陣。
リタの周囲にバチッ、バチチッと青白い放電が次々と生じる。
「天翔ける獅子の鉄槌、霹靂、彼の身を撃ち砕け、百雷必中!」
直後、激しいスパークが大ホール中を駆け巡り、冥獣たちを一匹も取りこぼすことなく撃ち落とした。そこら中に黒い砂の山が積み上げられたのを確認すると、リタは急いでランスロットのもとに駆け寄る。
「ランスロット、しっかりして!」
「っ……」
リタが呼びかけるとランスロットはそっと瞼を持ち上げた。だがまだ意識が混濁しているようだ。
「リタ……お前も早く……」
「ランスロット――」
するとその直後、エントランスホールの方から建物全体を震わせる地震のような振動が伝わってきた。しばらくして、バタバタと慌ただしい足音が近づいてくる。
「こちらにも『冥獣』が出たと聞いたが――」
だが駆けつけた『赤の魔女』はその場でぴたりと足を止めた。それに合わせて後ろにいた二人もそれぞれ立ち止まる。
「エヴァンシー、急に止まるな――」
苛立った様子の『青の魔女』がひょいと横に移動する。
当然『白の魔女』も何ごとかと前方を覗き込み――その結果、ランスロットの前でしゃがみ込んでいたリタは全員それぞれと目が合ってしまった。ちなみに他の参加者はとっくに避難を終えており、大ホールにいたのはリタとランスロットの二人だけ。
そこでリタはようやく、自身がとんでもない魔法を繰り出していたことを思い出した。
(この状況は……)
しかし時すでに遅く、『赤の魔女』が信じられないという顔つきで口にした。
「この常人では考えられない雷魔法の威力、攻撃範囲、詠唱処理時間の短さ……」
(……まずい)
「まさか――お母様ですか⁉」
長い沈黙が大ホールに落ち、リタは仕方なく三人に向かってひらひらと手を振った。
「え、えへへ……みんな、久しぶり……」
驚きに目を見開く『三賢人』。
その視線を一身に浴びながら、リタはぎこちない笑みを浮かべたのだった。





